コロナ禍だから…すぐにやろう

現在、コロナ禍を期に世の中が大きく変わろうとしています。

その変化は確実に起きていて、対応する必要があるのは皆さん何となく感じている。
今までのやり方を継続したいけど、そのままでは通用しないことは分かってる。
後手に回って対処療法をしていても良い方法とは思えない。
どう対応するべきか。

でも、そんなの経験したことないから分からない。
そりゃそうだ。

でも、よ~く考えたら
どうすべきか正解が分かるかな?
答えが出るまでどのくらい時間が必要かな?

分かる人いるのかな。
いたら凄いな。

それとも誰かが出してくれる答えを待つ?
その答えを出してくれる人は誰ですか?
その答えは何のための答えなのでしょう?

自分で考えるにしても、他人に任せるにしても
そもそも正解ってあるんですか?

これが正解ってのは無いでしょうね。

だったら、自分で「考えて」「決めて」「やる!」のサイクルを早く回しましょう。
ダメならやり直しましょう。グルグルしましょう。

ダメでもやれば何か分かります。「あ、そうか!」って。
これを「気付き」と言います。やらないと分からないヤツです。
その時点で気付きがなくても、時間が経ってからその経験がきっと役に立ちます。

同じ姿勢で一つのことを継続するのは立派なことかもしれませんが
もし変化を避けたいという恐怖がその根源にあるのであれば
きっとそのうち、その恐怖が成長したモンスターとご対面するときが来ます。

やる
ダメなら変える

とかやっていると、一貫性がないとか、間違ったらどうすんだとか
思われるかもしれませんが
そんなこと気にしちゃダメ。

君子豹変す

という言葉が昔からあるじゃないですか。
いいんですよ、ダメなら変えても。

グルグルする部品ということで、学生が作ったフォーミュラマシンのブレーキです。
キャリパーもローターも学生が開発しました。

ローターは、効きと耐久性を両立させる設定を見付けるのに苦労していたなぁ。
最初は、カートコースを1日走ると摩耗して無くなっちゃうとか、全く効かないとか。

材質は鋳鉄なんだけど、熱処理がキーなんですねー。

現状は、効きは良好で耐摩耗性も数年はいけるというとこまでたどり着いてます。

こういう部品って、量産流用すれば効きとか信頼性、信頼性は確実なんでしょうが、いかんせん色々なところの性能のキーファクターになるので、可能なら新規で作るに越したことはないです。

やる前から苦労することは分かっているけど、やると決めてグルグル頑張れば何とかなるもんです。

ゴール志向で行こう

「指向」かもしれませんが、「志向」の方が相応しい気がしますね。
「志」(こころざし)が入っていますので。

大学でものづくりを教えていると気になることがあります。
本当はいっぱいありますが、今回はひとつだけ。
「ゴール志向」のお話しです。

例えば、学生が何かの部品を設計しているとします。
その過程で、どうした良いか分からなくなることがあります。
まぁ、良くあります。

そんな時、彼らが何を考えているか…
否、何を見ているかというと、その部品だけしか視野に入っていないことがあります。
で、それをどうしたら良いか分からない、と。

そりゃ、その部品が使われる製品全体を見ないと、その部品単体をどうしたら良いかは分からないですよね。
その部品は「何かのため」に存在するのですから。
でも、製品全体はできていない。

そりゃそうですよ。
まだ部品を設計している段階なのですから。

とはいえ、最終的にどんな製品にしたいのかを決めておかないと部分は決められない。
困った。
端的に言うと、設計しているうちに「何のためにそれやってるの?」というのが曖昧になっちゃうのですね。

このケース、いわゆる真面目な学生ほどハマってます。

2020年の新人君たち きっと彼らもハマる

では、どうしたらいいか。

答えは、テキトーでいいので最終的にどうしたいかを決めておく。
ちょっと聞こえが悪くて受け入れにくいかな。

じゃぁ、出来る限りで良いので、どうしたいかを決めておく。
これなら受け入れられるかな。

本当の、業務としての製品設計なら、製品のあるべき姿を企画段階で決めているので、技術的な達成手法はともかく、方向性で迷うことは少ないですよね。

でも、経験の少ない学生は、製品のあるべき姿なんて、そうそう明確に決められなかったりするわけですよね。

だったら、多少の曖昧さを含んでも良いので、暫定で良いので決めてしまいましょう。
で、早くやってみましょう。

すると、やった結果が見えますね。
ダメなら直しましょう。

「ダメ」で「直す」のがイヤ?

