迷ったときには

これから人生を構築していく若者にとって
経験者の持つセオリーは
一見もっともなのですが
実は何の保証も無いことです。
偉そうなことを語っているこのブログもしかりですが。

そういうのを鵜呑みにしたところで
誰も責任を取ってくれないわけですが
参考にはなるでしょう。

さて
皆さん、何か目標を持って日々頑張っていることかと思いますが
その結果、「どうなりたいか」とか「どうしたいか」とか
考えていることと思います。

短期的なものとか長期的なものとか
具体性があったり無かったりするでしょうけど。

明確な目標があれば
それに越したことはないかもしれませんが
無い場合もあるでしょう。

そんなときには二択で行きましょう。

  • 普通で良いのか
  • 普通じゃ嫌か

もちろん仕事の内容にもよるかもしれませんが
最初にこれを決めておけば
仕事をしていて次々に現れる課題に対して
どんな方向で対処すれば良いかが決められます。

  • 普通で良いなら、皆がやるように対処すればいいでしょう
  • 普通が嫌なら、勇気とか労力、手間が必要なやり方を取りましょう

これ、簡単なことで

  • 普通にやったら、最大限うまくいっても普通の結果しか出ない
  • 普通じゃないやり方でやったら、普通じゃない結果が出る

そういうことです。

当たり前なのですが
実は意外と意識されていないことだと思います。
どうですか?そんなことありませんか?

既存の価値観に乗っかって頑張ったところで
生じる優位性は無いわけで

普通じゃないやり方は大変かもしれませんが
当然ながら普通じゃない成果が得られます。

もちろん普通じゃないやり方をしていると
「本当にこれで良いのだろうか?」
と不安になることもあるでしょうし
うまくいかないこともあるし
時として、そのやり方ではどうしようもなくて
方向転換が必要なこともあるでしょう。

でも、その過程で得られることは意外と大きくて
後に必ず活かすことができます。
特にピンチに陥ったときに。

普通の選択肢を取り続けていると
いざイレギュラーなことが発生したり
特別なことをやろうと思ったときに
ネタが無くて、手も足も出ません。
これまた当然のことです。

キャリアデザインっておいしいの?

よく「キャリアデザイン」などと言うじゃないですか。
意識してキャリアを磨くことなどしたことがない自分としては

何だ、そりゃ?
そもそもそれは、自力でデザインできるものなのか?
一体何が欲しいのだろうか?

と思ってしまうのです。

恐らくキャリアデザインって
色んなスキルを手に入れることでしょう?
つまり、「道具を手に入れる」みたいなもので
「何のために?」
という視点が欠落している気がするのだけど
どうなのだろうか。

「資格持ってた方が将来有利だよね!」
のような資格ビジネスに乗っかっちゃってる人と同じように見えるのだけど。
いくら良い道具を持っていても
良いものができるわけではないですから。

でなければ
恐らくこの場合の「何のため」は
収入による自分の将来の安定とか、老後の心配とか
そういうことなんじゃないだろうかと思うのですが。

まぁ、そういうことを考えても良いとは思うのですが
とすると結局、利己的なゴールを定めちゃっている
ということになるのではなかろうか。
それはあまり面白くなさそうだし
それによって喜んでくれる人はいないだろうから
結局は価値の創造が最低限になっちゃったりするのではないだろうかと思うのです。
(便利な道具のような人にはなるかもしれないけど)

頑張ってキャリアを積み上げている人が
裕福でも偉くもなくい人間に
こんなこと言われたら腹が立つかもしれないけど
そんなふうに思います。

色々やってきて思うのは

「何のために」が明確化されていれば
手元の小さいことを目的化するのではなく
目的に向かう大きな流れに身を任せたり
時として流れを作ったりして
手元のもの(スキルとか)は
その流れに任せるてやるべき事をやっていれば必然的に手に入る
といった感じで良いのではないだろうか
と。
それが実践的なスキルってやつではなかろうか
と。

そんな流れの中から求められることに応じる
というのは、実はとても価値があることではないかと思います。
単に「言われたことをやる」ではないですから。

学校ではHow toを教えるところだから
「どうやって」(手段)に目が行きがちだけど
大事なのは「何のため」(目的)ですよ。

学歴とかキャリアとか
そういうのに拘るのも分かる気がしなくもないけど
目に見えるもの以外を伸ばすことが重要だと思うのです。
目に見えないものに拘るのは勇気が要るとは思いますが。

正直なところ
キャリアの構築を目指しているような人で
一緒に仕事したいなぁと思うような
魅力的な人がいないもので。

ハッピーなチャレンジャーになるために

どうしたら人の行動が「喜び」に繋がるのだろう
なんて考えるんですよ。
まぁ、人相手の商売ですから当然ですよね。

おっと、仕事である限り
人が相手じゃない商売なんて無いのか。
全く人が関係しないなら仕事にはなりませんものね。

そんなことを考えると
いわゆる昔ながらの商人の考え方
「三方良し」
とかは、全ての仕事に通じると言えるのでしょうね。

さて、今回は
自分が何かをやる上で
ハッピーになるためにはどうしたらいいのだろう
ということを考えてみましょう。

「喜ぶ」というのは感情の動きですよね。

何かに遭遇して
それに対する表現の一つなのでしょうけど

その遭遇したものに対して
悲しんだり喜んだりするわけで

感情って、結局は「評価」の表現なのでしょうね。

とすると
評価者の価値観によって評価内容は変わるわけで
絶対評価なんかは無いですね。
うん、そりゃそうだ。

「誰でも絶対に喜ぶ」なんてことは
厳密に言ったら無いのでしょう。

人はどんなときに喜ぶのか?

予想外のことが起きた(遭遇した)とき

起きたことが望んでいたこと以上なら喜ぶでしょうし
望んでいたこと以下なら喜べません。

では、思っていた通りのことならどうなのか?
この場合
「思っていたこと」が問題です。

できると分かっていることをやった
その結果、当然のことが起きた

想像通りのことが起きた(遭遇した)
ということでしょうけど。

であれば、喜びというより
安心ですね。

一方、「思っていたこと」のレベルが高くて

「できるかどうか分からないけど
こうなったらいいな」

というビジョンに基づいてやったことであれば
その「思っていたこと」が起きれば嬉しいですね。
どれくらい嬉しいかは
自分の持つ評価指針によるでしょうけど。

他には
労せずして良いことが起きちゃったりして喜ぶ
なんてこともあるでしょうけど
この際それは考えないことにしましょう。

宝くじで億を当てちゃう人って
多くの人が人生が壊れちゃうって本当なんですかね?
本当かもしれませんね。

さてさて
ということはですよ
喜ぶためにはプロセスというか
シーケンスがありそうですね。
それはこんな感じかな。

  1. 思う(考える)
  2. 行動する
  3. 評価する

で、このシーケンスをループとして回していくのですね。

で、評価が
あるレベルを超えたら大成功!
ということですね。

ということは
これを構成するそれぞれは当然重要なわけで
でっかい喜びを得るためには
それらを磨く必要があるってことです。

  • 日頃、何のために何を考えているか
  • どのように行動しているのか
  • 起きたものごとに対してどう思っているのか

たぶんこれらが大事ってことですね。
これらのどれが欠けても
長い目で見た喜びには繋がっていきそうもない
というのは容易に想像できます。

恐らく、予想できることしかやらない人は
予想外のことが起きるはずなんてないので
喜びが少ないのだろうなぁ
なんて思うのですが

恐らくそういうタイプの人は
喜びより安心を求めるのでしょうね。
なんか分かる気がします。