カギはチームワークだ

政治とか国際情勢の話は得意ではありませんが…

戦争も個人と同様だけど
孤立したら負けです。

正義は勝つとか
悪は成敗されるとか
そういうことではありません。

戦争で負けるのは悪い奴だからではありません。
負けると「悪」になるのです。

「何言ってんだ
独裁国家なんて、どう見たって悪者だろう」
とお思いかもしれませんが
彼らから見たら
民主主義国家は堕落した悪者だったりします。

世の中、民主主義陣営vs独裁主義陣営で
異なる価値観でぶつかったりしちゃうもんで
こんなキナ臭いことになっているのですよね。
そんな単純なことだけでは無くて
他にも色々と要因はあるのでしょうが。

興味深いことに
今は独裁国家が微増していて
民主主義国家が微減しているそうです。

あり得ないことかもしれませんが
このまま独裁主義国家が増えていって
民主主義国家が弱小勢力になって
孤立したらどうでしょう?

「民主主義なんてダメじゃん」
ってことになるかもしれません。

さて、人間は社会的な生きもので
一人では生きていけません。

社会に出れば
会社に入ろうが個人事業主になろうが
大抵は、他人や、何かしらの組織との関わりを持ちます。

そこで互いに価値のやりとりをして
仕事が成立するわけです。

存在意義とか存在価値は
いかに価値を発揮するかで決まります。

ただ、その際の価値は
学校で経験するような
学力による単一の価値では無かったりする
というか
むしろ単一では困っちゃうわけです。

世の中では、いろんな能力を持つ者が集まって
相互に補完したり増幅したりして
組織力で成果を出すわけです。

どんなに個人のパフォーマンスが高くても
組織としての力が低ければ勝負になりません。

逆に、個人のパフォーマンスがソコソコでも
組織としてうまくまとまれば
かなりの力が発揮できるはずです。

なので「人間力」が大事だと言われたりするのですね。

個人で事に当たろうとした場合
ライバルが組織だったりすると
真っ向勝負では対抗できません。
なので、組織ではやりにくい戦略を取る
などの工夫が必要です。

それに、個人事業主だって
関係する業者などと良い関係を築けなければ
良い仕事をするのは難しいでしょう。

いくらベンチャー企業が力を発揮する時代になったと言っても
本当の個人だけでは何もできないわけで
なんだかんだ言って
チームワークは重要だったりします。

ですが

学校ではそういうのを経験する機会はほとんど無いどころか
個人で何とかすることばかりです。

当然ながら、学生達もそれに準じた考え方を身に付けます。

で、社会に出て、組織で自分の価値を作っていけるかというと…

そりゃぁ難しいでしょうね。

自分のことばかり考えて
他と同じことを
言われたらやる
って…

そんなことになっちゃってませんかね。

やはり学生のうちに
チームで限界までプッシュするような
そんな経験ができると良いのでしょうね。

でも仮に、そういうのをやらせたら
ブラックナントカ
と言われるでしょう。

今は難しい世の中になってきましたね。

なので、チームワークを高いレベルで醸成するためのことって
学生がやりたいことが対象じゃないと
恐らく成立しないのです。

「考える」

一口に「考える」と言っても
色々あるんじゃないかと思います。

いわゆる机の上のお勉強だけではなく
ものを作っているとき
何かを想像している時などなど
たぶん、脳の使っている部位も
それぞれ違ったりしているのではないでしょうか?

お勉強で「考える」とき
特にやらされているときって
全く創造的ではないでしょう?

あ、こんな切り口で描いちゃう書いちゃうのは
学校の成績にコンプレックスがある証拠なのですけどね。

まぁ、それはそれとして

言いたいことは…
もっと色々やろうよ!
ってことなのです。

だって、学校で色んな科目を学ぶにせよ
何か似たようなことばかりやってませんか?

問題を解くんでしょう?

それ、答えが隠されてるんですよね。
どうなったら正解か、あらかじめ決められてる訳でしょう?

