最近の傾向を踏まえた戦略

コロナ禍は、ほぼ落ち着いた…と思ってますが、どうでしょう。
現状では、まだそうは言い切れないのかもしれませんが、遅かれ早かれ落ち着くときが来るのは間違いないでしょう。

学校に勤める身として気になるのは、このコロナ自粛期間の影響が学生達にどのような影響を及ぼしているのか?彼らはどうなっちゃっているのか?ということです。

それはもう、環境によってそれぞれなのだとは思いますが、色んな所からの情報を得て、何となく全体的な傾向は掴めているとは思っています。

で、一体どうなっているのでしょう。

コロナ禍前には、全体的に大人しく真面目な傾向になっているな、と感じていました。
恐らく、親も先生も扱いやすく、管理しやすくなっているな、と。
これ、あまり良い傾向だとは思っていませんでしたが。

そしてコロナ自粛がやってきて、その傾向がますます強まった気がしています。
ますます大人しくなった。

オンライン授業やら、諸々の自粛によって、コミュニケーションスキルが低下して、受け身で守りに入る傾向で、そもそも経験の数が増やせませんでした。

そりゃ仕方ないと思います。
これは学生に限ったことでは無いでしょうけど。

行動を抑制される時期が続けば、基本的には抑制された状態が習慣化してしまうでしょう。それが3年とか4年も続いたのですから当然です。
もちろん、その反動が出ることもあるでしょうけど、全体で見れば大したことはありません。

こういった状態は、あまり好ましいことではありません。
こと、開発職を目指して頑張るような環境では大問題です。というか、ものを作る環境で、皆が受け身で守りに入るってのは致命的です。

で、これは確かに問題ではあるのですが、以前から言っているようにチャンスでもあります。
ただし、そこに気付いている者だけにとってですが。

差別化とか希少性とか、そういったアドバンテージを作ると、相対的に優位性を作りやすいからです。
ただし、実際にやるとなると、身に付いてしまった習慣を破っていく必要があるので、勇気とかモチベーションとかは必要になりますが、裏を返せば、今まで高い評価を得てきたいわゆる優等生の持っていた価値が低下して、アクティブなヤツが大きな優位性を得られるチャンスだと言うことです。

これは、ウチだけが抜け駆け的にうまいことやっちゃおう、と考えているわけではなく…いや、ちょっと考えていますが、これからはそういった人材が求められるのは、ほぼ間違いないでしょう、ということです。

だって、そういう人材は常に必要なのに、今は極めて少なくなっているはずなのですから。
なので、うまいことそういう流れを作れれば、多くのチャンスを得られる可能性が高いわけです。

重要なキーワードは何でしょう。
スピードとか、パワーとか、粘り強さとかですかね。あと、広い視野とか高い視座。
シンプルで泥臭くて当たり前かもしれませんが、恐らくその辺はコロナ禍の自粛環境下で抑制されたり、求められなかったりしたものなので、多くが失っているはずです。

これらが外れていても責任は取れませんが、いずれにせよ、そういったことは時代を問わず重要なことです。今は特にそれが求められていると思います。

理想はどこにある

我欲を満たすための理想を設定するのは結構ですが、そこで終わってしまったら面白くないというか、小さいのです。
広がりが無くて先が無い。

では、何を理想とすべきか?

そんなのは人それぞれなのですが、価値ある理想とは一体どんなものかというのは結構シンプルです。

それは、他から見て価値があるかどうか。
つまり、利他的なものになっているかどうかでしょう。
簡単な言い方をするなら、自分以外にどれだけの人がハッピーになるか、です。

ものを作ると良く分かるのですが、相応の審美眼を持っているのであれば、できたものに対して客観的な評価ができます。

ですが、ビギナーにありがちなのは、自分以外からどう見えるか、という視点が無くて「単にやった」とか「こうなっちゃった」みたいなことになりがちです。
せいぜい「前よりは良いよね」くらいなもの。

たぶんそれは、理想無しでやったから。

できたものが理想に対して相対的な評価がされていないので、良いも悪いも無いのです。
というか、少なくとも良くはない。

残念ながら、理想無しでは何回やっても大して変わりません。
誰も喜ばないようなことを何回やっても面白くはなりません。

恐らく最近は、そういう傾向が強くなっているような気がします。
言われたことばかりやっているから理想が必要無いのかもしれません。

学校の成績とか学歴が、仕事ができるかどうとイコールではないってのは、そういうことでもあるのでしょうね。

じゃ、どうしたらいいのか?

個人的には、シンプルだけど勇気が要るやりかたをやるしかないと思っています。
それをやってみたら道が見えるかもしれない。
ダメなら、その時はその時ですよ。

一番危険なのは、理想を人任せにしたり、責任を他に押しつけたりってことだと思っています。
それをやると、自分が無くなっちゃいますから。

うまくいくための方法 教育ということであれば

じゃぁ結局、どうしたら良いのでしょう。
「やらせる」と「やりたくなくなる」のでしょう?

じゃぁ、やらせなけりゃいいんですよ。

やることを指示されて従うのが好みであれば、今のスタイルの学校がピッタリでしょう。
恐らく多くはそっちが好みでしょう。教わる方も教える方も。

「言われたことをやるだけなら、AIとガチンコ勝負になっちゃうぜ」
ということなのですが、多くはそうしたいのだと思います。
それは今の学校の現状を見れば分かるでしょう。
それに、言ったことをやってくれる人材は、これまで必要だったわけだし、これからも必要です。AIや機械が全部やってくれるわけでもないので。

なので、それとは別に、主体性を持って、やりたいことをひたすらやれる学校があっても良いと思います。

現状みたいに、文系とか理系とか、機械とか情報とか、分野で分けるだけではなく、やり方で分けてみても良いんじゃないかと思うのです。

本当にやりたいことがある人間と、やらされたい人間を混ぜた環境はイカンと思います。
人は楽チンな方に引っ張られますから。

やりたいことを明確化して、やると決めたなら、そこにはリソースを投入する価値はあります。

言われたことができるようになったり、言われたことを覚えるのも教育でしょうけど、言われてもいないことができるようになる教育も必要だと思います…というか、絶対に必要です。
より高次な価値はそこにあるでしょう。

商品だって同じことで、お客さんが望むものには価値がありますが、お客さんが思いもしなかったものを提案するところに、より高い価値があります。

そもそも、大学の進学率が高止まりしたのであれば、違う形態が必要な時期が来たってことだと思うのですよね。

新しい学術分野が…とか何とかと言ったところで、「やらせる」のであれば結果は大して変わらないというか、同じことの繰り返しになるだけでしょう。違いますかね。

実は、やりたいことをひたすらやれる学校は、すでにあります。
日本の学校ではないし、分野が限定的ですが。
よく調べたわけではないので、日本にもあるのかもしれませんけど。

で、皆がそういうところに行きたがるかというとそんなことはなくて、やはりいわゆる有名どころの学校に行って、やるべきことを言われて、それをやるというやり方を多くが望みます。

それが良いのだとか悪いのだという話ではなくて、恐らく世が望むバランスとはかけ離れているのが現状だろうと思うのです。

で、ついでに言うなら、こういったことは優劣の問題ではなく、単に自分の役割を自分で決めているだけの話だと思っています。