ダメでもいいからやってみな

夢工房は、学生が色々作るところです。

何も、決められたものを作るわけではなく
何を作るか、どんなものを作るか
そういうところから考えます。

もちろん、ここに集まる学生達は
何かやりたい、何か作りたい
という希望を持っています。

持っているのですが
経験が無さ過ぎて
何をどうして良いのやら
というところからスタートします。

まず最初は頭の中のアイデアからスタートして
最終的には、物体にするわけです。

その途中には
思っていることを見えるようにしたもの

文字の情報とか、スケッチとか、図面とか

そんなふうに
徐々に明確化していくプロセスが必要です。

頭の中の、ボヤーっとしたアイデアから
いきなり物体にはなりませんからね。

そんなことをしている彼らを見ていると
現代教育の問題を目にすることになります。
それは…

一発で正解を出そうとすること
です。

この考え方が実行を困難にして
実現を不可能にします。

まず、頭の中にあるものなんて
曖昧で、わけ分からないものなのです。

なので、ダメかもしれない…というより
ダメを承知で頭から出して
見えるようにして
どうすべきかを考えられるようにする必要があります。

ですが!
「正解かどうか分からないものを描けない(書けない)」
ということになったらどうですか?

そもそも、これから作るもの
つまり、まだ世にないものに対して
「正解」って何だよ?
という話でもあるのですが。

さらに「一発で」が、問題を難しくします。

経験もないのに
一発で決まるわけないだろう
というのもあるのですが

複数のアイデアを比べて
相対的に「良い」が決まるわけで

一個しか無かったら、良いも悪いも無いだろうに
という話なのです。

「ダメでもいいから描いてみな」
と言うと
面白いくらい描けなかったりします。

心のブレーキが強烈に効いています。
「ダメなものを描いちゃダメだ!!」
って。

なので、良い子ほど何もできない
というか、成長が遅い
という結果になります。

こういう状態になってるのって
明らかに本人に原因はありません。
これまでのトレーニングの成果です。

そんな風にものごとに取り組む訓練を繰り返してきて
意識せずとも、そのようなやり方になってしまう。

ダメでもいいから出しまくって
比べて、直して
そうしてドンドン良くしてく
そんな経験が無いのでしょうね。

「正解」は隠されていて
指示された問題を解いて
合っているかどうか答え合わせをする

そんな経験ばかりなのでしょう。

なんて気の毒な!
なんてもったいない!

彼らの心の内にある
そんな世界をひっくり返してあげたいけど
そういうのは他人がやってあげられるものではありません。

「どうしても、それをひっくり返したい!」
と思うようなゴールが必要で
それができる、と思える環境が必要です。

でも、それにも「正解」は無い
ってところが、難しくも面白いところ。

フタを外そう

多くの学生、保護者、学校が望む「学力向上」ですが
どうにも違和感を感じるのです。

もちろん、学力が向上すること自体には
何の文句も無いのですが
恐らくこの場合
「学力だけ伸びればいいのだ」
というニュアンスが強いのではないか
と思っています。

特にいわゆる中堅どころ以下の場合。

違いますかね。

だって、学校ではほとんど勉学しか教えないでしょう?
そりゃ他のこともあるにはあるでしょうけど
いずれにせよ定型的な知識が中心で
それを「やらせる」のが中心ですよね。
決まったことを「やらせる」。

勉学やって成績上げたら良い仕事ができるなんて
そんなの幻想だと思うのですが
どうなんでしょう?

そりゃぁ、中にはそういう経験をして社会に出て
良い仕事をする例も出てくるとは思いますが
そんなのは少数で、ほとんどギャンブルみたいなもの
になっちゃうのではないかと思ってます。

言われたことをやる勉学に馴染めない学生達だって
多くは存在意義が欲しくて
何かしらやってみたいのだと思っているでしょう。

ただ、それにはフタをされている。

「そんなの勉強できなきゃ…」
みたいなフタです。

恐らくそれは
かなり早期にセットされてしまって
創造性などを押さえ込んできたはずです。

そしてそれが習慣になって
本当に創造性が無くなってしまう。

自由に広がっていくのではなく
すぐに収束して狭いところで思考する

そんなふうになっている気がします。

そうなってしまったら
フタを外して際限なく高くジャンプしても良いのに
できるだけ小さく収まろうとする。

それで、勉強さえできるようになれば
将来が明るくとか、安定とか、安心とか…

そりゃ本当なのか?
って思ってしまうのです。

そう。
夢工房は彼らの「フタ」を外したいのです。
それが我々のミッションだと思っています。

環境を作るということ

人の成長には環境が重要です。
学校、学生に限ったことでは無いですが。

その環境は、用意されたものであることが当然
という風潮がありませんか?

ちょっと分かりにくいかな。

「学費払って学校に行っているのだから
ベストな環境がすでにあるべき」

「会社が良い環境であるのは当然で
楽ちんな仕事を的確に指示すべき」

まるで、商品をお金を払って手に入れたのだから
不良品は許せない
みたいな。

で、気に入らなければブラック呼ばわりするとか。

まぁ、分からなくは無いです。

お金を払えばソコソコのものが
当たり前のように手に入る世の中なのですから
そんな風に思う人がいるのも理解できます。

でも、今回言いたいのは

そういうところで環境を作る努力をするのも
良いんじゃないの?

ということであり

それをやったら皆のためになるんだから
自分の価値が向上するので
自分のためになるよね。

ということなのです。

そもそも完璧な組織なんて無いわけだし
自分が所属して、特にやることがなかったら
つまらないじゃん
と思うのですよ。

ただいるだけ
言われたことをやるだけ

そんなんじゃ面白くないでしょう。
成長もできないし。
自分がいる価値とか意味とか無いですものね。

完璧じゃ無いから色々やることができるわけで
そこで環境とか風土とかを自分の手で作り上げることができたら
それは凄い経験だと思うのです。

ここからは想像なのですが

今の日本の学校って
若者を成長させようなんて
思ってないところが多いのではないだろうか
と思うことがあります。
杞憂ならそれに越したことは無いのだけど。

色んな人に文句を言われないように防御壁を張って
学生の頭の中にそこそこの知識を突っ込んで
「よかったね!頭良くなったね!」
で、そこから先は社会にお任せ!
って感じになってないだろうか。

もちろんこれは学校に勤める人間
つまり先生がそうしたいと思って
しかもよかれと思って…

実は学生自身も保護者も
同じようなことを望んでいて
失敗しないように、傷付かないように
頭の中に知識を詰め込んで
「よかった!頭良くなった!
これで楽して稼げる!」
ってやりたかったりしないだろうか。

頭に知識が入ることが成長だと思っていたら
そうなっちゃうかなぁ…なんて。
考え過ぎなら良いのですが。

でもまぁ、我々は我々のやり方でやらせてもらいますよ。
授業じゃないし。

自身の力で作り上げるというチャレンジをして
どこまで成長できるか。

そんな経験が皆のための
何かしらの目安になったら、これ幸い。