まず変な人になりましょう

今日は学生と「武器の持ち方」について話をしていました。
と言っても、銃や刃物ではなく
自分の強み「売り」になることです。

学生が学校で勉強していって得意な科目ができたりしますよね。
まぁ、そういうのでも良いのですが
なにも特定の科目のようなものでなくても良いよね
という話です。

例えば
仕事の早さとか、精度とか
諦めないとかでも良いでしょうね。

近年では個性を認めて多様化を…
という世の中になっているはずですが
本当にそうなっているのかな?

意外と
皆が同じようなことをやろうとしているように
見えなくもない。
そんな気がしています。

もちろん、むやみに人と異なることをやれば良い
というわけではないのですが
もうちょっと色々あっても良い気がするんです。

人と異なる意見を持っていることを知られたくないとか
人と異なる行動を取りたくないとか
そういうのは私が子供の頃に比べて強くなっている気がします。

今や授業の最後に質問なんてする学生はいませんからね。
皆の前で自分だけけが理解できないことが公開されているような気がするのかな。

と思ったので
早速学生に聞いてみたところ
「興味がないから」
だそうです。
身も蓋もないですね。
まぁ、そんなもんでしょうね(笑)
これは先生が反省すべきです。
もちろん私もです。

とまぁ、色々と気になることはあるのですが
ここで愚痴を言いたいわけではないのです。

みんな同じようなことをやってるなら
人と違ったことをやったら目立って良いじゃん!

これですよ。

自己顕示欲も満たされるし…いや、それは別にいいかな。

人と違ったことをやるのは勇気が要るかもしれません。
でも、それをやるとしたら
逆に得することが多いでしょう。
独自性は価値に繋がる可能性が高いし
場合によってはチャンスを独り占め。

中途半端ではなく突き抜けてしまえば
それが武器になります。

仮にやるだけやって
うまくいかなかったとしても
長期的に見れば損はしません。
やったからこそ色々分かることはあるし
継続したことによる自信が付きますしね。

夢工房にいる学生達は
いずれもコンペティションをやっています。

なので、そもそも人と同じことをやっていたら価値が無いのです。
同じことやって勝てるはずないですから。

特に技術的なコンペティションの場合は
先行者と同じやり方をするのは極めて不利です。
相手は多くのノウハウを持っているのに加え
パイオニアならではの
外からは見えない本質を持っています。

何でそうなってんの?
何でそれを始めたの?

その根源の所は
始めた者にしか分からない何かがあったりして
それは追走している者からは見えないのです。
追走している者から見えるのは
外観だけ、うわべだけです。

最初にF1マシンにウイングが付いた時とか
ボディの下面を利用してダウンフォースを得たグランドエフェクトカーなんかは
まさにそういった感じだったのではないでしょうか。

効果が分かるとあっという間に広まったりしますが
それまでは圧倒的な強者でいられます。

ただ、パイオニアの宿命として
始めたら凄い勢いでやり切らないと
そのうち賢い追走者にやられちゃうんですけどね。

なので
勇気を持って頑張って
何かを掴んだら
ダッシュで逃げろ!
ってことですよ。

日頃から
皆と同じように目立たない行動を意識的に取りながら
人と違ったことをやって成果をあげる
なんてのは矛盾してますので
気を付けてくださいね。

之を楽しむ者に如かず ですよ

論語にこんなのがあります。

之を知る者は、之を好む者に如かず
之を好む者は、之を楽しむ者に如かず

知っていることは、好むことには及ばない。
好むことは、楽しむことには及ばない。
という意味です。

そりゃそうだよなぁ
と思いますが
これ、実践されてませんよね。

日本に論語が入ってきたのは1700年くらい前。
論語が書籍として普及したのは600年以上前です。

なので、こういったことは
かなり以前からこういうことを知っていたはずなんですね。
でも、真に受けて実践していたかは別ですかね。

大学の研究者は好きなことを研究しているので
概ねこんな感じになっているかなと思います。

学生はどうかな?

うーん
どうもそうはなっていないように見えますね。

まぁ最近は
親が大学に行けって言うから
みんな行くから
という理由で進学する傾向が多いので
特にやりたいことが無いとか
という学生も増えていると思います。

とはいえ
色々話していくと
何かしらやりたいことがあったりするんですけどね。
色んな理由でそれを押さえ込んでいたりすることが多いです。

何でもいいからやればいいのにね。

「勉強」というと
本当はやりたくもないけど我慢してやらなければならない
みたいな風潮がありませんか?

