もっと良くなる

なんだこのタイトル。

日頃から思うことがありましてね。
文句みたいになっちゃうかもしれないけど
これを良くしたら
我が国はもっと良くなるはずだ
と思うことをお話しします。

あなたが該当していないなら
それは素晴らしいことです。

もし該当していたら
あなたはこの国を良くできる一人です。

さぁ行ってみよう!

例えば
ラーメン屋さんに行くとしましょう。
あなたはタンメンが食べたい。
で、注文するときに何て言いますか?

「タンメン」

「タンメンお願いします」
じゃないの?
ある程度年齢がいった人が
若い店員さんに注文するなら
「タンメンちょうだい」
とかもありだと思いますが。

本人にはそんなつもりはないのかもしれないけど
横柄に命令しているような感じじゃないですか。

中には

「タンメンでいいや」

って人もいるでしょう。
「~でいいや」
って何なの?
妥協してるの?
「どうせダメだけど、これでいいや」
みたいじゃないですか?

お金払ってるんだから
敬意を払う必要ないのでしょうか?

そんなことはないでしょう。
美味しいものを提供してもらうんだから
敬意を払うべきでしょう。

美味しかったら
「美味しかったよー!」
って言ってあげたら
相手も喜びますよ。
そしたらお店の人だって
よーし、次も頑張っちゃうぞー!
って思いますよね。

あと
コンビニやスーパーなんかでも
店員さんが
挨拶してくれますよね。
「いらっしゃいませ~」
「ありがとうございました~」

まぁ、マニュアル通りなんでしょうけど。

で、あなたはどうします?

欲しい商品をひっつかんで
レジに無言で置いて
無言でおつりをひっつかんで
店から出る

これ、おかしくないですか?
相手は人間だってこと忘れてないですか?
これもお金払ってるんだからいいんですか?

あなたが取引先に納品に行ったら
相手が無言であなたの仕事の成果を受け取って
無言で伝票を「バン!」と置いて
行ってしまったらどうでしょう?
そんなことは当たり前ですか?
そんな相手のために良い仕事しようと思いますか?

先進諸国はもちろん
日本以外の多くの国では
こんなこと無いです。

コンビニでもスーパーでもレストランでも
お店の人に挨拶するのは当然だし
ありがとう!って言ってお店を後にしますよ。

以前、アメリカのちょっと治安の悪そうな地域で
ガソリンスタンドに行きました。
大抵のガソリンスタンドの事務所はコンビニみたいになってます。
その窓には強盗対策の鉄格子が付いてました。

で、中に入ろうとしたら
先に入った
超ガラの悪そうなガタイの良い
ギャングみたいな黒人青年が
ドアを押さえて待っていてくれたんですよ。

もちろん嬉しかったです。
そんな小さなことですが
「あ~、負けた~!」
と思いました。
「こんなこと日本人にはできねぇ!」
と。

そんな経験いっぱいあります。

日本人は礼儀正しい親切な人たちだ

と海外の人が思ってくれているなら
そりゃ嬉しいです。
ありがたいことです。

もちろん海外の人たちに限らず
接する人には親切にしている
日本人も多いだろうと思います。

でも何か違う。
まだいける。
もっとできるはずです。

何でそうなっちゃうのか
原因を追及したら色々出てくるかもしれませんし
昔はこんなんじゃなかったと言う話もできるでしょう。

でも、そんなことより
この現状は誰でも変えられるし
やれば絶対何かが良くなります。

あなたが
「こんちはー!」
「どうもー!」
「ありがとねー!」
と言うだけで
何かがちょっぴり良くなります。
相手がコンビニのバイト店員でも
そのうちマニュアルの枠を超えてきますよ。

あなたの一言が
相手の明るい気持ち
嬉しい気持ちを発動できるんですよ!
これ、凄いことじゃないですか!

そんな気持ちになった人は
きっと良い仕事してくれます。
日本がもっと良い国になりますよ。

いい国つくろう鎌倉幕府
これが歴史の授業の唯一の成果
ダメな日本人がお送りしました。

学びのメンタリティ

クリエイティビティを鍛えるために何かしましょう
というようなお話をしました。

「勉強だけでも大変なのに
さらに何かやるなんて無理だわ。」

「勉強を完璧にできるようになったら
その上にプラスアルファを積むのだ!
(でもボクは勉強を完璧にはできないから
その先のことなんてできないよー or やらないよー)」

というような思考になりがちかもしれませんが
そういうのやめましょう。

まずは
やりたくもないことをやっている
という前提を崩して
「やらされている」感覚から
「やりたいからやるのだ」という感覚に
シフトする必要があります。

やりたくもないことをやっているのに
創造力を働かせて…なんて無理ですから。

そのためには「楽しさ」は重要です。
壁にぶつかっても歩みを止めないために。

楽しいからやる
もしくは
楽しくなるように工夫する
が必要でしょう。

あなたが夢に向かって頑張っても
何かあると
「お前、そんなことも知らねぇのか!/できねぇのか!」

とか言われることがあるかもしれませんね。
でもいいんですよ。

それから調べたりして
「あ!そーなの!?なるほどねー!」
って納得したり
分からなければ
「じゃ、どうすればいいのー?」
って教わったりして
そのときに吸収してもいいじゃないですか。

で、やっていくと
「あ!そうか!」
って時が来ます。
先に理論ばかりを覚えることよりも
むしろこっちが重要な勉強かもしれません。

勉強が完璧になってから次の段階だ!
なんてやらなくていいんですよ。
完璧になる頃にはヨボヨボになって
実践できなくなっちゃいますから。

自動車を学びながらクルマを作ってもいいし
飛行機を学びながら飛行機作ってもいいじゃないですか。
文学を学びながら本書いてもいいですよね。

こういう思考とかやり方で
果たしてうまくいくのか?

