頭に浮かぶ情景

そろそろ山の緑も元気になって
バイクで出かけるには良い季節になってきましたね。
梅雨の前なら、熱くもなく寒くもなくって感じです。

今年に入ってから、週末はなんだかんだとやっているので
ここ最近はめっきりバイクに乗れていません。
コロナ禍で自粛してるんじゃないんかい!
それもないことはないですけどね。
今年は5月連休に授業があるので、まだしばらく乗れそうもありません。

これだけ乗れないと禁断症状で妄想というか
突然バイクに乗っている情景が頭に浮かぶことがあります。
フラッシュバックってこういうこと?

その浮かぶ情景なのですが…
なぜか青森の下北半島の国道から一本入った農道の景色だったりします。
別に何か特徴的な風景だったとか、そこで何かが起きたわけではありません。
ただ、そこを走っている時に
「あぁ、遠くまで来ちゃったなぁ」
と思っただけです。

その時の感じは、ゾクゾクするような違和感というか何というか
楽しかったり爽快だったり、そんな感じではないのです。
何でそんな所を思い出してしまうのでしょう。

オーストラリアだとこんな感じかな。

「あー、何もないなぁ」
こんな景色。

有名な景勝地とかの観光スポットは浮かんでこないんですよ。
何なのでしょうね、一体。

根っから観光地を楽しめない性分だということなのでしょうか。
そんなことはないと思うんだけどなぁ。

でも、うんざりするような道を延々走るのが好きなのは確かです。
「凄いところまで来なぁ」という満足感というか達成感と
「こりゃ参ったなぁ」という困惑の間の感覚というか
そんな感じが良いのかな。
でも、一体それの何が楽しいのかは自分でもよく分かりません。

変態なのか?

それはともかく、夏には一発ドカンと行きたいものです。

未来に向けて その2

そのネタは
テクノロジーじゃないよ。
たぶん。

なんて刺激的なことを書きましたが
テクノロジーが必要なくなるなんてことはないでしょうね。
そういう二元論的なことを言いたいわけではないのです。

現状の、特に日本はテクノロジーそのものにフォーカスしすぎていて
何のためにそれが必要か
という上位概念の部分が弱いですよね。
だから色々うまくいってなくて
これは行き詰まっちゃうだろうなぁ
と思っています。

テクノロジーは、何かを実現するための手段にすぎませんから
新たな実現手段が登場すれば瞬時に用無しになることもあります。
だから意味ないよ
ということではなく
実現したい「何か」の部分にもっと力を入れるべきでしょう。
今はあまりにその部分が弱いと思います。

「何のため」を考える上位概念は
とても曖昧なイマジネーションの世界ですから
超具体的な技術を見ていても成長できません。
クリエイティビティが必要です。

日本の教育は
正解か不正解か
という超具体的なものばかりです。

イマジネーションが必要なクリエイティブな部分って
点数付けて評価しにくいですからね。

なので
色々学ぶのは良いけど
一番大事な
「何のためなの?」
という部分が無くて
「どうあるべきか」
という部分が決められないということになります。

具体的な答えがあるものばかりの環境でやってると
上位概念を構築するトレーニングは一切できないので
結局、「何のため」は他人に依存することになります。
もしくは、深く考えなくても済むように楽なことをやるか。

一定数の学生を集めてものづくりの授業をやったことがあります。
特定のテーマを決めて
「これやりなさい」
と言えば、そこそこやるんだけど
「何やっても自由だから、ゼロから考えてみよう」
と言うと嬉々として取り組む学生(少数)と
可能な限り楽なことを追求しようとする学生(多数)に分かれます。

そりゃそうでしょうよ。
自由な環境で、自分の意思でやったことがなければ
「どうしろっての?」
ってなるでしょうね。

年長者はそんな現実を見て
「俺たちの子供の頃はなぁ」
とか言いたくなるもんですが
そりゃ無茶な理屈です。

これだけ便利で安心で安全な世の中になったら
余計なことをやらなくても済む
まさにトレードオフです。

日本は
便利で安心で安全な世の中
という物差しで見たら世界一でしょう。
世界のホームラン王ですよ。

色々不十分だった時代は
色々不十分だったがために
色々妄想して
色々やらなきゃいけなくて
だからこそ色々余計な経験ができて
その中からクリエイティビティを育んでいったわけでしょう。
今はそんな必要ないもん。

なので
テクノロジーの力で
便利で安心で安全な世の中
という物差しの目盛りがデッカイ方に振れた今
これからは何かとバランスするように
揺り戻しのような局面に入っていくのではないかな。
もしくは新しい方向に振れていくのか。

幸いにしてレーシングカーとか惑星探査を作りたい連中は
それがやりたくて集まってきているので
経験が無くても何とかしようとします。

そんな連中の気持ちと考え、行動の中に
重要なヒントが隠されています。きっと。

でも、潜在的にそういうワクワクすることをやってみたいという学生は
予想以上にいるのではないかと思います。
1年生に希望を聞くと、彼ら結構夢を持ってますからね。

こういう状況を何とかしようったって
そう簡単に答えは出ないと思いますが
継続して頑張って色々やっていれば
そのうち何か見えてくるんじゃないかな。

これが夢工房のネタの仕込みの一つです。

「何だよ、はっきりしねーな」
とお思いですか?
そりゃそうですよ、上位概念の中の一部ですから(笑)

もうちょっとはっきりした話は後ほど。

未来に向けて

新しい世の中は
エネルギーの源が変わって
人々の生活が変わる。

スイッチを切り替えるように
急には変わらないだろうけど。

どう変わるんだろうね
楽しみだ。

これまで我々は
便利さ快適さを手に入れるために
技術をはじめ色々なものを生み出してきた。

でもその反面、失ったものは見えていない
一方的に手に入れたと思っている。
全方位で発展したと思っている。

とんてもない。

生きることを心配しなくても良い暮らしだけど
幸福度は低いままじゃないか。

これがかつて欲していた未来なのか?

テクノロジーは
期待したほど人を幸福にできなかった。
大事な何かが抜けていた。

これから色々制限が掛かって
今までできていたことを手放したり
我慢したりする生活になっていくのだろうか。

それとも
新しい何かを見付けて
違う方向の発展をしていくのだろうか。

でもきっと
今まで見えなかったものが見えたり
今まで感じられなかったことを感じたり
そんなふうになっていくだろうね。

それはそれで楽しみだ。

今から色々考えて試して
ネタを仕込んでおこう。

そのネタは
テクノロジーじゃないよ。
たぶん。