やはり今はターニングポイント

一体今はどういう時代なのだろう
と思うことがあります。

我が国は
高度経済成長によって発展して
世界有数の先進国となって
伸び悩みつつも
国内総生産では第3位です。

対して国内の雰囲気はどうかというと
失われた30年と言われていて
決して良好とは言えませんね。

世界第3位なのに気持ちが停滞してるんですよ。

これが良いのか悪いのか?

3位なのに満足いっていない
という見方もできる

一方、2位から没落した
という見方もできる

いずれにせよ
現状に満足できる状態ではないですね。

では、どうしたら満足できるのか?
満足できないなら再起するのか?
一体どうやって?

それは我々次第なのでしょうね。

気持ちが下降していて、しかも他人任せなら
たぶん何もできないでしょう。

2位だの3位だのというのは
経済規模の話ですが
経済が上向きのときは
恐らく人の心も上向きです。

お金が人の心をハッピーにするわけではなく
気持ちが上向きで前向きなら仕事もイケイケになるでしょうから
当然、結果としての経済もうまく回るでしょう。

ただ、ブータンのように
経済規模は大きくなくとも
国民の幸福度を向上させる方法はあるのだろうな
と思う反面
他国からの侵略を回避するとか
難しい問題を抱えていたりもするようで
世界情勢は難しい。

そもそも、一度経済規模を大きくした経験があると
生活水準を下げる方向で満足するのは難しいでしょうね。
そういう面ではヨーロッパ諸国が参考になるのかな。

とはいえ、そういう国々も含めて
今や世界のあちこちでキナ臭い雰囲気になってきて
我が国も人ごとではありませんね。

降りかかる火の粉は払わざるを得なかったり
そもそも火の粉が降りかかるような情況を作らないためには
やはり国力がものを言うのでしょう。

とまぁ、こんなふうに色々ある中で
人の価値観や考え方は変わっていくのでしょうね。
今がまさに時代のターニングポイントなのかな。

だとしたら、今がどんな時代なのかなんて
時が過ぎてみないと評価できないのでしょうね。

というわけで
そんなことを考えたりもしながら結局は
自分のフィールドでベストを尽くすのが最善なのだろうなぁ
とか思って日々を過ごしています。

「土」ってなんだか知ってるかい?

我々日本人にとって
地面と言えば「土」ですが
この「土」って一体何なのか考えたことありますか?

そうですか、ありますか。
でも話を続けますよ。

我々には、身近にあるのが当然で
あまりに自然で、馴染みが深くて
だからこそ、あまり気にしないのだと思います。

そんな土は一体何なのだろう?
と、ある日突然気になったのです。

それは新潟の山の中にある温泉宿の露天風呂に入っていたときです。
目に入るのは目の前の渓流と森の木ばかりで
こんな事を考えたのでした。

ああ、この木も成長して
いずれは朽ち果てて
大地に還っていくのだろうなぁ。

で、その大地からまた芽が出てくるんだろうけど
その土は、岩石が微細に砕けたかけらと
植物や動物などの生き物の成れの果ての混ぜ物なわけで

ということは
死がなければ生は無いわけで
生があればいつかは死が訪れるわけで
そんなのが延々繰り返されて
たっぷり土があるからこそ
木がしっかり根を張って
こんなに大きくなるんだよなぁ。

そんな土の層が十分な厚さになるには
一体どれだけの年月が必要だったのだろう。

昔は日本人も土葬だったので
この自然のサイクルの一部だったのだろうけど
今やほとんどが火葬になっちゃって
自然には貢献してないんだな。
なんか申し訳ないというか何というか
今や地球には役立たずじゃないか。

というか、いつかは自分も死んで
自然の一部になるのだとして
新たに生まれる生命だって
自然から発しているとしたら
一体、自分と自然(地球)の境目ってどこなんだ?

待てよ
火葬じゃ地球に役立たずというわけではないのかな?

燃えて気体になったものは大気に還るし
灰は、播いちゃえば地球の一部だな。
でも何か味気ないな。

あと、忘れちゃいけないのは水だよなぁ
水も周囲にあるのが当然だと思っているけど
水か無ければ生き物はいないわけで
そうなったら土だって無いわけで。

たかが土って思いがちだけど
生きものや水とか
絶妙な条件が延々と継続した結果なわけで
これは奇跡的に凄いことだな。

アメリカやオーストラリアの奥地の荒野や
エジプトの砂漠には
水が無いから生物がいなくて
だからこそ砂しか無いわけで
土があるのは決して当たり前じゃない。

そう考えると
日本人というのは奇跡的な環境に恵まれているわけだけど
それが当たり前になっちゃっていて
多くの人はありがたみなんて感じてないのだけど
もしこれを
奇跡的にありがたい環境だぞ
と自覚したら、何かいいことあるのかもしれないな。

今はコロナで大変なことになってるけど
昔から疫病ってのは
いわゆる発展した地域から拡大していくわけで
だからこそ未開の地に住む原住民が
先進国の開拓者に接触すると
疫病で致命的なことになったりして
これは一体何なのだ?

