仕事のお話@学校

大学にいると
就職に直面した学生にも接するわけで
色々考えるわけですよ。

そもそも不思議なのは
仕事って他人のためにやるものなのだ
とか
人を喜ばせてナンボだ
という本質的なことは
不思議なことに学校では教わりませんよね
ってこと。

ですよね?
教えてるところもあるかもしれませんけどね。
でも、ほとんどの学校ではそんなこと教えないのでは?

結果、学生達は
「どんなことをしたら(自分が)儲かるか」
とか
「(自分が)就職するためにはどうしたら良いんだろう」
ってことを考えている。


「これからの仕事のトレンドは何だろう?」
(そして「それは自分にできるだろうか」と続く)
とか
「資格を持っていたら就職に有利かなぁ」
(そして「何も資格がない自分は大丈夫かなぁ」と続く)
とか思い悩む訳なんですね。

就職を前にして考えていることは
心配ごとばっかりな訳ですよ。
そりゃうまくいかねぇだろうなぁ
と思います。

だってそうでしょ?
仮に就活で面接したって
自分が儲かることばかり考えてたり
心配で心配でしょうがない
そんなの(っていったら失礼ですが)を採用したくはないでしょう。

まぁ、うまいこと演技して会社入っちゃうこともあるかもしれないけど
(大抵はバレますが)
問題はその先ですよね。

でも
そうなっちゃうのは当然といえば当然で
仕事の本質
というか
構造みたいなものを
ちゃんと学校でちゃんと理解させているかといえば
そんなことはないですよね。

とここまで書いて思い出しました。

確か社会の授業かなんかで
「労働の提供と対価」とか何とかやりましたわ。やった!
ちっとも理解してなかったけど。
ということは
今もきっとやってるんでしょうね。
でも、本質が理解されてるかは疑問です。

「労働の提供と対価」
かぁ
この表現良くないなぁ。
仕事って、やらされるもんだ
っていう空気感に満ちてませんか?
「食うために仕方ないから我慢してやるもんだ」
という。

じゃぁ、収入って「我慢代」か。
大学出て40年以上我慢し続けて人生終えるのか。
そりゃぁ大変だなぁ。

何のためにどのように仕事をしようと
それは人の勝手といえば勝手ですが。

「労働の提供と対価」
じゃなくて
「価値の提供と対価」
の方がすっきり理解できそうな気がしますね。

仕事って
「相手が喜んでくれる価値を提供して、それに対する対価を受け取る」
ってことでしょう?
それが本質でしょう?

嫌々我慢して生み出した何かに対価を払う
って誰もやりたくないでしょ。

食うために仕方ないから仕事する
ということが仕方ない場合もあります。時として。
それは実体験もあるので良く理解できる。
色んな仕事したから。
無職も数回やったし。

でも、そういう姿勢で仕事の成果を生み出すと
その価値は最小限になっちゃうよね
ということが言いたいのですよ。

同じやるなら
パッションでしょ!
お客さん喜ばせちゃうぞー!
という。
それこそが価値の最大化の根源ではないかな。

基本的には
どんな仕事でもそうでしょう?

まぁ、好き好んで大学に行ってるわけだから
自分が好きな分野でそれができたら最高だよね!
ということですよ。

なので
何度も言ってる気がしますが
好きなことを仕事にすべきです。
困難があっても諦めずに頑張れるからね。

好きなことを仕事にするからこそ
人のために頑張って成果を出せる。

「じゃぁ、お前は好きなことを仕事にしたのか?」

と聞かれると困っちゃいますね。
なんせ「学校」って最も嫌いな組織でしたから(笑)

でも、大学に呼んでくれた人は、1960年代ホンダF1の開発者の佐野彰一先生
私にとっては神様みたいな人ですよ。
断れるわけないじゃないですか。
いくら学校が嫌いだからって行きますよ!

で、来てみたら
頑張る学生がレーシングカーとか惑星探査機とか作るわけですよ。
勝つぞ!
って。

大学は「技術は人なり」とか「実学尊重」とか
本質を突いたことを看板にしてるし。

そんな環境で頑張ってやらんわけにはいかんでしょう。

このところ
コロナで自粛でしょう?
にもかかわらず、1年生なんかはオンラインでガツガツやってます。
日々、感動と発見の連続ですよ!

