心の時代がやってくる 2

3年前の記事の続編です。
あまり続編っぽくないかもしれないけど。

なぜ心の時代とか言っちゃってるのか
一体どういうことなのか
そんなことをつらつらと書いてみましょう。

我々は一人では生きていけないわけで、皆でうまいことやっていかなければならないわけで、自分のことばかり考えていても、なかなかうまくいかないんじゃないの?と思います。
それはもう、自身も周囲も最終的には困ったことになるでしょう。

現に、最近では世界的にキナ臭いことになっていますし、同一国内の分断の気配があったりします。

我が国もあまり良い状態とは感じられません。幸福度が低いとかね。
そもそも何で、皆がこんなに仕事したり勉強したりしてるのに幸福にならんの?と思いませんか?何か良い方向に向かっている気がしない。

これまで個人主義で利己的な方向に向かってきたものが限界を迎えているではないのかな、と思うのです。
この場合の個人ってのは、人としての個人だったり、ある特定の国という捉え方をしても良いと思います。

そう。自分のことばかり考えていたら、他と利害が対立するのは当然だし、孤立したらやっていけなくなるわけで、そのうち収拾が付かなくなるのは不思議なことではありません。

この辺でカントの哲学が思い出されます。
徳が足らんのはイカンことなのだなぁと。

そういったことは、技術とかには関係なさそうな気がしますか?とんでもない!
技術は人が人の生活のために創り出したり使ったりするわけですから、それほど無機質な無味乾燥なものではありません。

例えば、ちょっとした道具でも、ユーザーの使い勝手をどれだけ考えるかで、使い勝手を始めとした価値は大きく変わってきますし、技術が生活を一変させるようなことも可能です。自動車やIT技術なんかは分かりやすい例ですね。

つくられた物体は、つくった人の鏡です。
そこには何が映されているかというと…つくった者の「心」とか「思い」が含まれているのは間違いないわけですよ。

つづく

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