何言ってんですか。
経験が少ないのだから、ダメでも直すことになっても良いんですよ。
そんなの失敗のうちに入らないから気にしちゃダメ。

本当の失敗は、「ダメで直すのがイヤだからやらない」ことです。

ダメでもいいから結果を出すこと、それを認めて直すこと自体が良い経験なんですよ。
そうやって経験の数を増やして良い技術者になって下さい。

ゴールを決めて、そのために必要なことをやる。
簡単なロジックですね。

でも、それって工科系の学生に限らず多くの人が似たようなことになってるかもしれませんね。

最終的にどうしたいかを決められない。
ゴールを設定できない。
だから、今どうすべきかが分からない。

夢を持てないというのも似たようなところがあるかもしれません。

何のためにやっているか分からない…では、どうしたら良いかなんて分かるはずないですよね。

ダメでもいいので、とりあえずどうしたいかを決めてやってみたらいいんじゃないですか。
それが結構難しい?

だったらそこに価値がるってことです。

Formula SAE Australasia 2004の表彰式 総合4位獲得

形式知と実践知

日本で「ものづくり」の重要性が叫ばれていたのはいつ頃だったでしょう。
確か20年くらい前だったかな?
その重要性は今も変わらないんですけどね。

なぜ、ものづくりが重要なのでしょう。

そもそも、日本は資源を産出できないので、輸入した資源を加工して、それを海外に売ることによって…と言うのは当たり前の話なのですが。

そんな日本は、優秀なエンジニアがたくさん必要なわけです。
そのための教育が学校で行われているわけですが、その内容は、教室で伝授される知識が中心で、その知識があれば良い開発ができるかというと、そういうわけにはいきません。

文章や口頭で伝達できる知識を形式知、やらないと分からない知識を実践知(暗黙知)と言いますが、実践知は言葉や文章ではなかなか伝わらないのです。

よく自転車の運転を例にとって説明されたりしますね。
本で運転の仕方を勉強しても、実際に乗れるようになるわけではないと。
つまり実践知は教科書にできない。

「溶接」という作業を例に取りましょう。
製品の製造には良く登場する作業です。
ですので、溶接を必要とする製品の設計をする場合、これを分かっていないと良い設計ができないのは当然です。

授業で溶接についての知識を習ったとしましょう。
それで溶接ができるようになるかというと、そんなことはありませんね。

運が良ければ溶接の実習の授業も受けられるかもしれません。
で、多少の溶接ができるようになると。
でも、それだけで信頼性が高い美しい溶接ができるかというとそんなことはありません。
やはりやらないと分からないことは多いのです。
そもそも「美しい加工」なんて概念は普通の学校では教えませんけどね。

大きな構造体を溶接すると何が起きるかとか、逆に細かい物を溶接すると何が起きるとか、肉厚や材質の違いによってどうしたら良いのかとか、力を加えると何が起きるかとか…実践的な内容はやってみないと分かりません。

もちろん知識を知っているのは大事なことですが、「知っている」と「できる」は違います。やったことがある人じゃないと分からないことは山ほどあります。
というか、世の中そんなことばかりです。

将来開発の仕事をするなら、実践的な知識を持っていることは非常に重要なことです。
会社に入って設計の部署に配属されてから、それらを学ぶにしても限度があります。
まぁ、大抵は無理ではないかな。

模擬惑星探査機やレーシングカーのつくりかたなどは教科書で学べるものではありません。
小さいながらもそれらを作って性能を出すとなると、自ら調べて、考えて、作って、試して…あげくは海外に行って大会に参加。
それはもう凄い量の実践知が手に入るわけです。

「格好いい」「美しい」「凄い」のためには何が必要かということを学生のうちから知っておいても良いのではないでしょうか。

我が東京電機大学が大事にしている「実学尊重」、これは何物にも代えがたい強みだと思っています。