学校には実験とかもありますが
大抵は、あらかじめどうなるか分かっていて
それをやってみる
みたいなことばかりですよ。

そんなことばかりやっていたら
何が起きるかやってみないと分からない
という世界に対応できないじゃないですか。
一番面白いヤツに。

脳ミソの使い方を確定してしまったら
変えられないことだらけになっちゃうでしょう。
可能性がもの凄く限定されてしまうと思うのです。

よく
「学力を向上して選択の幅を広げる」
みたいなことを言いますが
そもそもそれって
学力だけで何とかなるという
ほとんどあり得ない仮想の世界に領域を限定した上で
その中での選択肢を広げるという話であって

学力だけじゃ何ともならない
という実社会に適応した考え方ではないでしょう。

そんなことを考えていると
イチローさんとか大谷選手とか佐藤琢磨選手とか
バイクの世界GPで活躍した日本人選手達とか
本当に凄いな、と思うのです。

「これができればいいんだよ」
なんていうセオリーが無い
何が起きるか分からない世界で
極みに到達しているのですから。

彼らにできたのだから
ウチの学生達にだってできないはずはない。

効率の良いやり方…は果たして良いのか

誰しも面倒なことは避けたいので
何かをやるとなると
最小限の手数で済ませられるようにしたいでしょう。
いわゆる「効率よく」ってヤツです。

そうしている時のゴールは
「早く済ませること」
です。
当たり前ですが。

つまり
「終わらせること」
が、最も欲しい成果だということ。

やることイコール「やらされること」なのであれば
そうなっても仕方ないかもしれませんが
そんな風に思っている時って
当然ながら良いものを作ろうとは思っていません。
そんなことよりも
早く終わらせることが優先なので。

ただ、やることが複数ある場合
優先度の低いものを早く終わらせて
その後の優先度の高いもののために時間を作るとか
そんなアプローチもありますね。

とにかく早く済ませて
その後にブラッシュアップしたいとか。

なので、この場合の「効率」は
なかなか一括りにするのが難しいかもしれません。

では、学びに限定するとどうでしょう?

これまた一括りにはしにくいですが
あえて言うなら…

早く済ませることなどがゴールなら
効率を追求すべきでしょう。

決められた期間内に
一定の知識やスキルを身に付けるとか。

もちろん、そういう場合は
定型的なものなので
目に見えるようになっている
あらかじめ決められたものを覚えるとか
決められたことができるようになるとか
そういった形になりますね。

でもそこには創造性は求められません。

求められないどころか
恐らく余計なものです。
というのも…

「良いものを作る」
というゴールを設定したとしましょう。

「良いもの」とは
今現在、世の中に無いものだったりします。
そりゃそうです。
「すでにあるもの」であれば
それは「同じもの」であって
「良い」わけではありませんから。

それを作るとなると
今までやったことがないことをやるわけで
どうしたら良いかなんて分からないわけです。

となると、どうしなければならないか

想像して、仮定してみて
ダメでもいいからやってみて
その結果を評価して
ダメならやり直す

のようなことをグルグルする必要があるわけで
とても効率が良いなんて言えません。

最終的に終わってみれば
やったことのほとんどは
見た目上、無駄なことだったりするわけです。

過去を振り返ると、そんな判定ができたりするのですが
よくよく考えてみると
そういう一見無駄なことが
「で、次はどうする?」
の元ネタになっているのです。

「改善作業」などはまさにそういうことで
改善するためには
ああじゃない、こうじゃないと
手間を掛けて試行錯誤するわけです。

試行錯誤するということは
未来に採用されるはずの何か以外は
全て無駄なことです。
(本当は無駄にはならないけど
その時は採用されないわけですから)

でもそれは
未来に向けての価値を作るためには必要なチャレンジですよね。

チャレンジということは
リスクを承知でやってみることです。

さて、何となく分かってきました。

そもそも
面倒なことをやったり
リスクを取ったり
それらが価値の源泉だったりするので
当然と言えば当然なのですね。

過度に効率を追求したり
リスクを回避したりすると
良いものはできないってことです。