自然から生活を切り離した人類に対するしっぺ返し
…にしては、死んでしまうのは原住民の側なわけで
文化的な生活をしている側は
新たな病に遭遇して、免疫を手に入れて
より高度な文明を築いていって
最終的にはどうなっちゃうのだろうか。
このままどこまでも行けるとは思えないな。

とか色々考えていたのですが
湯あたりしそうだったので、この辺でお終いです。

ああ、温泉行きたいなぁ。

ぶっちゃけると

今日はぶっちゃけます。

Formula SAEという
世界中の学生がレーシングカーを作って競い合う
そんなイベントに
20年あまり参加してきて分かったこと

…の一部を記憶から引っ張り出して
今日のネタにしてみましょう。

アジア勢をはじめとする
いわゆる発展途上国など
新興勢力のパワーは
何となく
ではなく
かなり理解しました。

というか
だいぶ前から理解していました。

中語、韓国をはじめ
台湾、タイ、インド、パキスタン、イラン
色んなチームを見ました。

彼らに遭遇した場所は
アメリカとオーストラリア
が中心ですが。

みんな凄いパッションです。

あの連中が社会に出て
良い仕事をするのは当然でしょうね。

一概には言えないとは思いますが
彼らは日本人以上に
こういう活動で海外大会に出るのは大変だと思うのです。

でも頑張ってます。

でも、マシンの性能や品質はどうなんだ?

自動車大国、日本の学生に敵うわけないだろ!
とお思いですか?

それは一概には言いにくいところです。
チームによって色々ですからね。

レベルはピンキリですが
でも、日本が圧倒的に優れている
とは言えないのが現実です。

新興勢力のチームは
何かしら強みを持っていたりします。

あくまでも欧米の大会で見かけた内容を
ベースとしたお話しですが…

約20年前
すでに日本のチームは
韓国のレベルに追いついていませんでした。

今や中国や台湾、タイなどのチームは
外観の品質で言うなら
日本よりレベルは上だと思います。

インドのチームなんかは
以前は、ひどいありさまでしたが
今やカーボンファイバーのホイールを作ったりしてますし

パキスタンなどは
品質こそ低いですが
モノコックのボディにトライしたりしています。

イランなんかは
まともな遠征計画もないのに
何が何でも、とにかく現地行く
で、やれるだけやる。

オーストラリアを含めた欧米はどうかというと
日本のチームよりよほど繊細で
高品質な部品を作ってくるし
戦略面で強いし、スキルレベルも高い。
これはずっと前から当たり前のこと。

日本人は繊細で器用?
そんなことは無い。

じゃぁ、日本人の強みは無いのか?

正直、思い当たりません。

自分達が普通にやっていることは意識できないし
自分達にとって当たり前だと思っていることは見えない
そんなことが思い当たらない理由なのかもしれません。

なので、外から見たら
何かしら良いところがあるのかもしれません。

日本人だって頑張ってはいます。
真面目にやっています。

でも、諸外国勢のパッションをベースとした
チャレンジ精神には到底敵わない
というのが現状です。

日本人、チャレンジできていません。
夢が炸裂していないのです。

Formula SAEは一例です。
私が知っている世界なので
例に挙げやすかっただけです。

でも、たぶんマクロ的に見ても
そういうことになっているのだと思います。

別にここで泣きを入れたいわけでも
言い訳をしたいわけでもありません。

生意気なようですが言わせてもらいます。

日本の企業の給料は
1980年代から下がり続けているそうですね。

たぶん、新興勢力を甘く見ていたのではないでしょうか。
自分達はイケてるから
このまま行けば大丈夫だ
と思っていたのではないでしょうか。

言い方が悪いけど
「あいつらに、こんなレベルの高いことできるわけないだろう」
と思っていたのではないでしょうか。

企業活動はもちろん
学校だって
「レベル高いから大丈夫だよ」
といって
同じやり方を続けてきたのが
原因の一つのような気がするのです。

もちろん、皆がバラバラと違うことをやっていったら
収拾が付かなくてカオス状態になるでしょうから
何でもかんでも変わっていれば良いのかというと
そういうことはないでしょうけれど。

継続すべきこと
変えるべきではないこと
守るべきこと
というのはあるでしょうが

多くが守りすぎで
やり方が単一的すぎた
そんなことはないでしょうか。

周囲が徐々にでも上昇しているなら
水平飛行している者は
相対的には下降しています。

世界はパイ取り合戦なので
周りがいっぱい取っちゃうと
自分の取り分は無くなるのです。

1980年代から比べれば
みーんな塾に行って勉強するようになって
大学の進学率も上がってるし
大学院にもたくさん行くようになった。

でも何で給料下がっちゃうの?

いっぱい勉強すれば
素晴らしい製品が作れるようになって
それが売れに売れて
ハッピーになるはずじゃなかったの?

今は何が致命的かって…

チャレンジできないのですよ。

真面目にはやっています。
怒られるようなことは極力しないから
大した問題は起きません。

でも

欲しいものを
デカイ声で
「何が何でも欲しいんだ!」
って言えないんですよ。

そんなんで面白いのか?
と言いたい。

リスク取って頑張っていれば
失敗して落ち込むこともあるし
思いがけず人様に迷惑を掛けてしまうこともあるかもしれません。

でも、そんなのは成長過程においては仕方ないことで
後になって、何倍にも価値を増幅して
リカバリーしたり恩を返せば良いと思います。

何度も同じようなことを言っていますが
この状態は
私を含む年長者のせいです。

この環境を作ったのは我々だから。

でももちろん
本人にも頑張ってもらわなければなりません。

現状の延長で行くのが嫌ならば
皆でこの状況を何とかする必要があります。

こんなこと
偉そうに口で言っていても
多分なにも変わりません。

なので夢工房で
できる限りやるしかない。

頑張っても、全体に対する影響は
ほんの微々たるものかもしれないし
そもそもうまくいかないことも多いかもしれないけど
それでもやってみよう。

学生達には全力でトライしてもらって
「おお!俺は生きてるぞ!」
という感覚を味わって欲しいのです。