日本の学生はチャンスがいっぱい

そろそろ大学3年生は
就活の時期に突入しているかと思います。

今までの経験や実績を活かして
希望の仕事に就けるといいですね。

日本には多くの自動車メーカーが存在するのはもちろん
他の分野でも世界有数のレベルの高い企業が揃っていて
学生は恵まれていると思います。

本学Formula SAEチームが
このところ遠征に行っている
オーストラリア

以前は、地元のホールデンをはじめ
トヨタ、三菱、オーストラリア・フォードと
色々なメーカーが頑張っていましたが
現状ではゼロです。
なんと寂しい限り。

人件費があまりに高いので
オーストラリアで自動車を作ると
価格が高くなってしまうのです。

それでも現地の学生達は
けなげに良いレーシングカーを作り続けてます。

以前
オーストラリア大会で
現地の学生に
「卒業したら仕事は何するの?」
と聞いてみたことがあります。
そうしたら
「うーん、たぶん鉱山でエンジニアをやるよ。
炭鉱になるかダイヤモンドの鉱山になるか分からないけどね」
との返事。

彼ら良い車作るんですよ。
性能もクオリティもデザインも
総じて日本よりレベルが高いと思います。

他には
「日本でバイクの設計がしたいんだ」
という学生もいました。
でも、オーストラリアのエンジニアの給料は
日本よりずっと高い。
何倍も違う。
そんなことを話したら
「お金の問題じゃないんだよ。
日本のメーカーでバイクの設計がしたいんだ!」
なんと健気じゃないですか。

彼らは英国連邦の一員なので
「イギリスのメーカーはどうなんだい?」
と聞いたら
オーストラリア人が
イギリスで仕事を見つけるのは
難しいと言ってました。

実を言うと
ずいぶん前の話ですが
オーストラリアの学生の
就活サポートをしてあげたことがあります。
日本の某メーカーに応募したいというので
応募の方法や必要書類などの作り方なども教えました。

彼は性格も良かったし
スキルのレベルも志も高かったので
こういうコが日本のメーカーにいたら
良い刺激になるんじゃないかな
と思ったのです。

でも
結果は門前払いです。

会社自体は対外的には
国籍にはこだわらないような雰囲気がありましたが
実際は、書類を提出したらそこで終わり。
十分な選考はしてもらえませんでした。

これ、分からないでもないんです。
会社側としては
かなり面倒な案件だったのでしょうね。
仮に入社しても
研修とかその後とか、色々を考えると
面倒で断りたくなるのは想像に難くありません。

仮に開発の現場がそういうケースを
「いいじゃん!面白いよね!」
と思ったとしても
人事担当者は嫌なんだろうな
と思います。

今はどうなんだろう?
海外から新卒の応募とかあるのかな。
昔は中途採用でも海外から来たという例は
見た覚えがありませんでしたが。

でも
こんなふうに
大学でエンジニアリングを学べたり
日本の企業に応募するアクションを取れる彼は
幸せな方なのかもしれません。

というのも
かの国では
自動車を学ぶために
工科系の大学に入るには
それにふさわしい基礎教育を
高校、中学校、小学校で受けている必要があるのですが
初等教育の学校は学区制なので
それなりの学校に行くには
その地域に住んでいることが前提です。

なので
そういう地域にはお金持ちが集中するので
地価はものすごく高くて
そもそもそこに住むこと自体が難しい。
そういうわけで
多くにチャンスがある状態ではないとのこと。

先進諸国に限らず
他の多くの国も似たようなものだと思います。

日本人であれば
大学まで行くとなれば
もちろんそれなりにお金は必要ですが
勉強を頑張って学費の安い大学に行くとか
奨学金をもらうとか
チャンスはいくらでも掴めます。

