夢はあるかい? その2

そもそも「夢」ってなんだ?
という話もあります。

もちろん、ここで言いたいのは、寝てるときにみるヤツではないというのはご想像の通り。
将来叶えたい希望の方です。

この、「将来叶えたい希望」という意味での「夢」はあるかい?
ということについては、なんだかんだ言いながら、誰しも何かしら持っていると思ってはいるのではないかなとは思っています。
でも、実際のところはどうかというのは、正直なところよく分かりません。
だって、他人の心の中なんて見えませんから。

なので、「ある」とか「無い」とかではなく、「夢」に対してどのような捉え方をしているのかというのをいくつか書いてみましょう。

まず最初は
「夢」は追うべきものなのだろうか?
追ってもいいものなのだろうか?

そんな疑問は昔からあるでしょう。

就活が始まって、仕事選びの時に直面することの一つでもあるのではないかな。
「好きなことを仕事にするのはどうなのか?」と。

そんなのは好きに決めるべきことなのですが
なぜそこで悩むかというと
「夢を追ったら失敗しないだろうか?」
でしょう。

でも、好きなことを仕事にしようが、そうでなかろうが、仕事してたら大なり小なり失敗はするものですし、必ず壁にぶつかって、乗り越える必要が出てきます。

その時、自分が好きなことと、好きでないこと
どちらがパワフルに乗り越えようとするでしょうか?
まぁ、そんなことは聞くまでもないのですが。

「そこで壁を乗り越えられなかったらどうしよう?」

壁を乗り越えられるようになることが成長なわけだし、そもそも壁にぶつからないようにしたいなら、可能な限りレベルの低い容易な仕事を選ぶ必要があるわけで、最初からできると分かっていることをやることが面白いはずはありません。

で、面白くもない仕事を我慢しながら何十年もやるつもりですか?

とまぁ、これは極端な考え方ですが、就職を考える入り口のところでは良くある話ではないでしょうか。

大抵の仕事は、やりながら面白くしていくということもできるよね、というのが実際のところではありますが。

でも、夢を追う、面白い仕事を選んじゃって良いと思いますよ。
うまくいかなかろうが何だろうが、失うことはそれほど無いと思います。
少なくとも後悔することは無いでしょう。
実感としてそう思います。

夢はあるかい?

「世界最速のインディアン」という映画があります。
バート・マンローというニュージーランド人のおじいちゃんが、バイクでの速度記録を狙うという、事実に基づいたストーリーなのですが、劇中でバート・マンローが言った台詞が

If you don’t follow your dreams you might as well be a vegetable.

「夢を追わないなら野菜になったも同然だ」とでも訳すべきでしょうか。
映画の話なので、彼が本当にそんなことを言ったかどうかは分かりません。
でも、良い台詞ですよね。

私も、夢が無かったら何のために生きてるのか分からないだろう、なんて思います。

大きくても小さくても
明確でも不明確でも
夢を持っているというのは大事なことです。

最近の若者は夢が無い
とか言われることがありますが、そんなことはないと思います。
人に言えるほどのことではないと思っていて、否定や批判を含む評価を恐れているケースが多いのではないかな。

人に比べてどうこうではないので、別に気にすることはないと思うのですが、やはり気になるのでしょう。

私は、まだできていないことを「できると思える」ことも才能だと思っています。

でも、それを実現していくには、スタート地点から、チャレンジの過程で味わうことになる否定や批判や、それによって感じる劣等感を処理しなければなりません。
我が国では、これは結構難しい。
何とかならんかな、と思います。

この辺は学生達を見てきて分かってきたこともあるので、少しずつ明文化してみましょうか。
夢工房では、最も重要なことの一つですからね。

手段と目的の混同に気を付けよう

手段と目的が混同されるているとか
それらの区別が付いていないとか
これは良くある話です。

特に日本の教育現場では。

昔から
四の五の言ってる暇があったら勉強しろ
学生の本分は勉強だ
みたいな感じでしょう。

勉強ができるようになっておけば選択肢が広がる
とか言いますが、そうはいきません。

おっと、このままでは脱線しそうだ。
学校教育を例に取ると、手段と目的の混同が説明しやすいのです。

本来
教育は何かのための手段に過ぎないはずで
学力だって何かのための手段に過ぎないはず。

そう考えると
「知っている」ことに価値がある
なんておかしいと思うでしょう。

学力は何かのために必要なはず。
その目的は何か?
というのが曖昧になっていないか?

下手したら、手段と目的を同列視していたり
下手したら、目的より手段を優先していたり
そんなことになっていたりしないだろうか?

と、教育を例に取るとこんな感じなのですが
似たようなことは世の中に沢山ある気がします。

「お金が欲しい」
なんてのもそうじゃないでしょうか。

大事なのは
「何のために?」
というゴールのはずなのです。