時代は巡るのだ

当然のことなのだけど、忘れられ、意識されていないこと。
資本主義だって、自由主義だって、政治だって、経済だって、人が考えたシステムは完璧では無いし、絶対的なものでもない。
地球の歴史、人類の歴史から言ったら、誤差みたいについ最近に誕生したもので、いずれは終わり、きっと新しいものが生まれる。

成長していずれ滅びる、それは必然。
今あるものの終わりは、楽しいものになるかもしれないし、辛く悲しいものになるのかもしれないが、新たなものが生まれるためには必然のプロセス。

この世の全ての物事は移り変わってしまい、一定では無い。
終わりの時、変化の時はいずれ必ず来る。
そして今現在もそのプロセスの途上にある。

変えたくないし変わりたくない
現状に拘り、とらわれてしまって無意識で自然とやってしまうのだけど、そのとらわれる心が恐れとか苦悩を生むわけで、それによって変わりたくない気持ちが強化される。
でも、そこにとらわれているうちはループから抜け出せない。

どうせいずれは変わらなければならないのだから現状に執着するのは無駄なことで、とらわれから解放されて自由にならないと明るい未来には行けないのでしょうね。

あとは、待ちの姿勢で変化を受け止めるのか、それとも自ら掴みに行くのかの選択も大事。
それは自分次第だけど、その思いや気持ちに気持ちによって未来が変わるというか、決められるものでもある。

そういうの、分かってはいるけど、いざやるとなると難しいことですよね。

と、そんなことを考えていると、仏陀は良いこと言うよなぁ。凄いなぁ。なんて思うのです。

諸行無常とか、色即是空 空即是色なんて、まさに真理ですよ。

成績って何だ?

いわゆる能力主義だと成績が気になるのだそうです。
そうでしょうなぁ。

そもそも、成績って何ですか?
数字ですね。
能力を数値にして可視化されたものです。

それは一体どういった能力ですか?
記憶力とか、計算する能力とか、いわゆる論理的思考力ですかね。

そういう能力があるのは結構なことです。

ですが、それのみってのはどうかと思うのです。
だって、論理的思考力の能力を数値で、となると、答えが合ってるか間違ってるかという話になるでしょう。
というか、それしかないわけですよ。

でも、そういった能力って、社会で仕事をする上で必要な能力のごく一部なわけで「それがあれば他は知らん」というより、「それだけあれば良いのだ」となっている現状はどうなんだ?と思います。

そんな単一の尺度や可能性のみに準じて努力しても、なんだか未来は先細りな感じがしちゃいませんか?

もちろん、そんな皆さんを受け入れる社会の側(会社と言った方が良いのかな?)も、そんな狭い価値観にとらわれて、似たような経験しか無い新人を採用して育成して行くのも限界があるでしょう。

社会に出て
成績とか学歴とかを言われたところで
「で、何ができんの?」
という話になってお終いなのですけどね。

本当は、色々な経験や価値観を持った人達が集まって、力を合わせて大きな何かをつくっていくような未来が良いと思うのですが、そういった不確定な、何が起きるか分からないのは不安でダメなんでしょうかねぇ。

だれか強力な指導者(支配者)が絶対的な答え(命令)を持っていて、それに従えば安心?
それもあるけど、まぁ楽なんでしょうな。
大事なところは指導者に判断を任せられるし
何かあっても、その指導者のせいにできるし。

でもそんなのつまんないんですよね。

なので、自由で面白いやり方を模索していきますよ。

結局は習慣か

何をどうするか、どうしたいのか

理屈でその辺を考えたところで、それなりにそれっぽい着地点は考えつくかもしれません。
でも、それができるかどうかは別問題。

その「できるかどうか」を頭の良さとか、リソースとか環境のせいにしたりなんかしますよね。

でも、大抵は違う。
そういうもののせいではなくて、凄く根本的なところで無意識に判断してしまうことができない原因になっている事が多いと思っています。

できればやりたくないとか、楽したいとか
そんな感情というか価値観が自動的に発動してしまって、それが原因で「やらなくて済む」行動に直結している。
そんなことがよくあります。

これ、単なる習慣なのですけどね。もったいないことです。
まぁ、「単なる」と言うには手強いかな。
でも、所詮は習慣です。
どうするかは自分次第。