面倒なことを無くしたい…?

最近では、ユーザーの行動や嗜好を元にネットが提案してくれるわけで、自分の楽しみさえシステムが決めてくれるようになってきていると言っても良いでしょう。

余計な手間が省けて、とても楽ちんな時代になってきています。

ネット通販が発達してきたので、わざわざ買い物に出かける必要はないし、店員さんとのやりとりは不要で、色々我慢することもなくなる。ネットでポチればお買い物完了。

ガソリンスタンドはだいぶ以前からセルフ化が進んでいて、最近ではスーパーやホームセンターなどでも無人レジが増えてきました。
会計は自分でやっているにもかかわらず、なぜか楽チンな気がします。気が楽なのでしょうね。
で、それは、消費者側も供給側も同様でしょう。

そんな感じで面倒が減っているように感じます。

果たして「面倒」の正体はなんだったのでしょう?
人間間のやりとり、つまりコミュニケーションだったのでしょうか。
そうかもしれません。

でもこれ、なんか危うい気もします。

どういうことかというと、ものを売ったり買ったりするのは、人間同士の関係だということは会計方法にかかわらず変わらないはずなのですが、売る側、買う側相互に、相手に人としての価値を感じにくくなってしまうのではないかと思うのです。
価値の源泉は「人」のはずなのに。

面倒なことを削減するのが進歩だとしたら、それを追求していったら残るのは何だろう?

多くの場合、というか大抵は「面倒」の中には何かしらの価値が隠されています。
効率化を選択すると、失うのは面倒の中にあった価値なのかもしれません。

そんなことを考えていると、大きな意味での「サービス」は、今後は二極化していくのかなぁ、とか、そのうちお金を払って面倒なことをする時代が来るのかもなぁ、なんて思うのです。

勢いのあるヤツには敵わない

先日、卒業生が夢工房に来てくれて色々話ができました。
日々楽しく仕事できているようです。
良かった良かった!!

彼曰く

「勢いがあれば何でもうまく行きますね!」

チャンス(かもしれない)と見れば
「あ、それやります!」
で、うまくいっていて
面白そうな仕事に次々に関わることができていると。

そりゃそうだ。全くもってその通り。

大抵は、チャンス(かもしれない)ものが来た時に
「できるだろうか?」「失敗しないだろうか?」
とか
「(自分が)得するだろうか?」「(自分が)損しないだろうか?」
みたいなことを考えちゃうんですよ。
で、やるかどうかを考える。

それが普通と言えば普通なんですけどね。
でも、そんな風に損得を考えている間に
チャンスは走り去ってしまいます。

それに、勢いがあるヤツって
ちょっと躓いたくらいじゃ諦めないから
最終的にはうまく行く
というか
うまく行くまで諦めなければ
うまく行くのは当然です。

そして、チャンスに即反応できるヤツって
期待できるんですよね。

なので、チャンスがそこに集中するのは当然です。

そして、そんな風に動くヤツは
経験の数がドンドン増えていくので
パフォーマンスがグイグイ伸びていきます。

そう考えると
早く成長するためのロジックって
実に単純なのだけど
そのための理解を妨げる先入観があります。

何だと思いますか?

「それには能力が必要だ」
という思い込みです。

一見もっともらしいですが…
では、能力がある人間が
そもそも初期段階において
能力を手に入れるためにどうしていたでしょう?

経験が必要ですよね。

やらないと分からないことに囲まれた世界で経験を積むには
やるしかないのですよ。

やらないと分からないことに対して

「分かったらやろう!」

なんて考えるのはナンセンスではないですか?

人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる

「人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる」
と言いますね。
聞いたことありませんか?

最初に言い始めたのは
アンソニー・ロビンズという
アメリカの作家さんのようです。

この言葉の解釈とか真意については
ご本人の著書などをお読みになるのが良いかと。
私、読んでませんが。

「人生の質は、あなたが自身に問いかける質問の質で決まる」
というのは
ChatGPTとのお付き合いをする際に
まさにそういうことになるわけです。

特に
「問い掛ける質問の質で決まる」
この部分です。

どういったことを
どのように聞くかによって
ヤツの挙動が変わる
というか
アウトプットの質が決まるからです。

で、今回ネタにしたかったのは
残念ながらChatGPTではなく

「あなたが自身に問いかける」

の部分なのです。

自分の思い、考え、言動
それらに加え、過去から現在、そして未来
そんな諸々が記憶や想像として
我々の頭の中にあるのですが

そういった有用なリソースに対して
「自身に問い掛ける」
ということをしているだろうか?
ということです。

未来の想像に対しては
それを実現するためには
どうしたら良いのだろう?

それに対して現状はどうだろうか?

と、そういう問いかけを自身にしていますか?
というお話しです。

ただし、過去のリソースにばかり着目して
特にネガティブな経験に着目したりすると
そこに問い掛け続けても何も起きないどころか
病気になっちゃいますので

それを元に未来に向けて
「で、どうする?」
とすることが大事だったりします。

それができていれば
結構な確率で思った通りになる
そう思ってます。

その辺はまさに
「問いかける質問の質」
ではないでしょうか。

仮に現状、自身への問いかけの質が低かったとしても
実行結果のフィードバックをしながら継続していけば
きっと質は向上するでしょう。
なので心配無用。

むしろ、うまく行こうが行くまいが
トライしてみた結果さえあれば
フィードバックの材料になるのだから
行動によって問いかけの質の向上ができる
という言い方もできるでしょうね。

こういうのを継続して習慣化する
それが大事なのだろうなぁ
なんて思っています。

そんなの当たり前だろうって?
そうかもしれませんね。
でも、念のために記事にしてみました。