スタートは超重要

毎年授業で1年生に色々話す機会がありまして
まぁ、主に仕事の話とかなんですが。

で、授業後にレポートを出してもらうのです。
将来の夢とか目標とか
具体的な取り組みとかを書いてもらって。

これが結構楽しみなのです。
1年生は色んな夢を持ってますからね。

で、中には
「まずは基礎をしっかり学んで…」
とくる学生が一定数います。
少数ではありますが。

気持ちは分からなくもない

というのは大嘘で
その気持ちは全く分かりません。

私なら、そんなの我慢できないから。

だって、好きなことをやるために
そのための学校を選んできているのだから
そこでやりたいことがあるわけでしょう?
そういうの、すぐやらないと気が済まない。

大抵は、そういう状況で待ったを掛けられると
気持ちが萎えちゃうんじゃないかと思うのですが
どうなのでしょうか?

それに、スキルを伴うものは何でもそうだと思うのですが
いかに時間を費やすか
いかに回数を重ねるか
その辺がパフォーマンスを決めるはずなのです。

なので
「まずは基礎をしっかり学んで…」
とかやっちゃうと
一番美味しいところに掛けられる時間が
1年とか2年とか減ってしまって
非常にもったいないというか
残念な結果になるのではないでしょうか。

だって、基礎的なお勉強って
いわゆる形式知なわけですが
それで何かができるようになるわけではなくて
実践に伴う暗黙知がものを言うわけです。

仮に1年間基礎的な勉強”だけ”やるってことは
在学期間の25%は暗黙知を獲得できないわけですよ。

もしそれが2年とかってことになると
50%ですよ。

それに、やって分かることって
やればやるほど分かる内容が
加速度的に広く深くなっていくわけで
期間が短ければ
浅いところで時間切れになるでしょう。

で、もっと重要なことは
スキルを伴うことって
スタートは若ければ若いほど良いのです。
その方が吸収が早いし、伸びる。

スキルを伴うテクニカルなことは
いかに早く経験できるかが
クリティカルに重要だと思います。

それに、好きなことに夢中になれば
それによる習慣ができるわけです。

夢工房の活動は良い例で
1年生の頃から設計したり作ったり
そんなことを朝から晩までやったりしていれば
それが彼らの「普通」になるわけですが

それを高学年で始めるのはキツイのではないかな。

中には3年生の終わりにウチの研究室に配属されて
初めて夢工房に来る学生もいます。

でも、時間の使い方や活動内容など含めて
ペースを掴むまでは大変だと思います。
今のところ、みんな頑張ってやってますが
もっと早く始めていれば
もっと凄いことができたろうに
と毎年思ってます。
まぁ、「~たら」、「~れば」は無いのですが。

在学中に獲得した暗黙知は
学校の中では、ほとんど評価されません。
そもそもそんなの計れないから成績にできない。

それを分かっていながら頑張れる
というのは凄い資質だと思います。
好きなことをやっているから
というのが動機だからこそですが。

それに、卒業生達の成果や実績という
彼らにとっての北極星があるのは大きいでしょうね。

向き不向きを決めるのは自分だ…と思う

正直なところ
向き不向きはあると思います。

では、どうしてこんなタイトルで記事を書いているかというと
理由は色々あります。

例えば、夢工房で活動していると
企画したり、設計したり、作ったり、乗ったり
スポンサーとの交渉とかプレゼンテーションとか
それはもう多種多様な仕事があるわけです。

大きな枠で見ると
レーシングカーの開発とか、惑星探査機の開発とか
そういうものなのですが
中身は上記のように色々で
なにも特定の仕事をやってみて
「向いてない」
なんて全ての可能性を判断する必要は無くて
大抵何かしらうまくいくようなこともあったりするわけです。

あと、これはもう色んな人が言っていることですが
うまくいかないのは途中で諦めるから
うまくいくのは諦めないから

そういうのもあります。

だいたい、生まれた時から何かに向いてる
なんてのは、そうそう無いわけで
うまく言ってる人を、よーく見ると
大抵は結構努力してるものなのですよね。

それを見えないところでやっていたり
苦にならない努力だったりするもんだから
傍から見ると、あまり頑張ってないように
見えたりするのではないでしょうか。

あと、そういう人って
常にそのことを考えてるんですよ。
頭の中で常にシミュレーションしてたりする。

なので、実際の行動は
すでにプランニングした結果を試しているに過ぎなかったりして
行動すべきその時になって、はじめて考えて動く人に比べたら
結果が大幅に違うのは当たり前なんですよ。

逆に、せっかく自分が好きなもの、好きなことに
関わるチャンスを掴んでいるにもかかわらず
常にそのことを考えないのは理解できません。

どうもそういうのは
好きなことをやっているにもかかわらず
「やらされる」やり方をしちゃっていると思うのです。
好きなことも、好きじゃないことも
同じようなアプローチしちゃってる。
違うかな?

