見た目の話 3

今回は「見た目」というより
「見えない」話になるかもしれません。

世の中色んな分野のプロフェッショナルがいるわけで
それなりの経験を積まないと
見えない世界があります。

形とか色とか精度とか
分野によって色々です。

私は自分の言うのもなんですが
結構多岐に渡って経験を積んできた方かと思います。

ただし、沢山経験できたのはいいのですが
限られた人生で多くの分野を経験するということは…
それぞれが浅いってことですね(笑)

学生の時分は
レースのメカニックをやっていて
組んだりバラしたり組んだりバラしたり…
手先の感覚はここで磨かれた気がします。
お陰で百分の数ミリの指先の感覚も得ることができました。

これは実際に経験しないと
理屈では分かっていても
「見えない」世界です。

百分の数ミリがどういう結果を及ぼすかを
分かっていなければ意識に上がってこないので
見えないも同然です。

いわゆる超有名なエンジンチューナーの
仕事を見る機会があったりしたのも良い経験です。

で、レースをやってると
何かとお金が掛かるもので
色々とアルバイトをしていましたが
中でも自動車の鈑金屋さんでの経験は貴重でした。

そこで自動車の基本的な構造や部品名を知れたし
鈑金塗装に関する知識
特に形状と色に関しては大変ためになりました。

ボディの微妙な凹凸などは
「直さなければ」
という意識があるからこそ見えるわけで
塗色も同様です。

「あぁ、この白はちょっと黄色いなぁ」
とか
「この青はちょっと赤すぎるよね」
なんて、経験のない人からしたら
一体何を言ってるんだ?
という世界じゃないでしょうか。

その後、紆余曲折を経て
自動車の開発を経験するのですが
その道のプロがいる世界は楽しかったです。
仙人みたいなプロ中のプロがいたり。

例えばボディの設計なんかでは
「合わせ建て付け」
などと言いますが
段差とか隙間の設定は見た目の品質に影響するので
それはそれはシビアにやってます。

ドアの周囲の隙間なんていい例ですね。
ここが狭い隙間が一定に走っていたり
ボディとドアの面がピシッと出ていたり
そんなところに技術レベルの高さが現れます。

「え~?お客さんそこまで見ないでしょう?!」
というレベルまでキッチリやりこみます。

特にモーターショーのショーカーを
やらせてもらったのは良かったです。

量産と違って、職人さんの手作りですから
それはそれはシビアな人達が集まります。

面の段差とか隙間とか形状の狂いとか
まぁ1ミリも狂ってたら論外でしょうね。
コンマ2~3ミリでも
見る人が見れば、はっきり分かるレベルですから。

こういうのって
部分的に、ちょっぴり手を抜いただけでも
全体を見たときに何か違和感を感じるものです。

なので、美しいカッコイイ部品が組み付けられて
ヨシ!できた!
と思っても

「ダメだ。やり直そう」
なんてことが繰り返されたり。

これも、経験や技術があって
その上で目指すレベルがあるからこそ
見える世界だと思います。

よくメカの設計をしていると
設計的におかしなものは直感的に違和感を感じる
と、そんなことがありますが
これも経験があるからこそ
直感が働くということです。

とまぁ、こんな感じで
普通は見えないもの
普通は感じないものも
見えたり感じたりできるようになる
というお話しでした。

見た目の話 2

クルマで「見た目」といえば
まずは外観ですよね。

私は外観を決めるような仕事はしていませんでしたが
一世を風靡したベストセラーのデザイナーさんと
仕事をさせてもらったことがあって
大変勉強になりました。

本来、形状のデザインは
デザイナーさんが決めて
そのデータを設計者がもらって
設計情報を作り上げていく
そんな流れです。

でもあるとき、締切が切羽詰まった特殊な仕事があって
CADを操作する私の隣にデザイナーさんが座って
口頭の指示の元で形状を作り上げる
という仕事をしたことがあります。

一応お断りしておきますが
自動車のボディなんかはこういう荒っぽい仕事はしません。
絶対に。
理由は後述します。

とにかくこの時は
のっぴきならない事情で
やっつけ仕事をしたのですが
その時に色々と「見え方」についてのノウハウを聞けたのです。

一つだけ例を挙げましょう。
設計者は幾何学的な形状に拘って信じていますので
デザイン的に平らにしたいところは
設計的に平面にしてしまいます。

ところが!

立体の製品
特に曲面で構成された製品の一部の形状に
本当に平らな面を組み込むと
平らには見えず
窪んで見えるんですね。

実際に平面であるかどうかは問題ではなく
「どう見えるか」

が大事なのです。

そりゃそうです。

いくら設計者が
「平らです」
と言ったところで
見ている人が
「窪んでいる」
と認識したら、それは窪んでいるのです。
目の錯覚だろうが何だろうが
そう思ったらそれまでです。
製品は、それを受け取る人がどう考えるかが全てなのですね。

そんなのは当たり前のことなのですが
数字とか理屈だけで仕事をしていると気付かないもので
その時の私には衝撃でした。

ちなみに
そんな状況で平坦に見せたければ
微妙な凸面にすればいいのです。

こんな話もあります。
私のボスは高級スポーツカーの開発チームで
仕事をしたことがあって
デザインにも造詣が深い人でした
そんなボスから学んだこと

3Dモデルでカッコイイものはカッコイイとは限らない
というか、大抵カッコ悪い

おお、なんてことでしょう!
でもこれ、本当です。

CADの通常の表示は平行投影法といって遠近感を表現していません。
遠くのものも近くのものも同じ大きさで表示します。
これで形状を決めちゃうと
実物にしたときに、おかしな形状になっています。

