簡単な価値のつくり方

将来が心配?
就活とかね。

何かしら
うまく行くようにしたいことがある?

いい解決方法がありますよ。

そういうのって多くは
自分と外との関係に基づくものです。

自分の内的なものって
そんなに悩んだりしないでしょう?
だって、やればいいだけだから。

自分と外との関係に基づく問題の根源の多くは
自身の価値に繋がることではないですか?

もちろん
その価値は対外的なもの。

人の個としての価値は
いかなる場合においても厳然としてあるのだけど
それとは別の話です。

これ結構簡単な解決方法があるのですけど
意外とみんな気付かなかったり
やりたがらなかったりします。

面倒なこと
人がやりたがらないこと
人が気付かないことを
やりまくってみたらいいのですよ。

別に難しいことじゃなくてもいいのです。
でも継続は必要ですね。

そういうのって価値の原点ですから
それに気付ければ上等です。

仕事の価値と「ありがとう」

仕事は価値を他に提供するわけで
それを受け取ってくれるのは
ありがたいことです。

で、受け取ってくれた方も
「ありがとう」なら
双方ハッピーとなります。

相互に感謝できるのが
良いビジネスですね。

価値を提供された側は
ありがとう
と言われれば
それは気持ちが良いでしょうし

提供した方は
ありがとう
と言われれば
「よーし!次も頑張っちゃうぞ!」
となるでしょう。
(これ、超重要!)

なので
ありがとう
は、提供する側も
される側も
双方が言えれば
世の中ハッピーになりますよ。

ありがとう

ありがたい(有り難い)

その語源は

有ることが難しい
珍しいこと
めったにないとこ

自分にとって得難いものが得られたよ!
といった感じですね。
価値を認める
感謝の言葉です。

サービスを提供してくれた相手に言えば
「あなたには価値があるよ」
ってことになりますね。
価値を認められるというのは嬉しいことです。

ところが
ありがとう
は、代金を受け取る側が言うことだ
なんて風潮はありませんか?

先進国に限らず
大抵の国では
お客さんだって会計後に
ありがとう
って言ってますよ。

こんなに言わないのは日本くらい?

店員さんが
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
って言っているのに
終始無言で店に入って出て行く。

そんなこと無いなら良いのですが。

たとえこちらが代金を支払うとしても
サービスを受けたら
ありがとう
で良いんじゃないでしょうか。

そうしたら相手だって
気持ち良く次の仕事ができますよね。
( 何度も言いますが、これ、超重要! )

それぞれの
ありがとう
の一言が
次へ次へと良い仕事を繋いでいく
そんな風になると良いですよね。

世の中便利になると
何でもそこら中にあるもんで
「有り難いもの」
が少なくなって
感謝する必要が無くなっている?

価値のインフレ?

だとしたら
便利な世の中ってのも寂しいものですね。
縮小するのも必然です。

と、こんなことを言うのも
あるとき気付いたんですよ。

「あれ?ありがとうって言ってないぞ」
って。

もちろん今では言ってますよ。
コンビニだろうがスーパーだろうが。

こんなのは小さなことかもしれませんが
ちょっぴり世の中を良くできると思うのです。

日本は先進諸国の中でも生産性が低いとか言われますが
同時に寄付行為も少ないのです。

ひょっとして、他に対する価値の提供や
それを受け取った側からの感謝(これも価値)が
うまく回っていないということではないでしょうか。

生産性向上や労働時間短縮なんかも結構ですが
その前にやれることはあります。

サービスだって製品だって
我々の心から発しているものだということをお忘れ無く。

学生の能力評価 価値ってなんだ?

