夢を、理想を語ろう

「できもしないことを言うな」

そんなことを言う人がいます。
まぁ、そう言いたくなる場合もあるでしょう。

でも
今できないことを
理想を実現するのがチャレンジです。

なので
できないことを言えないなら
チャレンジする
なんて言えなくなってしまいます。

そんなの面白くありませんね。

それに
人は言ったことを実行しようとするそうです。
自分の言葉に責任を感じるからでしょうか。
「言ったからにはやらなきゃ」
と思いますものね。

言わなければやる必要はありません。

なので
理想を語ろう
夢を語ろう
できなくても言ってみよう

言ったこと全てを完璧になんてできないでしょう。
でも、言ったからには
多少なりともやろうとするのではないかな。

やろうとしないことが
できるわけはありません。

それに
理想を追求して
何が悪いのでしょうか。

このブログなんて
まさにそうです。

偉そうなことを書いていますが
私は全く完璧ではありません。

でも
夢や理想が無かったら
何のために生きているのか分からない
そう思うのです。

迷ったり悩んだり の根源

迷ったり悩んだりする時
大抵の場合
それは自分の損得のためじゃないだろうか?

自分が損せずに得できるように
自分が傷付かないように
自分が楽できるように

結局、自分の損得ってことは
他人の損得には関係ないこと。

相手に得をさせるのが仕事でしょう。
それが価値の大きさでしょう。

自分が得するために悩むって
気持ちは分かるし
誰しも経験することだろうけど

自分の損得ベースで考えたら
悩むのは当然で

本質から外れてるから
解決しません。

もっとも
事業は継続しなければならないので
収益とかコストとか
そういったことを考えなければいけないのですけど

その収益は
相手の満足あってのことです。

ともかく迷ったら
ゴール到達にフォーカスして
自分の欲得を捨ててしまう
ってのはどうでしょうか?

勇気が要りますけど
迷いは無くなります。

即効性は無いけど
きっと大きな何かが得られます。

「…あんな命も金も名(名誉)もいらぬ人間は始末に困る。
しかしこの始末に困る人でないと、ともに天下の大事を語るわけにもまいりませぬ…」

幕末に西郷隆盛が語った名言として有名なセリフですが
これは西郷隆盛のことではなく
幕府方の交渉役として西郷隆盛に対峙した山岡鉄舟を語った言葉です。

かくありたいものです。

アイデアの出し方・考え方 2

既知のものに対しては
既存の方法で対応すれば良いだけです。

未知の課題や目的を達するためには
何かしらの手段が必要で

その手段がアイデアです。

乱暴な言い方をするなら
目的を達するための手段は
何でも良いのです。

何も、発明的なものでなくても良くて
時間やコストとか性能とか
その時のプライオリティに合わせれば良いでしょう。

大抵は、自分の持っている「引き出し」から
適したものを引っ張り出して使うわけですから

いかに日頃から色々なことに興味を示して
アンテナを張っておくかがものを言います。

とはいえ
言われたことをやる人とか
好きなことに、のめり込むようなやり方ができない人は
引き出しやアンテナは持ち合わせていないでしょう。

その結果
いかに楽するか
みたいな手段を取ろうとするのですが

ここで
目的が「自分がいかに楽するか」に入れ替わっちゃっているので
いくらやっても目的を達することができなくて

結果として
楽をしたいと思ってやったら
楽できなかった
ということになります。

なので、自分がのめり込んで
夢中になることにチャレンジする
というのは大事なのです。
そういうものじゃないとうまくいかない。

ところが!

いくら自分が好きなことをやっても
「いかに楽するか」に向いてしまうことがあります。
しかも自動的にです。

それは…

環境の影響です。

小さい頃から
リスクを避けるように
楽できるように
という価値観を植え付けられて成長してくると
自動的にそうなります。

それは習慣なので
自覚がありません。

でも、こういうのは誰しも多かれ少なかれ
持ち合わせているのかもしれなくて

何に対してそれが発動するか
ということなのかもしれません。

偉そうにこんなことを書いている自分も
そういう一面があることを自覚しています。

ちなみにエジソンは
電信(興味があったら調べましょう)の仕事をしているときに
一定時間ごとに通信をしなければならなかったのですが
その定時通信を自動的にやってくれる機械を作って仕事をサボります。

楽するために(これがゴール)
楽じゃない手段(技術)を使ったわけです。

そう、その順番を間違えちゃいけません。
面倒な手段だからこそ価値があるのです…

って、仕事サボっちゃダメですけどね。