義務教育なんかは
最低限知っておかないといけないことが中心ですから
四の五の言わんで憶えとけ
みたいな部分があっても仕方ないのかもしれませんが。

あ、勘違いして欲しくないのは
難しいことなんて学ぶ必要ない
と言いたいわけではないのです。

学ぶにしても、もっと良い方法があるんじゃないかな?
そのための努力や工夫がされているのかな?
ということなのです。

学ぶべき内容は
それなりに難しいことなので
必要性を感じられないまま
「これを覚えろ」
「これをできるようになれ」
ではなく

ワクワクしながら
いろいろ挑戦して
必要性が実感できるような授業に変えていけたら良いな
と思っています。

あ、そうか!
チャレンジが無いんだな。
なるほどなるほど。

今は少しずつ試しているのですが
そのうちレーシングカーを作っている連中が
自主的に新しいことを学んでいるような
そんな仕組みの授業ができたら
大学ももっと楽しくなると思います。

うまく工夫しないと
授業にした途端に楽しくなくなる
なんてことも起こりえるんですけどね。

その辺はこれから色々試してみましょう。

我、真理を得たり ちょっとだけ

以前から心掛けていることがあります。

動機善なりや 私心なかりしか

これは京セラ創業者の稲盛和夫さんが
KDDI(当時は第二電電)を創業する時に
自身に問いかけておられた言葉です。
有名ですね。

この言葉を知った時
当時は完全に飲み込めなかったものの
何かピンとくるものがあったので
自分の行動指針としてノートに書き留めて
ことある度にに見るようにしていました。

それから何年が経って
ここ数年で、やっと腹落ちしてきました。

私の望みは
学生の夢が叶うこと
ではありますが
それはごく一部です。

一番重要なことは
将来彼らが世の中の役に立ってくれることです。
それを彼らの得意なことや
好きなことで実現してくれれば嬉しいし
それが一番うまくいく方法なのだと思っています。

では、今回の核心です。

人は色んな希望を持っています。
いわゆる夢の実現、自己実現などもありますが

自身の安定した楽な生活のために
仕事が欲しい!
お金が欲しい!

こういう動機は自分のためでしかない
利己的なものなわけで
これが我欲であり私心です。

今や…というか昔から
それが当たり前なのかもしれません。
偉そうにこんなことを書いている私も
大学生の頃はそんなものでした。

でもこの私心が
うまくいかない根源だ
ということに気付いている人は少ないと思います。

「食うために仕事をしている」
という動機は別に珍しいことではありません。
良く聞きますよね。

でも仕事には必ず相手がいて
相手のためにやるからこそ対価がもらえるわけでしょう?

対価を払うとき、我欲に基づいて仕方なくやっている人と
本当に相手(お客さん)のことを考えてやっている人の
どちらに気持ちよく払えますか?

あなたは
「俺が食うために必要だから、これ買ってくれ」
と言われてお金を払いたいですか?

なんて聞くだけ愚かですね。

そんなの分かっているけど
きれい事言ってもどうにもならない?
自分だけは利己的な考えでもお金がもらえると?
本当なんですか、それ。

チャンスもお金も、相手に渡すには理由が必要です。
厳密には、理屈ではなく感情の問題だと思いますが。

自分のことばかり考えている人間に
周囲が同意して力を貸す気になれるか?
チャンスをあげる気になれるか?

なれるはずはないですね。
なれるとしたら
それは取引上とか職務上の理由だったりして
本心から同意して動いているわけではない。

なので
他の利のために仕事をすべきなのですね。

それを
自分の好きなこと
自分の得意なことで提供できたら最高です。

これは
会社の仲間との関係でも同様でしょうね。

皆が利己的な心で動いているとしたら
それに同意できる者はいないはずなので
あらゆることがうまくいかなくなるはず。
当然ながら
そんな人間が集まった社会はうまくいかなくなります。

そして
そもそも利己的なことのために
全力を尽くせるのかというと
もちろんそんなことはないわけで
そういうものって
短期的で小さな成果になること多くて
困難に遭遇すると
簡単に諦めたり変えたりできます。
結果、うまくいかないことが多い。

でも
利他的な心で動けば
同意してくれる人は多いでしょうし
多くの人が力を貸してくれるはず。

皆が喜んでくれることなら
必要としてくれる人も多いでしょうし
やり甲斐も感じられるでしょう。
もちろん、そう簡単に諦めたりはできません。
最終的にはうまくいったり
色々と得られるものが多くなる。

もちろん
得たものは溜め込むのではなく
次に回すんですよ。

言うは易しで
できるかどうか
どこまでできるかは
やってみないと分かりません。
なので可能な限りやるべきでしょう。

やってみないと分からないならやらない
とか
分かっていることしかやらない
などという選択肢は無い!

技術は人なり