今も昔も
学校では既存の成績表に表された数字や記号で
学生を評価しています。
いわゆる定量的な評価ってヤツです。

この数字のもとになっているのは
授業における勉学の成果
主にテストやレポートの点数です。

ではそれが
社会における評価に直結するのか?
言うまでもなくノーでしょう。

この勉学における学力の高さは
言われたことを
決められたやり方で実行するタスクにおいては
とても有効かもしれません。

たぶん
高度成長期の日本の産業界などは
そういう仕事も多かったのではないでしょうか。

かつては日本の人件費は安かったので
ドバドバ作りまくって
ガンガン売りまくるようなやり方で利益を得ていました。

そういうやり方をする場合
ある一定以上の
特定の能力を持った者が
大量に必要になります。
それが利益に直結するからです。

でも今は違うし
これからも違う。

現に
経団連の新卒者採用に関するアンケートの
「選考に当たって重視した点」
では
10年も前から(それ以上前から?)
コミュニケーション能力
主体性
チャレンジ精神

などが上位に並んでいます。

各種の学力や出身校なんて
ずーっと下位に沈んだままです。

でもランキング上位に並ぶ重要な項目を
学校で身に付けられるような教育は実施されていません。

だってそういうのって
定量化して評価できないし
そういうのをノウハウ化するのも大変。

結局のところ
人の能力とか価値なんて
定量的に評価なんてできないんですよね。

誤解のないよう言っておきますが
学力大事です
でもそれは
能力を構成する一部にすぎません。

仮に
コミュニケーション能力
主体性
チャレンジ精神
などを評価しようとするとどうなるか

それは主観的な評価になってしまうでしょう。
誰が見ても同様に評価できるような定量的な
いわゆる公平な評価にはならない。

でも
そもそも世の中そんなもんでしょう。

スマホや車だって好き嫌いがあって
個人の主観で良いだの悪いだのって話になる。

数値的な性能が高くても
価値が高いとは限らない。
価値が高い製品が
高い数値持っているケースはありますが。

民主主義だって
投票とか数値化されて動いているように見えるけど
実はやはり選挙の結果とかなんて
好きだの嫌いだのの集合体でしょう?

ちょっと乱暴で極端なことを言わせてもらうなら

成績表なんて
やめちゃうのもアリなのかも

と思います。
評価のオプションとして学業の成績は
参考になるとは思うけど。

正直なところ
もっと多様性があっていいと思うんです。

「自分は勉学のみで行く!」
と決めたらそれでも良いだろうし
「クリエイティブなことで勝負したい!」
でも良いだろうし。

学校では
言われたことをやることだけが評価されて
社会に出ると
言われてもいないことをやるのが評価される
この逆転現象は
どうにかならんものかと思います。

大学と言わず
学校組織は
まだまだ工夫できるんじゃないかな
と思います。

チャレンジして
その結果で人を
ワクワクさせたり
安心させたり感心させたりできたら
それこそが価値でしょう?

どれだけ人の心を動かせるかが
その人の持つ価値の大きさ
なのではないかと思うのです。

なので
就活だったら
学生によるチャレンジの成果を外に向けて発信して

「あ、キミいいね!
うちにおいでよ。一緒にやろうぜ!」

というような採用が行われるようになったら
世の中もっと良くなるんじゃないでしょうか?

アメリカを始め先進諸国のFormula SAEの
大会会場はそういう場になってますけど
日本では難しいのかもしれません。
でも変わっていくといいな。

一応、念のために言っておきます。
(よく誤解されるので何度も言ってます)
勉学が不要とは決して言いません。
人の心を動かす材料の一つとして重要です。
ですが
決してそれが主役ではありません。

私の前の仕事でのお話をしましょう。
設計の現場で
ある新人君が先輩に怒られていました。
学歴を笠に着るような
先輩の気に障る言動をしちゃったんでしょうね。

「おめぇ、東大出てんだってな?
だからどうしたってんだよ!?
で、おめぇ何ができんだよ!?」

それを聞いて私は
拳を握りしめて感動していました。
30年近く前のことですが
今でも鮮明に覚えています。

「おぉ!学歴関係ないのか!
できれば認めてくれるのか!
こりゃ面白ぇことになってきたぞ!」

そこから仕事に気合いが入って
一層面白くなって
結果が残せたのは言うまでもありません。
ごめんね東大君。

一応言っておきますが
東大が嫌いなわけでも
馬鹿にしているわけでもありません。
(むしろバカは私です)
例として引き合いに出す場合に
分かりやすいんです(笑)
あしからず。

ただ、自分のところの学生には
何か東大生にも負けないことを
身に付けて欲しいとは思ってますけどね。

もちろん
それは数値化できないことです!

我が東京電機大学はそういうのは強いんだぜ!

「技術は人なり」