そう
好きじゃない仕事でも
好きになっちゃうという方法もあるのですよ。

できないことなんてない

言いすぎかも知れませんが
あながちそうとも言い切れません。

大学で学生と接していると思います。

技術や知識が何かをできるようにしているわけじゃないのだなぁって。

だってね
どんなに勉強ができたって
何か作れる
何かができる
とは限らないんですよ。

授業で成績優秀な学生に
「何か作ってみ」
と言っても
できるとは限りません。
成績が悪い子でも同様ですけど。

私も工科系の大学を出てますが
授業を受けてるときに思いました。

「この勉強で、自分の好きなクルマとかバイク作れるようになるんかなぁ?」

それは卒業まで確信に変わることはありませんでした。

もちろん授業の内容が全く役に立たなかった
ということではないですよ。

でも、いける気がしないままでした。
これで何かができるようになるとは思えなかったのです。

なので、在学中はレースばっかりやってました。
もしくは、江ノ島の堤防で昼寝してるか、バイトしてるか。

そんな話じゃタイトルと違うじゃないか!

そうですね。
本題はここからです。

冒頭の方で

どんなに勉強ができたって
何か作れる
何かができる
とは限らないんですよ。

と言いました。
これは事実だと思いますが

勉強ができるできないに関わらず
やりたいと思ったことは結構できるもんだ

ということが言いたいのです。

だってね
ろくにモノをつくったことがない学生が
レーシングカーを作れるようになるんですよ。

海外なんて行ったこともないのに
マシンを輸出する手続き取ったり
現地で色々やったり。

勝つためにマシンを作ろうと思ったら
強度計算とか解析とか設計とか実験とか加工とか…
それこそ山ほどできなきゃいけないことがあります。

でも、彼らはそれをやってますからね。
ほとんど自力で学んでいる。

一応、教員として私が面倒を見ていますが
別に授業みたいに
「はーい、これから車の作り方を教えますよー!」
なんてやってませんから。

分からないことを聞かれたら答えることはありますけどね。
燃える学生の背中を押すのが役目です。

なので
初動は学生自ら
です。

恐らく
教員が手取り足取り
アレやれ!コレやれ!
みたいにやってたら、こんなに大変な活動は
これほど長年続かないと思います。

やはり学生自身がやる気にならないとね。

そのパワーの源って、自身の心ですよね。
「やるんだ!」
っていう気持ち。

彼らのやっていることを見ていたら
「あぁ、できないことなんてないんだなぁ」
って思いますよ。
人の心の力って凄いなぁと思います。

あの巨大なギザのピラミッドとか
墳墓としては世界最大級の仁徳天皇陵は
いずれも完成するまでに20年ほどを要したと言われています。

その結果分かったことは

奴隷を使った労働では不可能であった

ということ。
そんな大規模な大事業は
力で無理矢理やらせるようなやり方では
必ず奴隷の反乱が起きて
継続できずに破綻するはずで
自発的な労働であっただろうということです。

自身がが「やる」と決めたら
凄い力が発揮できるということですね。

レースってこんなことしてます その3 速いってどういうこと?

今回も簡単なお話でいきますよ。

フィジカル面の投稿
スタート前に心拍数が上がる
という話をしましたが
自分のレースのスタート時のことを思い出しちゃいました。

スターティンググリッドに着いて
スタートを待っているとき
「今、帰るって言ったらみんな怒るかな~」
とか訳わかんないこと考えちゃうんですよ。

何を考えるかは
その時によるし
レースにもよるんですけどね。
でも、「帰る」なんて訳わかんないでしょ。
それくらい緊張することがあったってことですね。
逆に凄く冷静なこともあるんですけどね。

やっぱりスタートの時って普通の状態じゃないんだな。

レースのスタートは嫌いです。
シグナルが変わる瞬間までは嫌い(笑)
最初の1周は大好きだけど。

さて
レースの難しさって
すなわち楽しさでもあるんですが
どの辺が難しいのでしょうね。

個人的には
限界が目に見えないないこと
だと思ってます。

例えば
コーナリングしていて
どのぐらいのスピードで曲がれるかとかは
目に見えるわけじゃないのですよ。

「あー、このへんが限界かなぁ」
「ボチボチ限界が来そうだなぁ」
と感じることはあります。

でも
物差しの目盛りを見るようには限界は見えない。
その「分からない」が
難しさで
それを何とかするのが
面白さかなぁ
と思ったりします。

もちろん
プロのレーサーは凄いですよ。
凄い精度でマシンをコントロールします。
五感のセンサーが凄い性能なんですね。

ちなみに
レーシングマシンにはスピードメーターは付いてません。
「このコーナーは何キロで入って~」
なんてやりません。

そうそう
昔、筑波サーキット(聞いたことあるでしょう?)
ってところをバイクで走ったのです。
確かタイヤメーカーの走行会だったかな。
当時レースもやってたんですが
たまたま街乗りバイクを買った直後だったので
「サーキットでも走ってみようかな-」
と軽い気持ちで行ってみたんですよ。
結構速いバイクだったもんで。

