なぜFormula SAEなのか

恐らく大学生が関わるアクティビティで
これほど大がかりなものは無いのではないかと思います。
他にも色々あったら良いのですが。

まず車を作るのが大変
しかも毎年新車を作る
もちろん性能を出すのも大変で
上手に乗るのも大変だし
設計技術やコスト管理、プレゼンテーションも競う
海外に車を持っていくのも
現地で移動するだけでなく
物資調達もしたり
必ずと言って良いほど起きるトラブル解決
当然ながら、これら全てを安全に遂行しなければならない
チームのモチベーション維持や運営の工夫
後輩の育成や技術継承
スポンサー集めも超重要!

業界の人からすれば
「どうせたいしたことないだろ」
とか
「しょせんは学生レベルだろ」
とか思うかもしれません。

現に業界にいた私はそう思ってました。
すみません。

でも、実際を知ると
性能はかなりのものだし
20歳前後で未経験の連中が
勝つんだ!勝つんだ!
と限られた環境で毎日頑張るわけですよ。
卒業までの4年間。
授業もあるのに。

恐らく一般の学生に
「やれ!」
と命令してもできないでしょうね。
逃げ出します。

それを自ら好き好んでやるわけですよ。
「お前はジョン万次郎かっ!?」
と言いたくなります。

Formula SAEは凄いイベントです。
こんな大変なことを自発的にやる魅力があるのです。

経験した連中は
きっと明るい未来を築く一助となってくれることでしょう。

技術は人なり

ゴリゴリ設計中

Formula SAEに見る日本人の特徴

国際的な、しかも学生が関わるレースとなると色々と興味深いものが見えてきます。
一番分かりやすいのがマシンの作り方でしょうか。

レーシングカーは、レギュレーション(車両規則)に沿ってマシンを作らなければなりません。

で、この解釈に違いが出ます。

日本人の多くはポジティブリストによる行動を基本としています。
つまり、明示されたやるべきことに従って行動する傾向があります。

対して、ライバルとなる国々の多くはネガティブリストによる行動を基本としています。
つまり、明示されたやってはいけないこと以外は自由に判断して行動する傾向があります。

その結果

ポジティブリストに沿って行動する場合
レギュレーションをあたかも取説や教科書のようにとらえてマシンを企画・設計する傾向があります。
ライバル達も自分達と似たような戦略をとっているということを前提にしていることが多く、本質的な部分にはあまり手を入れない。
なので、あまり斬新なアイデアは盛り込まれず堅実な構造となり、実走による最適化(いわゆるセッティング)に重きを置く傾向になります。
マシンの熟成度が高く、信頼性は高めやすい。
ブレークスルー、ゲームチェンジはし難く、既存のトレンドに従う傾向があります。

ネガティブリストに沿って行動する場合
レギュレーションで禁止されていなければ何をやってもいいという考え方でマシンを企画する傾向があります。
他人の土俵で相撲を取りたがらない。
なので、アイデアを具現化するために奇抜なマシンとなりやすく、設計から製作段階で多くの時間を必要として、実走による最適化が不十分になる傾向があります。
熟成度、信頼性は低いが斬新でゲームチェンジャーが生まれやすく、トレンドを生み出す傾向がある。
ただし、マネージメントが優れている場合は、熟成度、信頼性を高められるので、強力なマシンを仕立ててくる場合があります。

とはいえ、国を問わず共通の特徴はありますね。
例えばこんな感じ
フォーミュラで一番速いのはF1でしょ?
じゃ、F1マシンみたいにしよう!
とかね。

あとは足し算の設計になることが多い。
ターボだ何だと。
速くなりそうな付けられるものどんどん付けようぜ!
みたいな。

本学チームはオリジナリティ命です

幸福とは何でしょう

幸福とは何だ?と考え出すと
とても深くて長い話になると思いますが
皆が互いの幸福のために頑張る世の中は
きっと幸福なのだろうな
と思います。

今の世の中はどうなのでしょう。
自分のことばかり考えている人が多くないでしょうか。
気のせいなら良いのですが。

学生に
君は何のためにどんな学生生活を送るの?
と聞くと、こんな返事をしそうじゃありませんか?

いい会社に就職して
楽な生活ができるように
勉強を頑張る

…って、誰も喜ばないでしょう、それ。
全部自分のためじゃん。
でも、そんな子は
「頑張り屋で真面目な良い子」
という評価が付いていたりしませんか。

サミュエル・スマイルズが1859年に発行した「自助論」にこんなことが書かれています。

「暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。
奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚われの身から解放されはしない。」

前述の
「頑張り屋で真面目な良い子」
は、典型的な「言われたことをやる人」になりそうですね。
自分のために。

教員として
そんな学生をハンドリングするのは
とても楽なのかもしれないけど
まったく面白くありません。

江戸から明治にかけて活躍した近江商人は
「三方良し」という考え方をしていたそうです。
「売り手良し」
「買い手良し」
「世間良し」
そう、自分はもちろん周りも幸せにしないとね。

本学の学生諸君には
お客さんの幸せのために
良い社会を作るために
頑張るエンジニアになって欲しいものです。

そして今日も変なものを作り続ける

何でしょうね、コレ