そして
数多くの自動車メーカー、部品メーカーがあるので
頑張ってそこに入社する
という道が多くに開かれています。

日本の学生達に対して
「君たち楽チンで良かったね」
なんて思っているわけではなく

多くの者が夢を叶えられる環境があるのだから
ぜひ頑張って学生生活をやりきって欲しいと思うのです。

で、良い仕事してください。

やはり「技術は人なり」だ

お付き合いのある
とある会社の社長さんが
我が夢工房に来てくれました。
F1とかMotoGPなどの
トップカテゴリーのマシンの部品はもちろん
ジェットエンジンとかロケットとか
とにかく最先端の部品を
世界最高の精度と品質で作る
凄い会社の社長さんです。

世界中の(「日本中の」ではありません)トップカテゴリーの
ほとんどのチームがその会社に部品を発注しているので
どのチームが勝っても嬉しいという凄い仕事をしてます。

レーシングマシンの仕事しかしていないわけでないけど
こんな表現ならレベルの高さが分かりやすいのではないかな。

本学の卒業生もその会社で良い仕事をしてますし
仕事をオーダーしているチーム側の設計者も
私の研究室の卒業生だったりします。

嬉しいやらありがたいやら。

今まで何度も工場を見せてもらって
話を聞かせてもらっていますが
そのたびにビックリしたり納得したり。

話を伺っていて
エンジンからEVにシフトするとか
自動車そのものの形態が変わっちゃうとか
これから色んなことが大きく変わるだろうけど
高いレベルにチャレンジできる組織は生き残っていくんだな
と感じました。

「これからはEVだ」
と聞くとすぐ動いちゃったり
フラフラすると生き残っていけないみたいですね。
トレンドに追従したくなる気持ちは分からなくはないけど。

チャレンジして強みを作って磨いていく
本筋はこれだな。

やっぱり「人」だな。
と思いました。

チャレンジする人が
高い技術を必要とする
高い技術を生み出す

「技術は人なり」
ですよ。

結局は本人次第なんだけど
背中を押すことはできるはず。

夢工房では
せめて原石を割って
宝石が見えるくらいのところまでは持っていきたいものです。

日本人の仕事に向き合う心

働き方改革って
労働時間短縮して効率上げよう
みたいな感じですかね。簡単に言うと。
他にも色々あるようだけど、その辺がメインでしょう。
日本人は長時間働き過ぎだと。
少子高齢化する今後を見据えて
グローバル化した世の中で競争力を上げましょう
ってことですよね。

「何で日本人ってそんなに残業するんだ?」
これね
前職でイギリス人とイタリア人のエンジニアと
仕事してるときに言われたんですよ。
オーストラリアの人にも言われたな。

その時
「ハッ」
としました。
理由、分からなかったんですよ(笑)

でも
別に残業が嫌だとは思っていない訳です。
車の開発やってる時って残業を命じられた記憶はない。
たまにはあったとは思うけど。
なので
「好きでやってるんだな」
と思いました。
まぁ、仕事は山ほどあって終わりがないんですが
どう進めるかは自分の裁量である程度決められたんですよ。
でも、やれるときはやれる限りやっていました。

まぁ、このへんは人によって様々だと思いますが。

キリスト教圏では
つまり欧米では
労働は神様から科された負荷という概念…で良いのかな。
だから基本的にやりたくないとか
だからこそ神に捧げる崇高な仕事をするとか
向き合い方は色々あると思うけど
基本的には労働時間短縮に対しては
大きな価値を感じているのではないかと想像しています。
ヨソの国の人と宗教に関する話をしたがらない人もいるけど
この点は、そのうち機会があったら誰かに聞いてみます。

日本では
神様ですら仕事をなさるわけですよね。
農作業とか機織りとか。
天皇陛下だって皇居でお田植えをなさるくらいなので
旧来から仕事とは尊いもので
忌み嫌う対象ではない。
なので、そもそも労働時間を短縮したいという意識は
あまり強くなかったのではないかと思っています。

仕事に対して
できればやりたくない
という層は古今東西を問わず
一定数いるわけですが
それはこの際置いておきましょう。

でも
働き方改革とか言って
まずルールを設定して
労働時間を短縮させて
効率を上げる
って順番おかしくないか?
って思うんですよ。

まず労働時間という枠を狭めた環境で
時間という重要なリソースを縮小した中で
知恵を絞れって事でしょう?

