発掘作業

かつての日本にあった特性とか優位性を強みとして現代に利用するために
それらを探したりしてるのですが
どこから見付けるかというのが問題であり面白いところでもあります。

もちろん、昔の日本の技術そのものを再利用しようということではなく
感性や考え方を再利用できるのではないかと思っているのです。

書籍でいえば、日本最古の書籍である古事記から日本書紀、果ては万葉集まで参考になります。
でも、当時から今に至るまで、我々日本人にとって当たり前な情報は書かれていない可能性があるのです。
なぜかというと当たり前だから
書かなくても読み手の我々日本人には分かるから。

イザベラ・バードというイギリスの女性探検家が、明治時代に日本国内を探検…というか旅行した経験を書いた本があります。
いや、やはり探検と言った方がいいかな。

鎖国が終わった開国直後では
西洋文化を導入して、それと引き換えに失ってしまったものは最低限のはずなので
当時の日本を客観的に見た情報が手に入ります。

特に人も含めた日本の原風景が参考になります。
人の関わり方とか、田畑や各種製品の様子などが記述から見て取れます。
こういったものは、我々日本人にとって当たり前だけど、海外から見ると特異なものであったりします。
その中でも、特に興味深かったり、西洋文化とかけ離れていたりするものが記述されています。
そこにたくさんヒントがあるのではないかと思うのです。

人間は、一人では生きられません。
なので、その行いも共同体で生活することを前提に組み上げられています。
昔の日本人は、何のために何をやってどうなったのか
これは現代のチームに適用できることも多いはずです。

バードの記述で特に気になったのは
手入れの行き届いた美しい田園風景。
田園風景は自然のものでありませんから
それを作った人の感性が反映されています。

あと
しきりに「日本の子供たちは幸せそうに見える」といった記述があることです。
それに対して今はどうでしょう。
小さいうちから塾だの習い事だの大変です。
それが本人が本当にやりたいことであれば良いのですが
そうでない場合も多いはず。

子供は成長して大人になります。
そして世の中を作っていく。
その過程での考え方とやり方の基盤となるのは幼少期の環境とか経験です。

成長の初期に、成長後に必要なことを詰め込んでしまって大丈夫なのでしょうか。
幼少期の感性を養うべき時に身に付けておくべき大事なことは
他にあるのではないかと思えてなりません。

とかいったようなことを考えると
色々なことに、まだまだ工夫の余地はありそうな気がします。

後は縄文時代の遺跡や遺物ですね。
これが意外と役に立ちます。

もちろん直接的に利用できる技術などはあまりないのですが
2000年も前の物とは思えないものが結構あったりするのです。

一体なぜ作ったのか?
どうやって作ったのか?
そういったものについて考えを巡らせていると
なぜか、まだまだ行けるぞ!
って気になってくるんですよね。

新しい学びは新しくなかったりする

今、日本で常識とされている授業の形式
先生が教えて、生徒がそれを覚える
もちろん、答えはすでに決まっていて
正解・不正解は明確
テストではどれくらい上手に覚えられたか確認する
といったやり方は、やはり賞味期限切れのようですね。

今までよく続いたな
とは思います。

すでに形(やり方)が決まっていて
答えも決まっているやされているような方法では
学生にしてみたら「やらされている」わけで
それではやはり限界があるでしょう。

アメリカではすでに講義の形態を壊してしまって
学生が自ら考えてものをつくる形態の学校が増え始めているようです。
「授業」じゃないですよ。
「学校」です。

やっている内容は、それこそピンキリなのでしょうが
自発性に任せて色々やるのであれば
知識の面でもマインドの面でも、もちろんスキルの面でも
得られるものは大きいでしょうね。

そうやって得た「生きた知識」は忘れないし
面白ければ、先へ先へと自ら進んでいきますから。

では、日本でこういうやり方が広がっていくかといえば
まだしばらく後になるでしょう。
よく日本はアメリカの10年後を追っていると言われますよね。
そのセオリーで行けば、日本でスタートするのは10年後です。
それまでもてば良いですが。

なので
我が夢工房は先行逃げ切りで行きます。
と言うか、20年前にすでにこのやり方でスタート切ってますからね。
我々にとっては特に新しいことではなかったりします。

お先に失礼します!!

迷ったらやってみたらいいんだよ

新入学の1年生は新鮮で良いですよね。
彼らはこれからだ。

色々経験していくなかで
価値観がひっくり返るような経験をしてほしいものです。
在学中に、そんなことができたら大成功だね。

よく、授業後に聞かれます。
「将来、自動車の設計がしたいんですけど
どんな授業を取ったらいいですか?」

んー、そうだねー
何か授業を選んだところで車の設計ができるようにはならないだろうなぁ。
彼らにわかってもらえるように説明したいけど難しいな。

だって今まで何年も
この科目ができるようになれば、~ができる
って信じてきたんでしょうから。

急にそれをひっくり返すようなことを言われても
驚いちゃって受け止められないだろうな。

そうそう
今日、学生達と話していて思ったこと。

大学に入って取るアクション
大きく分けて2種類かな?

一つは
やりたいことがすでにあったり見つかったりして
すぐに行動する者

もう一つは
自分には何ができるのか考える者

すぐに行動する学生は
ジタバタしながらも色々身に付けて伸びていきます。

でも、考えちゃう学生は
考え続けて何年も経っちゃって
気付いたら卒業ってケースも結構あるはず。

そりゃそうだよね。
何かを手に入れるために大学に来ているわけで
自分の中を探して、すでに何かがあるなら大学に来る必要ないもんね。

それと似たようなケースで
大学での授業を受けて
その中から自分の強みを構成しようとする
ってのがあります。

気持ちは分かる。
そういうふうにしなさいってアドバイス受けることもあるだろうし。

けど、似たような授業は全国の多くの大学で
それこそ数限りなく実施されているはずで
その状態で強みと言えるレベルとなると
そりゃ、自信を持って…ってわけにはいかんでしょう。

人からのアドバイスを素直に聞いて
真面目に実行しようと思う者ほど
そういうところにハマっていくんじゃないかな。

何か非常に残念というか、もったいない気がします。

でもまぁ、そうやっているうちは
見えるリスクを背負わずに数年過ごせるわけだし
これもトレードオフですね。

若いうちって、多かれ少なかれ野心や志ってあるものです。
迷ったらやってみるのがいいですよ。
そこで考えてしまったら
それは自分には縁がなかったということ。

やってみて結果ダメでも
いつかそれが自身の価値に繋がるし
ダメなことが起きた時こそが
成長のチャンスってことですから。

それが無駄な経験かどうかは自分が決めることです。

自身、今までそんなふうにやってきて
後悔はありません。