考え方一つ

自分はこうしたい
自分達はこうありたい
と思ったとしましょう。

でも
そんな希望や理想の先には
常に「失敗」や「面倒」がある。

なので
ついつい、やらなくては分からないことを
避けようとしたり
拒絶したり
もしくは、これらを頭で考えて
やらずになんとかしようとする。

その結果
時間切れになったりして
できなくなる。

それは
考え方一つ
思い一つ
なのですね。

「嫌だな」
「面倒だな」
と思う心が
ものごとを
難しくして
苦しくして
つまらなくしている。

そもそもは
希望や理想の先にある
失敗や面倒なこと
それを「悪いこと」とか「嫌なもの」
だと考えていることが原因。

なので
もしそれらが自分にとって
「悪いこと」でも「嫌なもの」でもなければ
前に進める。

それを変えてしまえば問題解決。
思い込みでも勘違いでも良いのです。

さぁ、どうしましょうね。

絶対うまくいくヤツ

たまに自己啓発本と呼ばれるジャンルの本を読みます。
仕事が仕事なのもありますが
自分を改造できるようで面白いじゃないですか。

こういう本って
内容が参考になるのはもちろんですが
何より「自己を」「啓発する」
という姿勢が大事なのだと思います。

そんなこんなで
「たまに読む」と言う割には
結構な数が手元に溜まっています。

どれもそれぞれもっともなことが書いてあって
役に立つのですが
中でも

これは絶対うまくいくだろう!

と思えるのが、知る人ぞ知る
中村天風
という人の著作です。
自己啓発本の元祖のような人ではないかな。

Wikipediaで来歴を見てもなかなか面白い
というか、ちょっとビックリな内容です。
本の内容もかなり説得力があります。

一応言っておきますが
明治から昭和にかけての人なので
文体が古くて読みにくいかもしれません。
初版が昭和22年とか
そういう本ですので。

私は最初に読んだとき
かなり読みにくくて
なかなか読み進められませんでした。
そのうち慣れちゃいましたけどね。

内容は70年以上前だったりするのですが
今でも何の問題もなく通用します。
人や物事の本質って変わらないんだな
と思います。

でも、こういう内容を受け付けない人もいるでしょうから
誰にでもお勧めできるわけではありませんけどね。

自己啓発本を読むようになったきっかけは
やはり今の仕事です。

学生達のやっていることが
うまくいくようになるといいな
と。

知識やらスキルやらなんてのは
やっていれば身に付くものだと思っていますが

問題は…
「やるかどうか」
「やるまで」
なのですよ。

つまり心の問題なわけで
そんなもの、他人が直接何とかできるもの
ではなかったりするのですけどね。

なので、環境作りという意味も込めて
相手を改造するのではなく
自分を改造しよう
ということになるわけです。

肝心の本の中身の話はしないのかって?
まぁボチボチしていきましょう。

持続可能性に必要なのは謙虚さではないかな?

誰も見ていないからやっても良い
誰にも迷惑を掛けていないからやっても良い

そんなことをやっていると
昔々は

「お天道様が見ているよ」

と言われたそうです。

「誰も見ていないと思っていても
神様はお見通しだ」
ということですね。

だからちゃんとしなさいよ
と。

私なんかも子供の頃は
そんなことを言われた気がします。

具体的な信仰心を持っているかとか
そういうことではなく
自分には計り知れない
大きな存在があって
それに対する畏怖と
謙虚さを持っていた
ということでしょうね。

それが道徳心の根源に
繋がっていたのでしょう。

謙虚さを持つということは
対象を受け入れている
ということでもあるので
そこから学ぶことができたりもします。

でも反対に
謙虚さを失うと
対象を拒絶するのは容易です。
そういう状態で
対象から学ぶことはできません。
だって拒絶しちゃってるから。

日本人の場合は
生活に神道の価値観が
少なからず根付いていたりするので
色々なものの中に「神様」を見ます。

それは自然だったり
あるいは物体だったり

八百万の神って言いますものね。

なので
色んなものに謙虚さを示すことができる
のではないかなと思ったりしています。

これは全く逆のケースを考えると分かりやすいですよ。

信仰心ゼロだと
恐らく目に見えるものが全てで
自己の利益が判断の全てになるでしょう。
もちろん対象に対して
謙虚な気持ちを持つ必要はありません。

これが唯物主義の消費文化になっちゃったりすると
大変なことになりますね。

バンバン開発して、買って、使って、捨てて…
となってしまって
その路線で突っ走ったら…

そんなことを考えると
国土面積の70%が森林である我が国は
まだまだ捨てたもんじゃない気がします。

我々は
自然を徹底的に開発するとか
過激な自然保護で問答無用で守り抜くとか
そのどちらにも違和感を感じるわけです。
何か違うのではないか?と。

その理由は
文化の深いところにある価値観が
影響しているのではないかな。
きっとそうだ。

というわけで
自然環境のみならず
外界との繋がりに対しては
謙虚に、対象に配慮する
そんなふうにやっていけたら
持続可能な文化・生き方
ということになるのではないかと思うのです。