プライオリティについて考える

優先順位のことです。

「これが一番重要だよ」と誰かに言われても
結局は、自分がどう思っているかが行動を決めます。

「勉強が大事だよ」
と言われても、自分が本当に大事だと思っていなければやりません。
でしょう?

自分にとって、本当に大事なものは何なのか?
それに対して真剣に向き合う経験がありましたか?

あったなら、あなたは幸運です。

「これが大事なのだ」
と他人から入力される機会が多かった気がしませんか?

まぁ、我が国は法治国家なので、社会を回すためにルールは大事です。
「これは大事なので守りなさい」と。
法治国家じゃなくても大事でしょうけどね。

ルールの他にも、集団として大事なことはあるでしょう。
文化とか伝統とか、その他諸々。

そんな風に、外部から入ってくる大事なことは、それこそ山ほどあるわけですが
その上で、パーソナルな、プライベートな大事なものは何でしょう?

我々は、「それ」のために生きているようなものではないでしょうか。
「それ」を意識していたり、していなかったりはするでしょうけど。

「それ」が曖昧になっていたら…というか、意識を向けていなければ
「楽をするために」とかいうことになっていても
それはそれで自然なことなのかもしれません。

さて
で、学生が「一番重要なのは学力だよ」となっていたりすると
これは一見、健全で当たり前のことのような気がしますが
実はちょっと変。

本心からそう思って、その筋で突き詰めるのもアリかとは思います。
問題が解けるのが楽しいとか。
でも、そんな風にずっとやっていけるのはごくわずか。

だってそもそも、勉強だの学力だのというのは何かをするために必要なものです。
その「何か」が一番重要なのは当然でしょう。
そのために必要だと思えば、勉強だって何だって一所懸命やるでしょう。

何のためかも無いのに
勉強ができれば将来の選択肢が云々
なんてのは、モチベーションの源泉にはならんでしょう。大抵は。

本当に、どうしてもやりたいことがあるなら
そのために必要なことは手に入れたいと思うでしょう。

でも、何のためか分からない手段である学力を
とにかく手に入れておきなさい
ってのは、無理があるでしょう。

そんなことやってもハッピーにならないだろう
ってのは、皆が薄々気付いてきているのではないかな。

というわけで、自分にとって一番重要なものは何か?
ということについて考えてみるのは大事ですよ。

というお話しだったわけですが、その辺を整理するためにも、空白の時間みたいなものは結構重要なわけで、そういうことに使える時間を、ネットやら何やらで浪費してしまっている日常を見なおす必要はあるよなぁ、それこそ重要なことだよなぁ、なんて思う今日この頃です。

こうすればうまくいく 12

果たして自分は成功しているのか?
というと、自信を持って言える状態ではないのですが
そんなの当たり前だろう、と言える成功のセオリーはあります。
ここまで何度もネタにしてきましたが、やはり…

すぐやる

これは筆頭でしょう。

単純だけど重要です。
今の習慣を変えなければならないとしたら、難しいとも言えますが。

すぐやれば、その後の時間で最適化ができるよね
というのはもちろんですが…

もう一つの要点は、すぐやることによって、経験の数を増やすことです。

玉数(たまかず:チャレンジの回数)が増えれば、結果の数が増えるのは当然です。
成功の確率が同一であれば、その数は増えるはず。
もちろん「失敗」の数も増えるだろうけど、そんなのは仕方ない。

「チャレンジする前に成功の確率を上げておきたい」
という気持ちは分かるけど、そもそも確率を上げるには、経験の数によるノウハウが必要だったりします。

そのために必要なのは、知識はもちろんだけど、経験しないと分からない暗黙知。
これが最重要。

なぜかというと、知識は過去のものなので、誰でも知ることができる。
でも、暗黙知はやることによって分かることなので、誰でも手に入る訳ではない。
だからアドバンテージや価値になりえる。

チャレンジは未来に向けて、不確実なことをやるってことです。
やってみないと分からないことだから価値があるのです。

知ることの重要性は否定しません。
でも、自分がどんなに知っていても、何も変わりません。
やるまではね。

夢はあるかい? その8

何が問題って、細かいことから考えちゃうと、それが何のためなのか分からないわけで、その行き着く先は「こうなっちゃった」という、いわゆる「出来なり」状態になること

これはヤバイことですよ
というお話しです。

何のためかはどうでもいいから、とにかく言われたことをやれ
によって
何のためか分からないけど、言われたとおりにやれば何とかなるだろ
となっている。

日本の教育って、そんな感じになっていませんか?
まぁ、昔からそうだったと思いますが。
一体何が、なんとかなるのでしょうね?

「何のため?」が無いってことは
ゴールが無いってことで
言ってみれば夢が無いってことですね。

そんな状況でもちゃんとやっていけるなら、それはもう特殊で貴重な人材だと思います。

ちょっとヘビーな言い方をしますが…
でもそれじゃぁ、何のために生きているのか分からんのではないですか。
まぁ、出来の悪い私の、ひねくれた意見ではあるのですが。

近年は、学校に行かない子が結構いるようですが、生きる意味を失うくらいなら、学校なんて行かない方が良い気もします。

昔々は、無駄が多くて、結構しょうもないこともいっぱいあって、その中から学ぶこと、分かることが沢山あったと思います。

それをどんどん効率化していって、無駄を省いて高度化したら今の形になったのかな。
余計なことなんかやってないで、言われたことをキッチリできるようになりなさい、と。

さて、それでどれだけハッピーになったのでしょうか。

このシリーズ、なかなか終わりません。
なんたって夢工房ですから、一番大事なところなんですよね。