こうすればうまくいく 10

先日、ある人と話をしていて

「売る気が無いときに、お客さんのところに行ったときに限って売れるんですよね」

という話を聞きました。
これまで色々と経験されている方で、かつて営業の仕事をされていたときの経験談でした。

「売る気が無い」って「やる気がない」じゃないですよ。

そういえば、私も似たような経験があったのを思い出しました。
30年以上前の話ですが、当時クルマのチューニングショップの店頭営業をやっていて、もの凄い売り上げがあった時ってそんな感じでした。

私の場合、お客さんとの対話を楽しんでいました。
その方、台湾から来た人だったのですが、現地でどんなことをやっているとかなんか、片言の英語で、とりとめのない話をしていた気がします。

最終的には、大量の部品を買ってくれて、持って帰れないので泊まっているホテルまで配達したら、別れ際に「お前には良くしてもらったから、これやる」って、ビンテージのジッポーライターもらって、「台湾に来たら遊びに来いよ」って言ってもらいました。

その後もヤバめのスジの人に気に入られて、「お前から車買うことに決めたから、なんか良いヤツ選んでくれ」なんてのもありました。ヤバそうだから売る気なかったんですけどね。

で、最近たまたま読んでいた本に、似たような話があったのです。
何とタイムリーなのでしょう。

その本には、他者に関心を持つことの重要性とか、自分だけに焦点を当てているとうまくいかない理由とかが書いてありました。

営業をしていて、(自分が)売りたい売りたいと思っている時って、当然ですが自分のことばっかり考えているわけで、そういうのってうまくいかないのです。

まぁ、そりゃそうだよねとも思います。
でも忘れがちなことです。

まぁつまり、利己的とか、自己顕示欲が強いとか、ナルシスティックなのはうまくいかないってことですね。
でももし、そういう状態でそこそこうまくいっているとしたら、そのリミッターを捨て去れば、凄いブーストが掛かるでしょう。

今回言いたかったのは、自分がフォーカスを当てる対象への矢印が、果たしてどこに向いているかってのが凄く重要だということです。
それが自分の内側なのか、それとも外側なのか。

そういうのって、相手は敏感に察知します。
実は自分だって分かっているはずで、感じ取っているはずです。
でも、自分が当事者になると忘れちゃったりするのですよね。

うん、自分で言っていて耳が痛いぞ。

従順か…面白くはなさそうだね

よくよく考えてみれば…

「言われたことをやる」
そういう学生、一昔前は「従順な学生」と言われて重宝されていたはずです。
多くがそれを望んでいたのではないでしょうか。
まぁ、そういう時代でしたからね。

で、今はそうではなくなってしまった。
そんなことやっていたら、AIに仕事を奪われてしまう…みたいな感じになってきましたね。

いや、どうかな。
今でも多くの先生は従順な学生を望んでいるかもしれないし、多くの学生は従順であろうとしている気もしますね。

まぁ、何事にも慣性力みたいなものがあって、いつの間にか前の世代のやり方に何の疑いもなく追従していたりするものですよね。
習慣ってそんなものでしょう。

一般的なビジネスであれば、収益上げないと継続ができないので、そのために競争力とか差別化とか、チャレンジしたりするのでしょうけど…

興味深いことに、学校は逆です。
変えることが怖いみたい。
「そんなことやって、もし見込みと外れたらどうするんだ?うまく行く証拠あんのか?」
というのが常道みたいな感じがありませんか?
これはまぁ、私の思い込みによるイメージであって、実際にそんなことを言われたわけではありませんが。
でも、単なる偏見かもしれませんけど、先生だって親御さんだって言いそうじゃありませんか?

まぁ、夢工房にいる連中の家族からは、そんな意見が出るようには思えませんが。

ここまで書いて思ったのですが、なんだかんだ言いながら、昔から言われてもいないことに夢中になる連中ってのは一定数いたわけで、今になってみれば、そういう連中は今でも楽しそうに仕事をしていたりするわけです。

「見える化」とは言うけれど

開発とかやっていれば、お馴染みのワードですが、学生にはあまり馴染みがないでしょうか。学校ではほとんど聞きません。
だって学校では、答えだけ見えれば良くて、それで正解とか不正解とかやりますものね。

「見える化」ってのは、最終的なものでは無く、過程にあるものを見えるようにするってことです。

そんなわけで、学生はプロセスとか現状を見えるようにアウトプットすることには慣れていません。
ペーパーテストの解答を出すのには必死になりますが、自分や組織が抱える問題を解決する術を持ちません。

そもそも明確な最終アウトプットが出る前のプロセスってのは、曖昧だったり、迷走したりしているわけで、そういう状態は学校では点数にカウントされません。
学生からしてみたら、そんなものは点数にもならないし面倒なので、できればアウトプットしたくないってなもんじゃないでしょうか。

でも、プロセスを見えるようにしなければ、本人だって整理が付かないし、周囲からアドバイスだってできません。
なので、とても大事なことなのです。

頭の中のイメージは抽象的で、実に不明瞭です。それを明確なものだと思い込んでいる場合が多かったりするし、そもそも頭の中で多くのアイデアを比較したり、順番を組み立てたり、優先順位を付けたり、そういったことは難しいでしょう。
なので、それを見えるようにしましょうよ。ということです。
見えるようにしちゃえば、簡単に整理が付いたり、順番や構成を変えたり、そんなことも容易になります。

それに、頭の中で処理できることには限度があるので、それを目に見えるようにアウトプットしてしまえば、それは頭の中にキープしておく必要が無くてスペースが空くから、次のことができるよね、ということでもあります。

あとはこういうこともあります。
頭の中だけで処理して、正解だけをアウトプットする癖が身に付いていると、そもそも多くのアイデアを比較することができないので、自ずと狭く浅い選択肢で何とかしようとします。
なので、良いアイデアを出すことが難しくなります。

というか、良かろうが何だろうが、できるだけ少ない手間でできるもの、いわゆる安直な手段で何とかなりそうなものしか選択できない…と言ったら言いすぎでしょうか。
でもたぶん、そういう傾向になります。

私はそもそも頭の記憶容量が大きい方でもなく、書くことも苦手だったのですが、「見える化」というワードのお陰で、その重要性に気付いてずいぶん助かりました。

思ったことを書くってのは、もちろんそれなりに労力を要するのですが、頭の中だけで何とかしようとして、ダサイものを作り続けて成果が上がらない方が、よほど労力が要ると思いませんか。何よりそんなんじゃ面白くならないのですよ。