こういうケースもあります。

うまくいかないのに
やり方、考え方を変えない。

そりゃ
「向いてない」
という結論にたどり着いても仕方ない。

まぁでも、結局のところ
コンペティションをやっているわけだから
「どうしても勝ちたいのだ!」
と本気で思って

うまくいかなければ
「何でだ!?何でだ!!」
と、試行錯誤していれば
いずれは壁を破ることになるとは思うのですけどね。
要は本気度の問題かと。

ほら、諸々考えてみると結局は
向き不向きなんて自分次第じゃないか
と思いませんか?

夢工房の1年生達
今は実に楽しそうに頑張ってますが
いずれ壁にぶつかります。必ず。

その時どうなるか、どうするか
実に楽しみです。

失敗考

このネタも何度も投稿していますが
継続的なブラッシュアップが必要なシリーズでもあります。
というわけで、行ってみましょう。

失敗は恥ずかしいものだ
この価値観こそが諸悪の根源なのではないか?
なんて思いました。

そもそも失敗は恥ずかしいものだという価値観は
一体どこから来ているのか?

これ、親からですよね。
子供が自ら失敗は恥ずかしいものだなんて思わなくて
恐らく親からの躾けが根底にあるのではないでしょうか。
「恥ずかしいからやめなさい!」
みたいな。

でも、親のせいにしても何も解決しません。
我々の文化の問題なので
もっと元を辿れば祖先まで行ってしまうわけですし
責任なんて追及できません。
不毛なので、そういうのはやめましょう。

何度も言ってますが
失敗を乗り越えることこそが成長なので
最重要なのは失敗しないことではありません。
まして、失敗しないことが成功ではありません。

むしろうまくいかない時は
成功するためにはどうしたら良いかと考えて乗り越える
すなわち成長するチャンスがやってきた
ということなのです。

でも、それには
失敗に対する価値観の上書きが必要で
そのための動機というか
理屈が少々必要でしょう。

まず、失敗したあとに思い悩むのは
無駄なことだと理解することが必要でしょう。

でも、難しいのは
反射的に悩んでしまうことです。
クヨクヨ思い悩むのは
意識的にやっているのではなく
反射で癖で習慣です。

ただ、思い悩むことにもメリットはあります。
それは、やらなくて済むようになること。

思い悩んで
自分に残された最も貴重なリソースである
時間を浪費すれば
自ずと締め切りが迫ってきて
実行不可能になります。

結果として、やらずに済むわけですが
それはすなわち「できない」ってことなので
またまた思い悩むことになって
不健全極まりない。

ネガティブなループにはまる時って
こういう状態だったりしませんか?

過去を思い悩んでもなにも変わりません。
そんなことに「失敗」という名の
貴重な経験を利用するなんて
とてももったいないことなのです。

そういうのは嫌なので何とかしたいと思ったら
何かしらの新しい習慣を手に入れて
価値観の上書きをする必要があります。

ではどうするか?

とてもシンプルなだけに
難しいかもしれません。

失敗という経験を検証・評価して
「次はこうする」
と決めたら
それを元に次のチャレンジのサイクルを回せば良い。
もう「失敗」は用無し。

以上です。

考えるべきは
「次はどうやったら失敗しないで済むだろうか」
ではありません。

「次はどうやったらうまくいくだろうか」
です。

似ているようで全然違います。

失敗しないで済む
は、ネガティブなことが起きないことを願っているだけであって
結果はゼロです。
マイナス側にさえ行かなければ良いわけです。

ポジティブ側を狙っているわけではありませんから
それだけのパワーは必要無いので推進力が小さくて
なかなかうまく行きません。

あと、大事なのはスピード。

考えずに行動するのはどうかと思うけど
考えすぎて時間切れになるのは最悪です。

考えすぎて「やる」時間が無くなってしまったら
結局「できない」ということになるからです。
それに、失敗してもリカバリーができなかったり
そこそこうまくいって
さらにブラッシュアップしたくても
時間が無ければ無理です。

ちょっと考えたらやってみる。
そこで何かしら分かるので
それをヒントに、またやってみる。

こういうのを早いスピードでグルグル回した方が
得るものは多いし
結果としてうまくいきます。

これをやった結果
「もっと考えておけば良かった」
と考えることもあるだろうけど
その経験を元に
次はどれくらい考えるべきかを決めれば良いだけの話です。

とにかく真面目な学生ほど考えすぎて
実行する前に時間切れになるケースが多いので
もったいないことしてるなぁ、と思っています。

逆に、単に「やる」という面倒なことを最小限にしたいがために
考える部分を引き延ばすケースもあって
何やってんだか
という場合もあるんですけどね。

気持ちは良く分かります。
私もそうでしたし
いまだにこういうのは課題だと思ってますから。