できなくてもやってみな

ロクに設計の経験どころか
ものを作った経験も十分に無い学生が
レーシングカーを作るとなったら
どうしたらいいでしょうね。

まずは自動車について学ぶ?

そうですね。
それはもちろん必要です。

で、知識を深めていって
完璧になったら設計に入る?

そりゃ無理だろうな。
完璧になんてならないだろうし
チマチマやってたら時間切れになるか
そのうち飽きてダラダラになるのが関の山。

というわけで
今回はその辺のお話しにしましょう。

レーシングカーを作る話で進めますが
他のことでも本質は一緒だと思います。

まず、クルマのお勉強は大事ですね。
とはいえ、日本にはどうやってクルマを作るか
なんて情報はほとんど無いのが困ったところ。

洋書を漁ればいくつか見つかると思いますので
頑張って探しましょう。

英語があまり得意じゃなくても
大好きなことを必死になっているなら
きっと何とかなりますよ。
丸々翻訳する必要なんて無いので
気になるところだけ
面白そうなところだけでも良いので
できるだけ理解しましょう。

たぶん、どうしてもクルマが作りたいなら
自分でもビックリするくらい理解できるはずです。

これで英語も分かるようになっちゃいますね。

で、ある程度知識を仕入れていったら
設計してみたくなるでしょう。

誰に遠慮する必要もありません。
やりたければ始めましょう。
すぐに。

最初はうまくいかないでしょう。
それでOKです。

やりながら、何がうまくいかないのか
なぜうまくいかないのかを見極めましょう。
原因が見つかったら
それを解決すればいいのです。

それが学びです。

「十分に理解もしていないのに…」
と言う人がいますが
気にしなくて良いです。

できることは、できる範囲でやってみましょう。

部品を作ったりするのも同様です。

知識もスキルも十分じゃないのに
作ってみたら、そりゃぁ大した物はできないでしょう。

思い通りにいかなくてガッカリしたり
ダメな物に対する周囲のリアクションもあるでしょう。
時には怒られたりするかもしれません。

でも、気にしなくて良いです。
というか、そういう情況でもやり続けるのが大事。

同じようなことを繰り返しちゃダメですけどね。

大事なのは
やる気を持続させることです。

最初は、やってみても思い通りにはいかないでしょう。
でも、そんな中にもちょっとした面白さとか
何かしら新鮮な感覚があったら
うまくいかなかったことから分かることが見えるはず。
それを大事にしましょう。
それは、やらなければ分からないことだから。

そこで
知識とかスキルが必要だ
と感じられたらOKです。
それが学ぶ原動力です。
その気持ちを大事にしましょう。

そういう気持ちは「やりながら」じゃないと得られません。

色々調べて、覚えて、その後で
なんて考えるからできなくなっちゃうのです。
「その後で」なんて先送りした時点で
それは「できないこと」「やらないこと」の仲間入りです。

できるようになったらやろう
ではなくて
今すぐやろう
にしましょう。

ただ、評価者とかメンターはいた方が良いですね。
自分がどんなレベルにいるのかが分かれば
この先どうすれば良いのかが分かりますから。

結構思った通りになるもんだ

たまにふと振り返ることがあるのですが
かつて持った「望み」
これ、以外と叶っているな
なんて思うのです。

もちろん、思ったらすぐに希望が叶う
なんてことは無いのですが
いつの間にか
かつて望んでいたことができている
そんな風になってます。

そうだな
何を例に挙げましょうか。

バイクやクルマのレースをやるとか
そういうのは分かりやすいかな。

クルマの開発を仕事にするとか
これも実現しましたね。

あちこち海外に行くとか
これは、頑張る学生達がいてこそですが
彼らのお陰で実現してます。

元世界GPライダーの上田昇さんと一緒に色々やってる
なんてのは自分でもビックリですね。
自分が学生の時分にテレビで世界GPを見て
「うおー!ノビー行けー!!」
と応援してた、その本人ですから。

卒業生達が結構見栄えのする仕事をしている
なんてのもありますね。
まぁ、在学中にあれだけ頑張れば当然なのかもしれません。

そして何より現職において
現状への分岐点となったのは
お師匠様の佐野彰一先生との出会いです。
これが無ければ今は無い。

他にも色々あるのですが
では、自分がそれほどスペシャルな人間なのかというと
皆さんご存じかどうか知りませんが
大したことはないと思っています。

ちなみに
見える部分の裏側には
色々あるのはご想像の通りで
散々ジタバタやってますが。

これらは実績とかいうより
好き勝手やってきた結果に過ぎないと思うのですが
何で好き勝手できてたかというと

好き勝手やってたからです(笑)

ふざけた理由のように聞こえるかもしれませんが
そのまんまなのです。

自分がやりたいとか、やるべき
と思ったことをやった結果に過ぎません。

意外と皆さん
やりたいことをやらないのですよね。
ちょっとやったらすぐにやめちゃったりするし。
そんなことありませんか?

