修行

今日は朝4時出発で青森に行ってきました。
青森市で海鮮丼食べて日帰りです。
もちろんバイクですよ。

帰宅したのは23時ちょっと前。
埼玉からの往復の走行距離は、ざっと1380kmでした。

いやぁ、キツかった。本当にキツかった。
想像通りでしたけど。

こういうの、ツーリングとは言いません。
修行です。

今回は東北自動車道を使ったのですが、路面のコンディションがかなり悪くなっているのが気になりました。
小さなギャップが結構あって、突き上げがキツイ。
クルマなら大したことはないかもしれないけど、バイクには結構堪える大きさです。
通過した瞬間、「ウッ!」ってきますから。

そういえば工事も沢山やってました。
どうやら、この夏には大掛かりな工事をやるようです。

家の近所の道路も橋梁の修復工事を参観にやっていて、最近はインフラの老朽化が進んでいることが実感できます。

ヘルメット虫だらけ

良い塩梅 中庸を知る

すぐやるシリーズで言いたかったのは
考えすぎずにすぐやろう
ということで
決して「考えずにやれ」ということではありません。

本当に何も考えずに、感じるままに動いていたら
凄く動物的で異常な人になっちゃいますから。
そんなことは言うまでも無いでしょうけど。

そんな極端でなくとも
考え無しに先に進んでしまったら
それは単なる手抜きで
あまり良い結果に結びつきそうもありません。

だからといって
考えすぎて時間を浪費すると
実行する時間、最適化する時間が無くなって
本末転倒になります。

失敗するのが嫌だったりして
自然とそこに執着すると
最低限を狙うとかってことになりがちだし

単に面倒なら、先送りしたりしがち。
で、どうせやらない
ということになる。

まぁ、そういうレベルは論外ですが。

なんでも完璧にしたい人は
なんでもガッチリやればいいですが
大抵、そういうのは無理でしょう。

うまくいかせたいから
早く着手して
どうしたら良いかを
経験しながら知るのが良いでしょう。

「まだ考えられるかな?」から
「これはやってみるしかない」に
いつ移行するか
その閾値が大事なのだけど

それは経験によって探っていって
自分で作るものでしょう。

そういうのが「自分はこうやる」という
ポリシーになるのではないでしょうか。

自分は何を大事にするのか
何で勝負するのか
というのは
やはり経験から決めていくべきでしょうね。

考えずに動いて失敗する
良く考えすぎてやる時間が無くなる
その両極の間に最適値があるのだけど
どの辺が良いのかという「塩梅(あんばい)」
そういうのを中庸(ちゅうよう)とも言いますが
そういうのは、やらないと分からない。

なので
考えすぎて手数が減るよりも
考えすぎずに動いて
時として極端にやってみて
失敗する側からのアプローチの方が
結局はうまくいくのだと思います。

先払いできるかい?

確証が無いことはやりたくない
そういうのは無駄だ。
動機も無いのにできない。
そんなふうに思うことがありませんか?

そういうのって、理系人間の専売特許かと思いきや
結構そうでもなかったりしますよね。

世の中、不思議とも思えることがあります。

良いことが起きたら喜ぶ
これは普通ですが
先に喜ぶ

何かをしてもらったら感謝する
これも普通ですが
先に感謝する

喜びや感謝の先払いと言ったらいいのか。

そんな風にしていると
良いことが起きたりチャンスが舞い込んだりするのです。

なんかスピリチュアルでオカルト的?
いえいえ、そうじゃありません。
「精神的」という意味なら
スピリチュアルなのかもしれませんが。

喜んでいる人、感謝する人のところに
チャンスが行くのは当然です。

あなたは
喜びもしない
感謝もしない
そんな人にチャンスをあげますか?
あげないでしょう?

チャンスをあげたら
喜んで欲しいし感謝して欲しい
そうなったら自分も嬉しいですから。

チャンスをあげても
喜びそうもなかったり
感謝しそうもなかったり
そんな人にチャンスをあげるのは
難しいというか、苦しいというか…
無理ですよ。

ほら、簡単な理屈でしょう?

人は感情が欲しいんですよ。

嘘だと思うなら…やらなければいい。
その分、やっている人にチャンスが集中するので
彼らの喜びが、より大きくなるから。
でも、それじゃ世の中二極化しちゃってイヤだなぁ。

不満や文句、悪口ばかり言っている人は
「そういうことを言いたくなる対象があるから
自分には喜ぶようなことが起きないんだ」
と思っているかもしれませんが
それは逆だったりするのですよ。

そんなのは
よーく世の中を見ていれば分かるはず。

楽しそうに仕事をしている人なんかを見ていたりしても
そういうのは良く分かると思いますよ。