まず今の枠
もしくは枠を広げた状態で
選択して
集中する
ってのが筋なのではないかな。

とか思っているんですが
「政府に反対しようぜ!」
なんて言いたい訳ではありません。

自分たちの代表として選ばれた人たちが決めたことだから。
できれば信頼してお任せしたい。

何が言いたいのかというと
まず、仕事に向き合う「心」を何とかしようよ
ってことです。

仕事の効率が上がらないって
労働時間とかスキルとかの問題では無いでしょう。
そんなの結果に過ぎないから。

何かをやるって
まず意識
つまりその人の心があるんじゃないの?
で、各人の心が
何をやるか・やらないか
どうやるか
を決めているんでしょう?
だったら、その心の部分を変える
意識を変えるような取り組みが先ではないでしょうか。

そもそも
仕事に意味とか価値とか感じられなくて
面白くもないのであれば
「効率上げろ」とか言われても無理でしょう。

仕事が面白くなるように意識を変えない限り
行いは変わらないので
結果は変わらない。

ブラック企業とかもそうですよね。
労働時間が長いことがブラックなんじゃなくて
仕事に「心」が無いからブラックって呼ばれるんじゃないの?
利益ばかり見て
仲間とか部下のこと考えないとか。

もしくは
仕事の意味とか意義とかを見いだそうとせず
悪いとこばかりを見たり
単に労働時間だけにフォーカスしちゃうとか
そうしたらブラック企業に見えるかもしれません。

すっごく残業したって
そこに心があるなら
自ら進んでやりたくなってる仕事なら
やってる本人はブラックなんて思わないよね。

時間を短くしておいて
その状態で効率上げろ
って、そのアプローチこそがブラックっぽいですよね。

法律とかで縛りを設けておいて
「効率上げないと大変なことになるぞ」
みたいな事になったら
仕事している人の心は
まるで奴隷みたいじゃないですか。
そんな奴隷的な心で良い仕事しろ
効率上げろって無理ですよ。

労働時間が長いままで成果を大きくしろ
って言ったら
高度経済成長の時みたいに
馬車馬みたいに仕事をするようになっちゃう
とか思ってるのかな。

ならないでしょう!
時代背景が違うんだから。
というか
ならないようにする工夫することが大事なんじゃないかな。

規則で何とかするなんてのは
現場の工夫ではどうしようもない場合の最悪の時の対応でしょう。
…というようなことは
企業で働いた経験がある人ならみんな分かってるんじゃないかな。

「えーっと、規則ではどうなってたかな-」
で、行動を決めるより
「そんなの分かってるよ」
と自発的に動いた方が
より良いでしょ。
どう考えても。

規則で縛ると
大抵のものは最低限になっちゃったりしませんか?

当然だけど
規則で心を縛って良い仕事させようなんてのは無理なんだよなぁ。
なので結局
これって政府主導で何とかなる問題じゃないんじゃないかとも思います。

さらに言うなら

色んな人がいて
色んな考え方があっていいけど
おおらかさを許容できない方向に
社会が向かってるのではないかと思えてなりません。

おおらかさを失って
正確でなければいけない
明確でなければいけない

そうなりすぎてしまうと
考えの幅が狭まってしまって
事によっては考えなくなる。
みんなが考えて工夫する余地がなくなってしまう。

近年は
色々ありすぎて
みんな心がしぼんじゃってませんか?
だったら
それを何とかするのが最初ですよね。

まずルールで何とかしようなんてのは
人の心や力を信じてないやり方ではないでしょうか。

労働の効率とか生産性が重視されるのは分かるけど
もし
欧米の物差しで同じようなやり方をしなければならない
なんて思っているなら賛成できないな。

そんなヨソの価値観とかやり方に従ってやったら
やる前から負けるのは確定している。
我々の強みを活かさなければ競争力なんて得られるわけないでしょう。

いずれにしても
過去の歴史から強みを引っ張り出して再考して
日本人の仕事に向き合う心の再構築が必要なんじゃないかな。

と思う今日この頃。