やりたいことをやるに当たって
頭の良い人は考えちゃうのかもしれませんね。

リスクとか効率とか。
こんなことやってて成功するのだろうか?とか。
辛いなぁ、とか。
うまくいかないなぁ、とか。

私、考えませんもの。
バカは得だな(笑)

全く考えないこともないですが
あまり深く考えて悩みません。

好きなことをやるのに
リスクがあるのは当然だし
効率とか考えたってしょうがないし
やってみなけりゃ成功するかどうかは分からないし
やっていれば辛いことがあるのは当然だし
そんなのにフォーカスしても仕方ないでしょう?

そういうのを考えてうまくいくならいいですが
そうでもないと思うのです。

考えて迷えば迷うほど
時間とチャンスを失ってしまうと思っています。
そんな暇があるなら、やっちゃった方が早い。

頭良くないですね。
でもそれで、ここまでやってこられましたからね。

ここまで書いておいて何ですが
実は多くの人が
思った通りになっているんじゃないかとも思うのです。

例えば…
仮に何か希望があるとしても
理由を付けて
それをやめるとか、逃げるとか、否定するとか
色々あったとして

それは自分の意思でやっているわけだから
思った通りになっているだけですよね。

そんなふうに考えると
人生結構思った通りになるんじゃないか
なんて思うのです。

間延びした学び

確かドラッカーがこんなようなことを言っていました。
50年くらい前ですが。

「人の寿命の延長に伴って労働寿命が延長されて教育も延長される」

確かにその通りになっています。
色々伸びています。

では、その内容は?

定年延長に伴って、長く仕事をするようになると
仕事の内容はどう変化するでしょうか?

もちろん若い頃のような労働内容とはいかないでしょう。
たとえば
新しいことにチャレンジするようなことに主体を置いていたとしたら
その経験を活かしたマネジメントや
アドバイザー的な仕事にシフトしていくように変化していったりするでしょう。

教育はどうなるでしょう?

どうなると思いますか?

今や大学進学が半ば当たり前の世の中になっています。
これからは大学院にシフトしていく可能性もあります。

しかし!
理工系の大学生のパフォーマンスが向上しているかと言えば
一概に言い切れないと思います。

大学での学部4年間の学びが高度化しているかと言えば
決してそんなことはなくて
むしろ専門的な学びから基本的な学力の習得にシフトしていて
内発的な動機
つまり「やりたい」を伸ばしていくような授業は消滅しています。

実験や実習で物に触れたり
工作機械で加工をしたりはしますが
それらは目的がありません。

もちろん、指導書に「目的」が書いてはありますが
それは外発的な目的に過ぎず、内発的なものではありません。
なので、学生自身は自己の目的として意識はしていないでしょう。

であれば、目的に沿ってどうしたいかなんて意識は無いはずで
それが無ければ向かう方向性は無いので
単位を取るために仕方なくやるでしょうね。

何もしないよりはマシですが
何のためにもならないとは言いませんが
あまり役には立ちそうにもありません。

なので
「このままじゃ不十分だから、大学院行かなきゃ!」
ってことにもなりそうです。

そうそう!
学校のやり方は
内発的と外発的の区別が付いていないように見えます。
「やる」と「やらされる」の区別は無い。
というか、ほとんど全てが「やらせる」ですね。
そりゃぁ学生がそれらの区別が付かなくなるのは仕方ない。

学校自体が主体性が無くて
文科省からのオーダーでやっているなら

組織としてのゴールが無かったりもするでしょう。
当然ながらそこで働く者にもゴールは無いでしょう。
だったら学生にもゴールは無かったりするでしょう。

そんなふうに
凄くシンプルで深刻なことになります。

で、こんな状態になるとしたら
一体どうしたらいいかという話しなのですが…

昨日の記事にしたように
「逆をやる」
というのが一つの戦略です。

多くが間延びしているのであれば
短期決戦でチャレンジする。

多くがやらされているなら
積極的に自発的に動く。

そういうアクションが世の中から求められるのは必然です。

なぜかって?
それは当たり前なのですが
皆と同じじゃ競争力が無くて
価値が無いからです。

さらに、間延びするということは
単純にコストがかかるわけで
それに見合う価値が作り出せればいいのですが
そうもいかないでしょう。

間延びしてしまったら
人の気持ちを高いレベルに保つのは難しいから。

そもそも
大学進学が半ば当たり前となった現代は
そうなる前に比べて
それに見合うだけのゲインを得られているのでしょうか?
そうでもないのではないかな。

夢工房には大学院生はいません。
短期決戦の逆張り野郎なのです。