人は変えられない

子供の頃
親によく言われました
「勉強しろ」
って。

それで勉強したかというと
しませんでしたけどね。

皆さんはいかがですか?

今回は
多くの人が経験したであろう
「勉強しろ」
から始まって
「人は変えられない」
というお話をしてみましょう。

親は子供に勉強ができるようになって欲しい
だから勉強しろって言う。
よくあるケースですよね。

これつまり
子供が勉強できるように
変わって欲しいと望んでいるわけです。
自分の力で子供を変えたいと。

で、結局何を望んでいるのでしょうね。
多くは
「苦労して欲しくない」
「失敗して欲しくない」
かな、という気がしています。

でも
それに反して
子供は
「失敗したい」
と望んでいることもあります。
いえ、別に失敗がしたいわけではなく
「失敗するかもしれないけど
自分の力でチャレンジしてみたい」
と思っているかも。

だとしたら
その結果がどうであれ
その子供は多くを経験して成長していくでしょう。

ところで
本当に失敗するとダメ人間になるのでしょうか

私の手元で色々やってる学生達を見る限り
トライの数が多い学生はもちろん失敗の数も多いですが
在学中にすさまじい成長を見せます。

まぁつまり
うまくいくためには
相応の経験が必要なのは当然なので
いわゆる「失敗」はそのためのリソースになっている
ということです。

たぶん
彼らに「やれ!」と言ったところで
大きな成長に繋がるような努力はしないでしょうね。

「やれ!」
と言えば、渋々やるかもしれません。

でも
そんなやらされ仕事を好きになれるかというと
決してそんなことは無いわけで
むしろ嫌いになるでしょうし
その必要性すら否定したくなるでしょう。
なので
その経験が有効なリソースになることも望めないでしょう。
せいぜい
やらないよりはマシかな?という程度です。

なので
外力(外的な動機)で何とかしようとしても
大抵は逆の結果になることが多いのですね。

外力を加える側が望むような変化は起きにくいものです。
というお話でした。

中には
「やれ!」
と言われてやってみて
面白くなってうまくいく
という人もいるでしょう。
数は少ないでしょうけど。

そんな人が大変うらやましいです。

…なんて思ってなかったりして。

卒業式前日

私の研究室では
卒業式前日には
卒業記念行事
を行います。

卒業式は日本武道館なので
その周辺の観光ですね。
その模様をざっくりご紹介しましょう。

まずは昼食
かんだやぶそば
からスタート

言わずと知れた蕎麦の老舗です。

やぶそば、感動的な美味さです

続いて
靖国神社参拝と遊就館の見学です。

靖国の大鳥居
境内のこの桜が咲くと開花宣言となります
遊就館ではいつもの零戦がお出迎え

ここまでで夕方になっちゃいます。
遊就館は、意外とニュートラルな視点で日本の歴史を学べます。
みっちり見て回ると1日かかるでしょうね。
案の定、今回も見切れずに最後は早足。

靖国は、かつて国内外の戦いで
命を落とした方々を祀る神社です。
色々見方はあると思うけど
闘いで命を落とすというのは
何かを守るためであって
その霊に感謝してを敬う
というのは当然のことでしょう。

でも、こういう施設は
大抵の国にあるもので
別に珍しいものではない
と思いますけどね。

隣接の遊就館では
「何でこれを
歴史の授業で教えないの?」
という内容が満載です。

最後は神楽坂の割烹で豪華な食事会。
これは、いつか彼らがこういう世界に
戻って来られるように
という意味を込めています。
将来、彼らがこういう席を
設けたりする際にも
役に立つでしょう。

何年かかるか分かりませんけどね。

という感じで、1日が終了しました。

いよいよ明日は日本武道館で卒業式です。

卒業式を前に思うこと

1年なんてあっという間で
今年も卒業式が近付いてきました。

昨年は
日本武道館がオリンピックに向けて改装中で
国技館での卒業式を予定していましたが
コロナ禍の影響にて中止となりました。

今年は改修後の武道館での実施です。

当研究室のメンバーには
可能な限り社会に出て役立つように
やり方とか考え方を伝えるようにしています。

私が現場にいたのは20年近く前ですが
可能な限り時代が変わっても共通の
本質的な部分を学生達には
伝えるようにしているつもりです。

しかし必ずしもそれが正解というわけでは無いでしょうし
どれだけ実戦の現場で役に立つかは分かりませんが
何も知らずに社会に出るよりはマシでしょう。
何か基準を持っていれば
それをベースに改善できますから。

研究室を立ち上げた初期の頃は
試行錯誤の初期段階で
とにかくその時に正しいと思ったことを
ひたすらやってきた気がします。

今思えば
当初はかなり無理で無茶なことを
当たり前のようにやっていた気がします。
いや、今でもやってるかもしれない。

でもそんな中で
必死に頑張る学生達が発揮するパフォーマンスに
「あぁ、学生ってここまでできるんだ」
と感動して
そんな彼らから学ぶことは多くて
そのおかげで
今までやってこられているのは間違いありません。

初期の頃の学生達が
基礎を気付いてくれたのは間違い無いですが
それに続く学生達も
新たな可能性を示し続けてくれています。

今でも研究室の試行錯誤は続いていて
常に色々なことを変えています。
これには最終形や完成形なんて無いと思っています。

そもそも完成させようなんて思っていなくて
常に変え続けることが重要だと思っている節もありますが。

学生は4年間で次々に入れ替わってしまいます。
そしてそれは
こんな活動をしているとあっという間です。

この経験が彼らにとって
どれだけのものになるのかは分かりませんが
少しでも意義のある時間であったことを願っています。