感情の正体

不安を感じるのは
脳内の分泌物が原因だそうです。
快楽を感じるのも同様ですよね。

それぞれ異なるある特定の分泌物が出たときの反応が
不安だったり快楽だったりということなのだそうです。

分泌物に対する反応は生物学的というのでしょうか
物理的なものと言って良いのでしょうか
そういうのは良く分かりませんが
分泌物の名称も含めてどうでも良いのです。
専門じゃないから(笑)

さて、その分泌物による反応に対して
どう思うかは各人自由に決められるのではないか?
というのが今回のお話しのスタート地点です。

「分泌物が…」とか「化学物質が…」
とかいう話になると
「じゃ、しょうがないよね」
みたいなことになりそうですが
そうでもなくて
実は結構個人差がありますよね。

例えば、「辛い」という味は
実は味覚ではなく「痛み」だそうですが
辛い食べ物を嫌う人がいたり
好きな人がいたりします。
こういうのは直接的な反応だからちょっと違う?
でも、それを苦痛と感じるかそうでないかは
似たような反応なのではないかな。

あることが起きたとき
恐れる人もいれば喜ぶ人もいるわけで
恐怖や不安を煽る
ホラー映画が大好きな人もいるわけです。

ピンチでワクワクする感覚なんてのは
似たようなものなのかもしれません。

ピンチを単に恐れたり
それをチャンスと思えたり
そんなのも人それぞれですから。

あれ?
不安を感じるのは不安を感じる分泌物が分泌された後なわけで
それは不安を感じなければ分泌されないわけでですよね。

ということは
「不安」を感じる可能性のある事象を認識する時点で
受け止め方が違うことによって分泌さるかされないかが決まる
ということになりますね。

なので、分泌物に対する反応という話では無いようですね。

不安を感じる可能性のある事象に対する
受け止め方が問題になるのであれば
その事象に対する理解というか、考え方次第ということで
それは自分で決められるということになりますね。

考え方を変えればいいということです。

まぁ、「そんなの決められない・変えられない」と思ったらそれまでですが。

ほら、これでまた自分自身のコントロール掌握へ
一歩近づいた気がしませんか?

教育も変わらねばならんでしょう

大学入学共通テストなんてのを毎年やってますね。
私は毎年、試験監督として関わっています。

規模も内容も大変なイベントですよ。
まぁ、効率を求めるとああいう形になるのでしょうね。

でも、あれでいいのかな?
と思ったりもします。

あの試験でうまくいくと
人生うまくいくのか?
と。

あの試験でうまくいく人が
多くを幸せにするのか?
と。

昔は良かったのかもしれませんけど。

ちょっと前の話ですが
世界規模で超ビッグなビジネスをしている
ある有名企業が
今後の求人では大卒・大学院卒ではなく
高卒・高専卒に力を入れていく
と言い始めました。

これはあまり外に出ていない話で
もちろんニュースなどにはなっていませんが。

うん、分かる。

もういい加減限界なんですね。

学力という形式的な知識を得ることに特化した若者が
開発業務に適応できないことが分かったのでしょう。

だったら
そういうスタイルに染まる前の
真っさらで素直でパッションに溢れた若者が良いということでしょう。
その方が可能性がある
と。

それを社内で育成していくということでしょうね。
体力のある会社だからできることではありますが。

これがうまくいき始めると
流れが大きく変わりますよ。

学校は大きく変わる必要に迫られるはず。

ひょっとしたら
既存の学校の枠にとらわれない組織が生まれるかもしれません。

そもそも
何事も変化が無くそのままで
永久に情況が保たれるなんてことはないので
いつか必ず変化の時がやってくるのです。

私のような大したことがない人間が
なぜ偉そうにこんなことを言えるかというと
常識だからです(笑)。

多くが今のままで永遠に継続できる
継続すると思い込んでいたりします。
あらゆることに対してではなかったりしますが
ある特定のことについてはそう願っている場合が多い。

教育なんてのはまさにそういうものですよね。
世の中は、その時々によって
大事なものが変化したりすることがあるわけですが
その大事な何かのためにやっているのですから
その「何か」(目的)が変われば
やり方(手段)も変えざるを得ません。

何のためかは良く分からないけど
手段を積み上げれば
何か目的ができるだろう
みたいな今のやり方はボチボチ限界でしょう。

何のためか良く分からないことをやっていても
楽しくないので成果は上げられないし

そんなことでも我慢してやれば
将来の選択肢が増えるよ
なんて理由は成立しないのではないか
と思うのですが
どうなんでしょうね。

色即是空 空即是色

色々あるけど正解は一つじゃない

たまに思うのですよ
独裁政治の国に生きている人は幸せなのかと。

我々の側から見ると
窮屈で困難そうだけど
そこに住んでいる人は
まんざらでもなかったりするのではないだろうか。
そもそも価値観が違うというのもあるでしょうから
単純比較は難しいとは思いますが。

独裁制の場合、統治者が決めたことをスピーディに実行できる
というメリットがあったりします。
この辺は自由主義国にはマネできないでしょう。

厳しい自然環境で生活する場合
強力な権力を持った少数が統治した方が
メリットがあるのだと聞いたこともあります。
確かに独裁制の国は厳しい環境に多いのかも。

そんなふうに
デメリットもあればメリットもあるのですね。

とはいえ、独裁制の国に住みたいとは思いませんけどね。

でも、向こうから見れば
こっちが不幸な国に見えるのかもしれなくて
「あんなところには住めない」
と思っているかもしれませんね。
自由主義国ならではの
しょうもない事件なんてのは
独裁制の国に住んでいないと分からないのかもしれません。

独裁にしても自由にしても
いずれもプロパガンダが効いている気がしなくもなくて
本当のところは行ってみないとよく分からないのかもしれません。

ベトナムなんて社会主義国だけど
行ってみたら、なんとなくホノボノしてるような雰囲気でしたし。
あそこは独裁ではないのかな。

そうそう、プロパガンダといえば
昔エジプトに行った際に
お土産物屋で値引き交渉をしたら
「安くするから、みんなに俺の店をプロパガンダしろ!」
と言われたのを思い出しました。
そうか、あなたたちはそう言うのか(笑)
これはどうでも良い話だけど
プロパガンダで思い出した愉快な思い出。

何が言いたかったかというと
正解とか不正解とか
答えは一つではなかったりするよね
というようなことなのです。

でも、学校教育は正解がなければならない世界
そうしておかないと評価できないから

なので、学校で普通に学ぶと
課題には正解があるのだという考え方になる
それは当然。

でも、多くのことには
メリットもあればデメリットもあったりするのが普通で
「何のためにどうするの?」
というようなことが重要なのですよね

というようなことが言いたかったのでした。

ものを作るのも同様で
正解なんてそもそもありません。
それは自分で作るものですから。