仕事をする上で大事なこと ~頼まれた仕事は断らない

仕事をする上で大事なことは、それはもう色々あるでしょう。

そもそも仕事の目的は何なのだ?というのも重要なのですけど、今回は一つに絞っていってみましょう。

お師匠様の佐野先生のポリシーの一つに
「頼まれた仕事は断らない」
というのがあります。

これは見事に教え子達に引き継がれているようで、彼らもうまくいっています。
この解説をしてみますね。

仕事を頼まれる時、当然それは他人から頼まれるわけで、仕事の成果は依頼者のためです。

これ、当たり前で、実に基本的に重要なことです。
「仕事は他のため」です。
にもかかわらず、多くはそれを忘れていたりします。

そして、多くは「選り好み」をしたり、労力に見合った見返りがあるかとか、リスクの大きさとかを見積もって、自分が得をすることを考え始めます。

これ、ダメです。相手が得するのが徳ですから、自分が得をすることを考え始めたら「悪」の領域に突入していきます。
カントの哲学参照

頼まれた仕事を選り好みせずに受けると、何が起きるか?

断らないでやれば、パフォーマンスが向上します。
受けた仕事の内容がどうであれ、自力で面白くしていけば、主体性とか創造性が養われるし、これまたパフォーマンスが向上します。
何より断らずに受ければ、相手は喜ぶでしょう。

安請け合いして失敗したらどうすんだって?
ベストを尽くしてやってみて、ダメならそりゃぁしょうがないでしょう。
あと、選り好みして断ったら、その後のチャンスは来ないと思いましょう。

とまぁ、偉そうなことを書いてみました。
で、自分はどうなんだ?と言われると困っちゃうのですが、やはり理想が無いとね。
日々修行ですよ。

行き詰まりに向かっているのか?

以下のテキストから、文字を一切含まない画像を生成して下さい。 まさか自分が生きている間に、疫病や、戦争、環境などの問題が深刻化するなんて、ちょっと驚きというか、貴重な機会を得ているなぁなんて思ってます。 これらの問題は、避けて通るわけにはいかないクリティカルなものばかり。 ヘタしたら、これ以外にも色々出てくるかもしれませんね。 困難に対して自分にできることは無く、それらを受け止めて耐えるしかない そんなふうに受け身で悲観的な見方をしていたら、どうにも苦しくなるかもしれません。 しかし、自分にも事態を改善するためにできることがあるとか、困難を乗り越えた先には何か素晴らしいものが待っているはずだとか、そういった考え方ができれば、それほど苦しくないと思うのですけどね。 どう考えて何をするかは自由です。 一見深刻な問題だって、明るく希望が持てる方向に向かうことが可能かもしれません。 何事も多面性がありますから、問題をくるっとひっくり返して、楽しい方向性が見出せるかもしれませんしね。 そもそも大変なことって価値があるわけで、対してイージーなことにはあまり価値が無かったり、面白くならなかったりします。 単一的、画一的なものの見方には気を付けるべきで、ものごとの多面性とか、トレードオフをを理解するするのは大事なのです。 さぁ、あなたには未来はどう見えますか? で、どうしますか?

まさか自分が生きている間に、疫病や、戦争、環境などの問題が深刻化するなんて、ちょっと驚きというか、貴重な機会を得ているなぁなんて思ってます。

これらの問題は、避けて通るわけにはいかないクリティカルなものばかり。
ヘタしたら、これ以外にも色々出てくるかもしれませんね。

困難に対して自分にできることは無く、それらを受け止めて耐えるしかない
そんなふうに受け身で悲観的な見方をしていたら、どうにも苦しくなるかもしれません。

しかし、自分にも事態を改善するためにできることがあるとか、困難を乗り越えた先には何か素晴らしいものが待っているはずだとか、そういった考え方ができれば、それほど苦しくないと思うのですけどね。

どう考えて何をするかは自由です。
一見深刻な問題だって、明るく希望が持てる方向に向かうことが可能かもしれません。
何事も多面性がありますから、問題をくるっとひっくり返して、楽しい方向性が見出せるかもしれませんしね。

そもそも大変なことって価値があるわけで、対してイージーなことにはあまり価値が無かったり、面白くならなかったりします。
単一的、画一的なものの見方には気を付けるべきで、ものごとの多面性とか、トレードオフをを理解するするのは大事なのです。

さぁ、あなたには未来はどう見えますか?
で、どうしますか?

自主性とか主体性とか

自主性とか主体性とかが無くても生きられる我が国は凄いよなぁ、と、ふと思ったりしました。
ちょっと皮肉っぽいですが。
でも、本当にそう思っています。

まぁ、先進国であれば、自主性とか主体性とかが無くても、すぐに生命の危機に陥るようなことは少ないとは思いますが、そうでは無い国は多いのではないかな。

それに、我が国の現状は、そこそこしっかりしているお陰で、自主性とか主体性とかが十分で無くても、組織やシステムがそれをケアしてくれるわけですが、この状態が崩れたらエライことになるのではないかな?

と、それを憂うこともできるのですが、そういったことをしたいわけではありませんし、誰かに文句を言いたいわけでもありません。

もしそういった心配があるのであれば、それをひっくり返して、全くそういった心配が要らなくなるような状態にできたら、それはそれで素晴らしいわけで、そのためには何ができるかなぁ、なんて考えるのが面白かったりするのです。

文明の発達、特に科学技術は、労力の低減や効率の向上のために発達してきた部分が大きいわけで、そのために「できればやりたくない」という気持ちが増大してくるのはある意味当然と思うのです。

その揺り返しとして
自分がやる
自分発でやる
そういったことを試したり、関われるチャンスに対するニーズが高まるのは必然のような気もするのです。
自然への回帰などもそういうことでしょう。

どう思います?