いかないかもしれませんね。
どうせ絶対的な保証なんか無いですよ。
必ずリスクがあります。

でも、教科書に載ってる知識一本槍でいったって
それはだれでも知ることができるわけで
それを知ってる人って
すでに世の中にいっぱいいるでしょう。
じゃぁそれも独自性とか優位性は無いですよね。
それを知ってれば飯を食えるなんて保証はどもにもない。
つまりそっちもリスクがある。
さらに言うなら
「知ってる」と「できる」は違う。

だったら好きなこと
好きになれそうなことを
頑張ってやっていれば
その中に発見があったり
それを発展させる
なんてことができる可能性はあります。

他人から(特に学校でとか、権威のある人とかから)
「これは重要だからやれ」
って言われたことは
一見信憑性が高い気がします。
一般論ってのもありますしね。

でもそれは
いつ、誰が、何のために、どのようにやるか
で重要性が変わってきます。

それに
少なくとも受け入れるには
納得する必要があるでしょう。

もしそれが
好きなことじゃなければ
納得していなければ
「重要なこと」(重要だと言われたこと)を
「やらされる」
という感覚になるので
(心の底には「できればやりたくない」がある)
いずれ何かの役に立つ…のかなぁ?
程度になってしまうかもしれません。

としたら
自ら進んで
それを役立てよう
とは思わないでしょう。

でも
好きなことであれば
「自らやる」
となって実践にもつながりやすい。

その中に何か発見があったり
そこから新たな何かを生み出したりが
できるかもしれません。
何よりその「重要なこと」が
最大限に役に立っている実感を得られるでしょうから
次へ次へ、その先へ
ってなりますよね。

それに
そういうふうに自ら経験して得たことは忘れない。
実践知です。

学校では
形式知の伝授がメインで
理論に強い人を育成することに主眼を置いてきました。

でもそもそも
理論って実践のためにあるわけなので
単独では役に立ちません。
勉強が「できる」といったって
実践「できる」わけではないですから。

将来、理論だけの専門家になるんだ!
と言ったところで
現場・現実・現物
を知らない専門家は役に立たないでしょう。
やはり早めに実践する経験を得ておくのは大事です。

実際にやってみるのは
面倒だったり
失敗が怖かったりするかもしれません。
勇気が要りますね。

でもやりましょう。

勇気が必要だからこそ
その「やること」は
「好きなこと」
である必要があるのです。

やってみて
うまくいかなかったとしても
何か失うものはありますか?
あるのかもしれないけど
必ず「経験」が残ります。

やらずに足を止めていたときに
失う時間は
絶対に帰ってこないし
何も残りません。

ホンダを創業者した本田宗一郎さんが
「やってみもせんで何が分かる!」

サントリーを創業者した鳥井信次郎さんが
「やってみなはれ
やらなわからしまへんで」

と言ったのは有名な話ですね。
ここに学びの本質があると思います。

やったら
わかる

長いこと教育の主眼は
「生きるためのツールとしての知識」
を手に入れることだったけど
これからは
「生きるための勇気(心)」
を手に入れることにシフトしていくのでは
ないだろうかと思っています。

技術が発展して誰でも使えるようになって
さらに
知識に容易にアクセスできるようになるのですから
そうならざるを得ないでしょう。

やってみなはれ

クリエイティビティを鍛えねば

新しいもの・こと
をつくることを仕事にしたいなら
クリエイティビティ(創造性)が必要です。

新しいもの・こと
とは
独自性とか新規性ですかね。

これを育むにはどうしたら良いのでしょうね?
ってのが私の仕事の核にある重要なことの一つです。

今回のネタは
「おまえは偉そうなことを言うけど
今までの実績はどうなんだ?」
とか
「そんなこと言って証拠はあるのか?
エビデンスを示せ!」

とか言われそうなんですけど…
言われるかな(笑)?
まぁいっか。

そもそも
もし、実績とか証拠とか理論とかをベースにやったら
それ、新しいの?独自なの?
ってなっちゃいませんか?

だって、実績も、証拠も、理論も
ぜんぶ過去のことでしょう?
全部古いってことじゃないですか。

それやっても
そもそもクリエイティブじゃないです。

でも大学ってアカデミック
つまり学術的なことを教えるところなんですよね。
学問って、100%古いことなんですよ。
全部過去のこと。
すでに分かっていることなんだから
そういうことでしょう。

確かに過去の重要なこと
役に立ちそうなことを
身に付けるのは大事なことです。
新しい何かが起きても
過去の事例を参考に対応できることは
たくさんあるでしょうし。

安定していて
ある程度先が読める世の中なら
それだけで良かったのかもしれません。

でも
これからどうなるか分からない世の中で
大きく変わる環境でやっていくためには
それだけじゃ不十分だと思うのです。

クリエイティビティを鍛えるには
どうなるか分からないけどやる
というようなことを
ガンガンやっていく必要があります。

まずやってみよう!
すぐやってみよう!
何度もやってみよう!

ここで言いたいのは
過去のことなんか意味ねーから
勉強なんか意味ねぇぞ!
とか
発明しろ!
とか
って極端なことではなくて

学問を学ぶお勉強って大事だけど
それだけじゃなくて
他にも何か必要だよね。
ということなのです。

だって
多くの学校では
クリエイティビティを鍛える教育
なんてしてないですから。

あーあ、言っちゃったよ。

なので
これからも学生達とジタバタしていくぞ!
と思っているのです。