日本のコンセプト

人間は社会性のある生き物です。
つまり
一人では生きていけない。

自分で食べ物や衣類や家を作って…
ってできる人はそうそういないですよね。

なので組織で色々やっているわけですね。
会社とか地方とか国とかの単位で。

それによって一人じゃできない
でっかいこともできる。
そのときに
向かうべきゴールや
達成のためのコンセプトが
明確化されていると
より強力に推進できます。

というか
それが無ければ
一体何のために何やってんだ?
ということになります。
各人バラバラだったら
組織のパフォーマンスは
個人のパフォーマンスの上限に
近づいていってしまいませんか?

学生がレーシングカーをつくっているのを
見ていると思いますよ。
無駄な部品は1個もないので
極端なことを言うと
何か1個でも壊れたら終わり。
つまり
マシンのパフォーマンスは
一番パフォーマンスの低い部品に揃うわけです。
全体の向かうべき方向性が明確になっておらず
テキトーなのが1個あったら
それがイコール全体のパフォーマンスになっちゃう。

さてさて
「八紘一宇」(はっこういちう)
という言葉がありますね。

これ、大戦時のスローガンに
使われていたこともあり
毛嫌いされることも多いのかな
と思いますが

そもそもは
紀元前660年に
神武天皇が即位したときに言われた言葉で
「大きな屋根の下に住む一つの家族みたいに
みんなで仲良くやっていこう」
というような意味だったはず。


これが建国のコンセプトなら
こりゃ最強だな!!
と思うわけですよ。

個人的には
凄くシンプルで
崩しようがないな
と思います。

皆で力を合わせて
家族みたいに仲良くやっていけたら
そりゃ楽しいし
うまくいくでしょう。

難しいこと言わないで
シンプルに頑張ってるのが強いんだと思います。

そういえば
前にいた会社は良い会社だったなぁ
と今更ながら思うわけですよ。
みんな家族みたいに仲良くて
同じような夢を見て頑張ってたなぁ。
良いボスや仲間達に恵まれてたから
自分が勝手に一方的に
そう思ってただけかもしれないけど(笑)

でも
この大学に来てからも
奇跡のように頑張る学生達と一緒にやってこられたから
これはこれでありがたいことです。

ちょっと早いかもしれないけど注連飾りです。

建国のコンセプト通りになったから
神道と仏教とキリスト教が同居して
うまくやっていけてるのかもしれませんね。

ダライ・ラマ法王の言葉

手元に気になったことを色々書き残しています。
頭のメモリ容量があまり大きくないからです(笑)

手元をあさっていたら、今年の年始のダライ・ラマ法王の言葉が出てきましたので紹介しましょう。
世界に向けて発信したので英語でした。

Time never stands still, it’s always moving on. The past is beyond our control, but the future is still in our hands. To shape it we must use our intelligence and make an effort.
We can change our circumstances. Becoming demoralized is of no use. Today, technology has given us one human community in which we can work together. With the start of a new year, a new decade, let’s look forward to positive change.

ざっくり訳したらこんな感じかな。

時間は留まることなく流れ続ける。過去は変えられないが、未来は我々の手の内にある。それを形づくるには、知性を使って努力する必要がある。
我々は自身の置かれた状況を変えることができる。心配は役に立たない。今日、我々はともに力を合わせるためのテクノロジーを手に入にしている。新しい1年の始まりに、新しい10年の始まりにポジティブな変化を楽しんでいこうではないか。

こんなんで大体意味は合ってると思います。
今にぴったりではないですか。

今まで苦労してやってきたことがAIに取って代わられるなんて恐れる必要は無くて、不毛な面倒なことは奴ら(AI=新しい道具)がやってくれるようになっていくから、我々人間はその先のことにより集中できるんですね。そりゃ楽しい。

そして、今まで繋がれなかった人たちと、あっという間に繋がれる。
いよいよインターネットの本領発揮で、新しい価値が生まれてくる。

我々はこれから
何を手放して
何を手に入れるんでしょうね。

色々試してみましょう。
立ち止まっている場合ではないですよ!

夢なき者に成功なし

今回も名言の紹介をしますが
一言言っておきたいのは
昔から歴史が好きで
勉強していたわけではないということです。
むしろ大嫌いでした。

だって
自分とは関係ない出来事(だと思っていた)
の起きた年を暗記するわけでしょ。
とても何かの役に立つとは思えませんでした。

でも、Formula SAEのチームの
面倒を見ることになったときに
考え方が変わって
一変して歴史を勉強するようになったのです。
相変わらず年号は覚える気なんて
さらさらありませんでしたが(笑)

なぜかそうしたかというと
学生達は勝ちたいって言うんですよ。
で、相手はFormula SAEを20年も先に始めてる大学で
それなりにノウハウの蓄積があるわけです。

さらに
モータースポーツは西洋の文化なわけで
彼らの真似して真っ向勝負しても勝てねぇな
と思ったわけです。

じゃぁ、西洋人の真似しないで
日本的な発想とかやり方だったら
なんとかなるんじゃないかな
と思ったわけです。


こりゃ歴史から
先人から学ぶしかねぇぞ
と。
そうしないと彼らにアドバイスなんかできない
と思ったのです。

そんなこんなで
まずは吉田松陰の名言です。

夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に夢なき者に成功なし

「夢」を起点として「成功」をゴールとしています。
そうですね。
やはり夢が大事。

渋沢栄一はさらにこう言っています。

夢なき者は理想なし
理想なき者は信念なし
信念なき者は計画なし
計画なき者は実行なし
実行なき者は成果なし
成果なき者は幸福なし
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。

信念と幸福が入っています。
成功は成果と言い換えていますね。
「夢」を起点として「幸福」がゴール。

吉田松陰が「成功」をゴールに据えたのに対して
渋沢栄一が「幸福」としているのは
人々の価値観の変化によるものかもしれませんね。

渋沢栄一といえば、こんな話もあります。

関東大震災後の日本の言論界には、世間の風潮が利己的、放漫になった時、自然が天譴として大災害を起こし改革を促す、と解釈した「天譴論」が流行したが、その口火を切ったのは渋沢だった<渋沢栄一 2020年12月17日 (木) 04:26 『ウィキペディア日本語版』>

天譴論(てんけんろん)とは
人々が調子に乗って堕落したので
神の怒りを買ったという説ですね。

現在のコロナ禍に対して
この天譴論のようなことを
言っている人もいます。
そう言いたくなる気持ちも分かる。

ちなみに
吉田松陰のお墓は
東京の南千住にある近代的なお寺の中に
ひっそりと佇んでます。
行くと分かりますが、ちょっと意外な雰囲気です。
また、関東大震災について知りたければ
東京都復興記念館で興味深い展示が見られます。
興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

教科書読むよりずっと面白いよ!