プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 その2

この博物館は、ビルのような建物ではなく、ハンガーと呼ばれる飛行機の格納庫を利用したような構造になっていたりして、なかなか雰囲気あります。
以前来たときは、もっと薄汚れたというか、くたびれた感じでした。もっとも、その方が雰囲気はありますけどね。
今はかなり綺麗になって、ハンガーも増設されています。

ライトフライヤー号があったハンガーから出て、すぐ隣の外国機があるForein Hangarに行ってみましょう。
ここには、我々日本人が見逃せない貴重な機体があります。

まずはこれ。

言わずと知れた零戦です。零式艦上戦闘機52型。
なんとこれは、世界に唯一現存するオリジナルのエンジンを搭載している飛行可能な機体なのです。

こんなのもあります。局地戦闘機の雷電。これも現存する唯一の機体じゃなかったかな?恐らく飛行はできません。
手前にあるのはロケットエンジン特攻機の桜花です。靖国神社の遊就館にもありますが、あちらはレプリカ。これは本物です。

雷電を別のアングルから。
オレンジ色のはロケットエンジンの局地戦闘機、秋水。これまた唯一の現存機。機体色がオレンジなのは試作機であるため。
一番右にあるのは秋水のベースとなったドイツのメッサーシュミット Me163。日本機は本物ですが、これは木製のモックアップです。

こちらは艦上爆撃機の彗星。
遊就館にあるのとは別のタイプです。

というわけで、ここでしか見られない貴重な日本の飛行機の数々でした。

ちなみに、なんでアメリカに日本にも無い軍用機があるのかというと、終戦後にアメリカ軍に接収されて海を渡ったのです。
で、調査・研究後は用済みになって、スクラップにされたりするのですが、それを買い取る人がいたりして、博物館などに展示されたりするわけです。

レアな日本機を見たければ、スミソニアン博物館の別館、ウドバーハジーセンターもお勧めです。

プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 その1

9月のARLISSの帰りに寄った博物館の紹介をしましょう。
知る人ぞ知るマニアックな博物館です。
HPはこちら

場所はここです。
ロサンゼルスの空港付近から、クルマで1時間30分くらいかな。

なぜか外観の写真撮らなかったのですよね。
「2回目だしなー」なんて思っていたから。
でも、建物前の駐車場に並んでた凄いクルマは撮りました。

入ってすぐに目に入るのは、ライト兄弟のライトフライヤー号。
もちろんレプリカです。
アメリカの航空宇宙関連の博物館は、ライトフライヤー号の展示がしてあるとことろが結構あります。
でも、こんなに間近で見られるところはあまりないんじゃないかな。

この写真は機体の正面から見ています。
右翼(写真では左側の翼)の前にある木箱は、ライト兄弟が製作した翼の形状を決めるための風洞実験装置(のレプリカ)です。

お陰で詳細な構造も良く分かります。
ライトフライヤー号は、一機のエンジンで左右1つずつのプロペラを回しますが、左右のプロペラを同方向に回すと、反力で機体がロール(横転方向の回転)しちゃうので、片側のプロペラはチェーンを8の字に架けて逆回転させています。黒いパイプのチェーンガイドが交差しているのがわかりますか?よく見えませんが反対側はそうなっていません。
これはチェーン駆動だったからできることで、自転車屋さんだからこそのアイデアです。(というのは、お師匠様の佐野先生からの受け売りです)

ご存じの通り、初めて飛んだ飛行機はこのライトフライヤー号なのですが、現代の飛行機と比べて構成がだいぶ違いますね。

まず、昇降舵(エレベーター)が主翼の前方にあって、方向舵(ラダー)は後ろ。
そして現代の飛行機には常識的に装備されている機体をロールさせるためのエルロンはありません。

飛行機の左右方向の運動は、基本的にロールで行うので、エルロンは重要なのですが、これは主翼に取り付けた別部品としての動翼でやるのではなく、主翼をねじることによって行うのです。
ライト兄弟は、この「主翼をねじって機体をロールする」という構造の特許を取ったので他は真似できませんでした。仕方なしに他の飛行機は動翼としてのエルロンを装備したのですが、今やそれが常識。
何とも皮肉なことです。

ライトフライヤー号は、地面に敷設したレールから離陸したはずなのですが、これは機体の「脚」についているレール用の車輪。自転車のハブですね。さすが自転車屋。

この入って早々にあるライトフライヤー号、近くで見られることで各部の構造が良く分かるので、しばらく見てました。
「あー、そんなふうに操縦するのね」って感じで。

続く

カントの哲学

こういうのを知っておく必要があるのだろうなぁ、とは思っていました。

先日のアメリカ遠征では、四六時中学生に付きっきりではないので、時間があるときに写真にあるような本を読んでいたわけです。
大変勉強になったのですが…

これは想像と違っていました。
ただし良い意味で。
でも、多くの人は価値観がひっくり返ります。

意外だったのは、「善」とか「徳」という話が展開されていることです。
人間社会は相互依存しているのだから、他者を大切にするのだ、という話です。

そして、正義のためとか自分の幸福のためといった動機を肯定しません。

極端に言ってしまうと
正義とか幸福のためとか言うが、それは自分のためだ。
もしそれを皆が継続的にやったらどうなるかを考えて
それで社会がうまく回らないようなら、それは悪だ
それでうまく回るなら善だ
というような考え方です。

まぁつまり「個人の損得とか、快楽の追求なんてのは道徳的では無い」ってことです。

さらに言うと「良い事すると気持ちいいよね」ってのも個人の快楽の追求なのだそうです。で、そんなのは道徳的では無いだろう、と。

だって、自分が気持ちよくなるために良いことをやっているだけであって、気持ちが良くなければやらなくていいということになるのだろう?それでは道徳的では無いぞ。ということです。

うーん、面白い。確かにそうだ。

「正義」については、なんでそれがダメなの?と、理解しにくいかもしれませんが、何が正義かは、自分の幸福を基準に考えるわけで、それは人それぞれであって、皆にとって絶対的で究極的な幸福なんて無いだろう、と。

とまぁ、こんな説明では良く分からないでしょうけど、この本を読んで分かったのは、個人の幸福や利益の追求みたいなことをやっていくと、うまくいかなくなるのは当然なのだな。ということです。

個人主義で、多くが利己的な考え方をするような社会は崩壊してしまうぞ
徳性を高め、善を行うべきである
と。

なるほど。確かにその通りだ。