習慣は手強い

何度か
いや、何度も習慣についてはネタにしてきました。

やっていることが
うまく行くも
うまく行かないも
習慣によるところが大きいのだよなぁ
なんて思います。つくづく。

分かりやすい、よくある例があります。

親が子供に
「勉強しろ」
と言うのは、その親が子供の頃に
そう言われて育ったから。
そうじゃないですか?

ここで言う「勉強」って
机の上でやる、形式知のことです。

もちろん勉強するって大事です。形式知だろうと。
でも、言われてやって
うまいことできるようになるのって
ごく稀な話じゃないでしょうか。

だって、今まで見てきた
前向きに進んで勉強するヤツって
親から「勉強しろ」なんて言われてこなかったのが多かった
というか、そういうのがほとんどでした。

好きなことに対して一直線なタイプも
親が凝り性なタイプだったりします。

自分の場合はどうだったのかな?

私の場合、親は完全に反面教師だった気がします。
なので、反動が強力で
親が望む方向と逆方向に全力疾走するような
バカな少年でした。

ただ、やはり親のやり方の影響は受けていたようで
その呪縛を時間をかけて解いてきたつもりです。

こと習慣から発する負の環境に関しては
視座を変えて、視野を広げて
自分の状態を客観的に見て
理想を考えて…

なんてやり方を繰り返して
新しい習慣として上書きしようと頑張ってるわけです。
まだ先は長い気がしますが。

習慣について考えるたびに思うのは…

「言われてやる」
なんてのは
ロクなことにならないよなぁ
ということなんですよ。

それはもう色んな意味で。

でも特に問題なのは
常に心の片隅に
「できればやりたくない」
が生まれてしまうことです。
そして、それが発動することが習慣化してしまう。

なので
好きなことを好きなだけやって
苦労でも、恥ずかしい思いでも何でもしてみれば良いんですよ。

やらないと分からない暗黙知を得る
勉強の再定義です。

その方が、深みのある面白い人間になるだろうし
仕事も面白くなるだろうし
少なくとも後悔の無い人生になるのは間違い無い。

夢もチャレンジも無い人生なんて
一体何のために生きてるのか分からんじゃないですか。
そう思います。

あ、でも
躾けは大事だよなぁ
と思います。

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