走行中に
バックストレート(メインの直線以外の長い直線です)で
何キロ出るか気になったんですね。
一番スピードが出るのは、その直線の終わりの部分です。
その直後はもちろんコーナーなんですが
そこでメーター見たんですよ。
「おぉ、すげぇ!こんなに出るんか!」
とか喜んでるうちに
その後はすぐに最終コーナーが来るわけですよ。
ブレーキングが遅れて飛び出しそうになりました。
死ぬかと思った。
それ以来
街乗りバイクでサーキット走っても
スピードメーターを見なくなりましたとさ。

速く走るためには
技術とか経験とか
もちろん勇気とかも必要なんですが
どうなっちゃうか分からないような
無茶はしません。

死にたくないし。

レースやってると
「危なくないの?」
と聞かれることがありますが
答えに困りますよね。

だって
確かに凄いスピードでクラッシュしたら危ないですけど
レースって、クラッシュするために走ってるわけじゃないですから。

クラッシュするってことは
すなわち負けるってことです。
なので
クラッシュはしたくないです。絶対。
でも
限界からほど遠い走りをしていたら勝てない。
その狭間で走ってるんですよね。

正直なところ
レースはリスクあるけど
ラグビーほど危険じゃないと思うな(笑)
いや、どうなんだろ。

でも、サーキットにはメディカルはあるし
準備は整った状態でレースしてるからなぁ。
サーキットでの死者数って
驚くほど少ないはずです。

それにあんまり危険にはフォーカスしてないかな。
そんなとこばかり見てたら
レースなんてできないと思う。
リスクのネガティブ面を見てたらきりがないです。
日常生活も一緒でしょ。

さて
ここからが今日の本題です。

レースは競争なので
勝ちたいわけですが
勝つためには速く走らなきゃいけません。

前を走る人がいたら
抜かないといけません。

抜くためには
前走者よりスピードが速いことが前提です。

レースは
コンマ数秒を争う
なんて言われますが
どういうことか

例えば
1周2kmのサーキットを10周走るレースがあったとしましょう。
そのサーキットでのトップスピードは200km/h
ざっくり1周の平均スピードは100km/hくらいと考えましょうか。

1周のラップタイムが0.1秒違うとどうなるか
たかだかコンマ1秒です。

スピードが100km/hなら
0.1秒に進む距離は2.8m

10周のゴール時には1秒の差が付きます。
距離にすると28mの差が付くということです。
これは圧倒的な差です。
そう簡単には埋まりません。

そのサーキットに5つのコーナーがあったとしましょう。
1周で0.1秒稼ぎたければ
コーナー1つあたり
0.02秒速く走れば良いのです。

まぁ、それが簡単ではないのですけどね。
でも、そういうお話なのです。

その0.02秒のためにどうするか

トレーニングしたり
マシンのメンテナンスだったり
できそうなことは色々あります。
山ほどあります。
メンタルだって効いてきますよ。
だって0.02秒だもの。

頑張ってレースやってる人なら
ある程度経験を積むと
サーキットのラップタイムのバラツキは
コースや人によりますが
大抵は1秒以内になると思います。
1周1~2kmの短いコースなら0.3秒以内とか。

1周走る間に
アクセル開けたり閉じたり
ブレーキ掛けたり曲がったり
なおかつ走行ラインも考えて決める
凄い数の操作をして
そのバラツキですよ。
凄いですよね。

チマチマスピードを稼ぐ重要性がお分かりいただけましたか?

もう一つ重要なことがあります。
これも超重要。

それは
前走者と違う走行ラインを取る必要がある
ということです。

当たり前ですね。
同じラインで走って抜こうとしたら
絶対抜けません。
追突しますから。

これね
日常生活や仕事に置き換えて考えてみてください。

前走者と同じことをしていたら抜けない

そう
周りと違うことをしないといけないんですよ。

意識してますか?
勇気いるでしょう。
変態の馬鹿野郎になる必要があるってことですよ。
…って、そうじゃない?

他にも色々あるんですが
今回はこのへんにしておきましょう。