人間のものの見え方は「目玉」の点から放射状に
というか円錐状の視野を持っていて
画面の表示とは根本的に異なるのです。
これに加えて見ている人の視座と視点の位置関係もあったり
とにかくCADとは見え方の条件が異なります。

実はCADにも「点」の視点から
円錐状の視野を設定してモデルを表示する
という機能があったりしますが
それでもやはり実物を見るようにはいきません。

なので、外観を決めるデザイナーさんは
スケッチからクレイモデルを作って形状を確認します。
デジタルデザインだけでは製品にしません。

検討段階では、縮小モデルを使ったりもしますが
最終段階のクレイモデルは実寸です。
それを使って、粘土を盛ったり削ったりして
微妙に調整していきます。
もちろん、そういうことを専門にやっている人がいます。

で、実寸モデルができたら
それを三次元スキャナーで測定してデジタルデータにします。

それを設計者が受け取って
各部品を設計していく
という流れです。

おまけの話ですが
日本を代表する
世界的に有名なプラモデルメーカーが
あるスポーツカーのモデルを発売するときに
その実車のデザイナーさんを会社に招待したんだそうです。

プラモデルを作るに当たっても
形状を決めるために
クレイモデルを使うようです。

で、実車のデザイナーさん
プラモデルのベースとなったクレイモデルを見るなり

「こうじゃないんだよなぁ」

と、削り始めたそうです。

このプラモデルメーカーの製品は
超リアルなことで有名なのですが

実はリアルに見せるにはノウハウがあって
「リアルに見えるように」
デフォルメをされているのだそうです。

要は、実車を忠実に12分の1とか24分の1にしたら
リアルに見えるかというと
決してそんなことはない
ということです。

ヘタすると
ちょっとイケてないモデルのメーカーの方が
実はリアルな形状だった
なんてこともあるようですね。

そんなふうに色々あって
見た目の世界は深いなぁ
と思った次第です。

見た目の話

世の中の多くの製品はCADで設計します。
コンピューターで図面を描くためのソフトですね。
(CAD:computer-aided design
コンピューター支援設計 キャドと発音します)

このCAD、昔は単に平面の図面を描くためのものでしたが
そのうち三次元の立体モデルも作れるようになって
今や立体のデータを作ったり
それを元に様々な解析ができるような追加機能を持っていたりします。

私は二次元から三次元への移行期で仕事をしていましたので
色々と知ることができました。

当時は、あちこち余計なところに首を突っ込んで仕事をしていたので
CAD自体の開発や管理に関わる方
ベテランのデザイナーさんなど
いろんな方と仕事をさせてもらったのは良かったですね。
多くの発見がありました。

そうそう
英語でDesignというと
機構などの設計も外観を考えるのも全て含みますが
日本語でデザインというと
普通は外観を考えることを指します。
ジュエリーや服飾デザイナーは
設計者とは呼ばれませんものね。

なので、英語ではメカを設計する人も
見た目を考える人もデザイナーなんですよ。
面白いですね。

目に見えるものに関して
我々の脳がしている凄い仕事についてお話ししましょう。

「見える」
というのはどういうことなのでしょう。
私は医学とか人体の専門家ではないので
ざっくりいきます。

映像が目のレンズを通して
球面状の目玉の内側にある網膜に投影されたものが
視神経から脳に送られて処理しているのですが
このとき網膜に投影された映像は鏡像です。
つまり上下左右が入れ替わっちゃっている映像です。
このひっくり返っちゃっている映像を元に
我々は目に見えるものを認識しています。

さらに、映像は
球面上の網膜に投影されるので
直線的な形状をしたものは
真っ直ぐな形に投影されません。

なので、直線的な形状をしているものは網膜上では曲線になっているのです
それを脳の補正で「これは直線だ」と認識しているのです。

もうこの状態だけでも
脳ミソの働きが凄いと思っちゃうのですが
私が脳による補正を実感したのは
こんなことがきっかけでした…

今から30年くらい前
それまで仕事に使っていたコンピューターのディスプレイは
ブラウン管だったのですが
液晶ディスプレイが登場しました。
平らで薄いディスプレイを見たとき
「未来が来やがった!」
って思っちゃいましたね。

ちなみにCADで使っていたコンピューターは
パソコンではなく
エンジニアリングワークステーションと呼ばれる
1台何百万もするデカいマシーンで
ソフトウェアも含めると
1セットでフェラーリが買えると言われていました。

さて、ブラウン管の表示面は
ゆるい球面になっていますが
直線形状を表示しているときは
何の疑いもなく直線に見えていて
もちろん業務上も支障がなかったのです。

対して液晶ディスプレイの表面は平面です。

そんな液晶ディスプレイに置き換わったらあら不思議
直線であるはずのものが曲がって見えるのです。

曲面のブラウン管に表示された直線は曲がっていて
平面の液晶ディスプレイに表示された直線こそ
本当の直線のはずなのに。

これ、脳の補正が効いたままになっているのですね。
ブラウン管のときの
「画面に映るコレは直線なのだ」
という補正が効きっぱなしになっている状態だとこうなるのです。

もちろん、そんな環境で仕事をしていると
液晶ディスプレイに、表示された直線を
ちゃんと直線だと認識できるようになって
逆にブラウン管のを見ると
曲がっているように見えるようになるのですが

これは、自分の周囲の環境や目の構造など
物理的には何も変わっていなくて
自分の脳内の認識だけが変わっているのですね。

というわけで
一口に「見える」とは言っても
どのように見えているかなんて
人によってはもちろん
環境や、それこそ
マインドとかスキルとか
いろんな影響で変わったり違ったり
ってことがあるんだよね
というお話でした。