本人だけの問題じゃないのですよ

若者の成長は周囲の環境に
周囲の人たちに掛かってます。

「そんなの本人の問題だろ~」

気持ちは分かります。
確かに本人の問題でもあります。

「何をしようとどうなろうと個人の勝手」

これを
良い方に捉えれば自由で良いのですが
こういう捉え方もできます

「お前が何しようと関係ない 興味ないね」

まぁ、興味ないものはないわけで
しょうがないかもしれません。

でも
あまりに人の間に距離ができてしまって
多くが互いに無関心になると
チームで力を合わせないと
うまくいかないようなことは
軒並み停滞するでしょう。
当たり前ですが。

なので
行き過ぎると
当然、国力も低下して
最終的には
他人に興味が無い
自分の足元を揺るがすことになります。

特に
未来を作っていくのは若い世代なのですから
彼らとの関係をなおざりにしてしまっては
先は見えています。

でも
他人に無関心になるのも分かる気もします。

ネットを含むメディアを見てると思います。
何かあると
「わー大変だー!」
とか
「けしからん!とんでもないことだ!」
とか
すぐそんなことになっちゃう気がしませんか?
もしくは
全く価値観が噛み合わないとか。

なので極力
余計なことをせず無難に
人とは距離を取って
必要最低限なことを…
みたいなことになっていくとしたら残念です。

「そんなの本人の問題だ」
とか言ってる人だって
子供の時は
知らないオッサンとかに怒られて学んだり
「ちょっと貸してみろ!こうすんだよ!」
とかアドバイスもらったり
色々な人とコミュニケーションを取って
色んなことを学んだり
「おぉ、お前凄いな!」
とか言われたりして
喜んだりしたんじゃないですか?
それで成長してきたはず。

今、同じようなことは
できないかもしれませんが
少なくとも人の間の距離を
今以上に拡大しないための
工夫は必要だと思います。

今のご時世
ヨソ様の子供とコミュニケーションを
取るのは難しいのは分かります。
でも
そういうのを言い訳にして何もしなければ
何も起きないわけではなく
世の中は今の方向性のままで強化されていきます。
それで大丈夫なはずはありません


こんなことを考えていると
やはり「八紘一宇」って
まんざらでもないよな
と思うのです。

メンタルタフネス

春になると
色々な企業から求人関係の連絡があります。

もちろん
色々な要望があるのですが
ここ数年多いのが
「コニュニケーション能力が高いコが欲しいんだけど…」
「メンタルタフネスがあるコがいいんだけど…」
というご要望。

うん
だったらウチに連絡してくるのは正解かもしれない。
こういう活動をする上では
そういった能力を高めないとやってられないから。

最近は
大人しくて真面目で
いわゆる良い子が増えてる気もするんだけど
線が細いというか
打たれ弱いという感じかな。

打たれるのを避けまくっているので
結果として成長できない
というケースも多いかと。

良いものを持ってる学生もいるんだけど
大変もったいない。

でもこれは
しょうがない…じゃ済まないけど
しょうがないと思います。

「失敗しないように」
って育ってくれば
そうなるのはしょうがない。

ヘタにそういう学生を鍛えようとすると
ハラスメントとか言われちゃうご時世ですから
むやみなことはできませんし
そもそも外力で無理矢理やる方法に
効果があるとも思えません。

もちろん
学生や家庭環境だけに問題があるわけではなく
学校を含む環境全体の問題だと思いますし
企業の側にもできることはあると思います。
(企業内で教育せい!という意味ではありません
皆で力を合わせる必要があります)

なので
もっぱら自分から突っ込んでくる学生を鍛えることになります。

興味深いのは
線の細い学生が増えている気がする反面
自分から突っ込んでくる学生も
一定数ちゃんと存在していることです。

今、メンバーとなっている1年生は
まさにそういう感じです。

我が大学が
日本中のチャレンジャーを
総取りできるような
学校になると面白いと思ってます。

何のためには多いほどいい

色々学んだりするうえで
「何ができるか?」
というのは重要なことです。

「何を知っているか?」
より上位にあります。

でももっとも大事なのは
「何のために?」
ではないでしょうか。

その理由がないと
やる気になれない
なので
やらないし
できない
ということになります。

ただ
その理由は
決して難しい理屈でなくて良いと思います。

単に好きだったり
よく分からないけど心が動いちゃったり
そんなので良いと思います。

最初は自分自身の喜びのために
やっていても良いのです。
だって学生だから。

でも
徐々に喜びの範囲を広げて行く必要があります。
だって学生だから。
卒業したら
社会のために働くわけですから。

ウチの学生達は
好きなことをやってます。

何のために?

そりゃもう好きだから!
自分たちの将来のためでもある。
でも
それに加えて
支えてくれるスポンサーさんや大学のためでもあります。
支援があってこそ続けられる活動なので
皆さんに喜んで欲しいって本気で思ってます。
(ちょっぴりで良いので世界を変えたいとも思ってます)

支援者が期待してくれる
それに応えられる
これはいずれも喜びでしょう。

学生達と支援者は
相互に喜びという「価値」のループを
回す関係になっていると思います。
もちろん
まだまだ十分に期待に応えているとは思っていませんし
まだままだイケるはず!

では、もし仮に
この活動で授業の単位がもらえるとしたら
大学が無条件で全ての予算を出してくれたら

どうなると思います?

もっと学生達は楽になって
頑張って
成果をあげられる?

いやいや
そんなことないです。

ダメになっちゃうんです。

お金もらって
さらに単位もらってやってたら
単位を取る自分のためだけに
単位を落とす恐怖から逃れるために
「やらなければいけない」
状態になります。

単位取るためにやるって
そりゃ授業と変わらんです。

最大限うまくいっても
単位が取れて
ホッとするだけです。
自分が。

なのでそのうち
「同じ単位取るならできるだけ楽をしたい」
「できればやりたくない」
となります。

そうなったらいずれ
全員でないにせよチーム内に
そういう空気が広がっていきます。

他者の喜びを介在させないようなやり方をすると
やめたり諦めたりするのは簡単です。
単に自分の問題ですから。

普通のクラブ活動としてやっても
恐らく同じような結果になるでしょう。
大学から与えられた部費と
自分たちのアルバイト代などを予算として活動すると
きっとそのうち何のために何をやってるのか
よく分からなくなってくると思います。

で、最終的には
やってもやらなくても自由だ
みたいな感じで終焉を迎える可能性が高いです。

喜びとかなんとか
そんなのきれい事だ!

ってことはないです。
世に向けて価値を発信して成功している企業は
みんなそうしています。
だから生き残っています。

お客さんに喜んでもらえなくて
メシ食っていけるはずないでしょうが。

なので
「何のために」
は、沢山あっていいと思います。