宮本武蔵の五輪書より

剣豪、宮本武蔵が書いた五輪書(ごりんのしょ)
読んだことありますか?
武蔵の書いた書が読めるなんて凄いですよね。
現代語訳になったものが普通に入手できます。

色々と参考になることが書かれていますが
こんな記述が印象に残っています。

「唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり」

執着がなく、「道理を得ては、道理をはなれ」という状態
道理にとらわれず、形にはまって形にとらわれない状態
だそうです。
それが難しいのだ
ということですね。

何かを理解したり、できるようになったら
そこから離れて執着しない
ということででしょうけど
それが難しいのだ
というのは理解できます。

心を一所に置くのは自由でなくなるわけで

真剣勝負において
小さな事に執着することは致命的だということでしょう。

こういう考え方は
技術に関わる者にとっては
とても大事だと思います。

仕事をしていると
ついつい小さな事にこだわって、執着して
引き込まれてしまうことがあります。

そうすると全体が見えなくなって
一体何のためにそれをやっているのか分からない状態になりがちです。
手段と目的が入れ替わるのはこんな時です。

が!
問題なのは、それすら気付かずに没入してしまうことがある
これは致命的です。

なぜかというと時間を失ってしまうから。

こんなふうになってくると
「自分に由(よ)る」状態ではありません。
時間に主導権を渡さなければならなくなります。
自由を失っているということですね。

「執着しない」
というのは仏教に通じる
というのも面白いところです。

こういうのは
エンジニアに限らず
仕事をする上で大事だと思います。

やはり道を究めた人の言葉は大事ですね。

人の世は難解

あちこちで戦争、紛争、もしくはその予兆があって
心配したり怒りや不安を感じたり

世の中悪いことばかりじゃないはずなのに
ネガティブな情報の威力は強力で
易々と明るい側面を覆い隠してしまいます。

どうしてこんなに悲惨なことが起きるのだろう

そんな疑問を持つ前に

「どうして彼らはこんなにひどいことをするのだろう」

そんなことを考えたりしますね。

そんなとき我々は
善悪の二元論で判断しがちです。

「彼らは悪い奴だ」

そうですね。
そう思う人から見たら悪い奴なのでしょう。

でも、善だの悪だのというのは
個人の持っている価値観からの単一的な見方に過ぎません。
大抵の場合は。

武力をもって他国に侵攻する

そんなことはもちろん起きて欲しくありません。

しかし、責める方にも理由があります。
その価値観からすると自己を正当化できるのです。
決して悪いことをしているとは思っていない。

例えば「テロリスト」と呼ばれる人達にしても
それは異なる価値観を持つ側からの見方に基づいているわけで
当人からすると命を賭しても守るべきものがあって
身を挺して行動しているにすぎない。

独裁政権が成立している国は
国民全てが奴隷になっているわけではなく
そこに何かしらのメリットがあって
一定の支持があるのは事実でしょう。
カオスな状況で人々は秩序を求める
そのために強権が現れる
そんなことを聞いたことがあります。
生存に厳しい環境では
独裁的な力を持った者による
コントロールを求める傾向になるとも。
そう考えるなら
独裁政権が存在する理由も分かります。

そういう大きいスケールの話ではなく
我々の身近で起きる事件なども
当人は自らの正義を実行しているに過ぎないのかもしれません。
正義とは言わないまでも
自らの価値観に沿って
許容できることをしているだけでしょう。

だからといって
自らに掛かる脅威に対して許容しよう
なんて気は起きないし
そうしましょうなんて言うつもりもありません。

人は皆、自分らの正義を貫いていたり
自らの価値観に沿って行動している

それによって悲劇的なことが起きるのであれば
皆の価値観を統一してしまえば良い

…わけないでしょう!

不幸も幸福も
違いの中から生まれることは多いのでしょう。

とすれば争いは決して無くなることはない。

人間って難しいですね。

いわゆるフレキシビリティというヤツ

誰がやっても
何をやっても同じではないし

何かををやってみて
良いか悪いか
二元論で捉えがちだけれど
結果、起きたことは
良いところもあれば悪いところもある

その時の自分に合ったものや
その時の自分が欲していたものを得て
何かしらプラス側に振れているように見えても
必ず何かマイナス側のことも起きていたりする

どうしようもないひどい経験だって
見方を変えたり価値観が変わったりすると
決してマイナスではなく
むしろ良い教訓になっていたりもする

人が経験することに
無駄なものや無意味なものは無いのでしょうけど

経験の数を増やせば
失敗の数も増えてしまうのは当然

とはいえ、結果がポジティブな方が
次の行動に繋げやすいのは確かなわけで

そのためには
多面性を持つものごとに対して
ポジティブなものの見方ができないと
継続は難しくなります。

加えて言うなら
その時々に
「何のために」
というゴールを持って行動するか否かは
経験の価値を大きく左右するわけで

それらがあれば
どのような結果が出ようと無駄にはならない
そんな気がします。

自身の価値判断のものさしを作ろうとせず
気付かないままに他人からの借り物を使っていると
多面的なものの見方は難しいでしょう。

我々は日々試されていますよ。