環境問題に思う

以前にも環境問題についての記事を投稿しましたが
今日もふと環境問題について思ったのです。

今、一番ホットなのは地球温暖化で
CO2の排出が原因だ、と。
他にもメタンガスとか
色々と原因になるものが挙げられたりしていますね。

「地球温暖化なんて嘘っぱちだ」
なんていう意見もありそうですが
他にも環境問題はあるわけで
この際、細かいことはやめておきましょう。

今日思ったのは
CO2とか細かいことにフォーカスしても
結局問題は解決しないのではないか
ということです。

問題の根源は
CO2をたくさん排出してしまう
我々の社会の構造
果ては文化や文明にあるのであって
そこから生じる問題の一つである
CO2にフォーカスしたところで
結局は似たような問題が出てきちゃうんじゃないの
なんて思ったのです。

人は生きているだけでも
CO2を排出します。

ものを作って、売って、買って…
そんなことをやれば
もちろんCO2は排出されます。

多くの場合
それらを消費したり使用したりする際にも
CO2が排出されたりします。

いわゆる文化的な生活をする限り
そこから逃れることはできないでしょう。

誰もが豊かな生活をしたいと願うでしょうけど
それが物質的に「豊か」ということになると
それはつまり「余裕がある」ということです。

「余裕が欲しい」のであれば
「よりたくさん欲しい」
みたいなことになります。

作る側、売る側にしたら
質も量も向上・増加していく必要があります。

それが「豊か」ということです。

そりゃぁCO2どころか
色々余計なものが出ちゃったり
エネルギー消費が増大したり
そういうことになるのは当然でしょう。

天然素材を使うとか
リサイクルするとか
やらないよりは良いというか
やるべきなのでしょうけど
本質的にはそういう問題ではないでしょうね。

どうして今のような状態になっているかというと
ある特定の価値を追求するからでしょう。
前述の「豊かさ」なわけですが。

今の価値観の方向性で行く限りは
持続可能な社会を構築
というわけにはいかないのではないでしょうか。

そう、結局は物質の問題ではなく
心の問題であって

何を「豊か」とするのか
という問題なのだと思います。

このままでは環境が持続できない
ということは、その豊かさが
地球上で唯一孤立している生物である
我々人間だけのための
利己的な方向を向いているからに他ならないわけで
それは我々の心に原因があるに決まっています。

まぁ、調子に乗ってやり過ぎちゃったら
困った状態になるのは当然でしょうから

いい加減にしろ
って地球に、宇宙に言われてるような気がします。

ビッグチェンジしないと死ぬぞ
ってことになったら
するしかないでしょうね。

…しなかったりして。

さぁ、我々人類はどうしていくのでしょう?
他人ごとではありませんけどね。

やはり今はターニングポイント

一体今はどういう時代なのだろう
と思うことがあります。

我が国は
高度経済成長によって発展して
世界有数の先進国となって
伸び悩みつつも
国内総生産では第3位です。

対して国内の雰囲気はどうかというと
失われた30年と言われていて
決して良好とは言えませんね。

世界第3位なのに気持ちが停滞してるんですよ。

これが良いのか悪いのか?

3位なのに満足いっていない
という見方もできる

一方、2位から没落した
という見方もできる

いずれにせよ
現状に満足できる状態ではないですね。

では、どうしたら満足できるのか?
満足できないなら再起するのか?
一体どうやって?

それは我々次第なのでしょうね。

気持ちが下降していて、しかも他人任せなら
たぶん何もできないでしょう。

2位だの3位だのというのは
経済規模の話ですが
経済が上向きのときは
恐らく人の心も上向きです。

お金が人の心をハッピーにするわけではなく
気持ちが上向きで前向きなら仕事もイケイケになるでしょうから
当然、結果としての経済もうまく回るでしょう。

ただ、ブータンのように
経済規模は大きくなくとも
国民の幸福度を向上させる方法はあるのだろうな
と思う反面
他国からの侵略を回避するとか
難しい問題を抱えていたりもするようで
世界情勢は難しい。

そもそも、一度経済規模を大きくした経験があると
生活水準を下げる方向で満足するのは難しいでしょうね。
そういう面ではヨーロッパ諸国が参考になるのかな。

とはいえ、そういう国々も含めて
今や世界のあちこちでキナ臭い雰囲気になってきて
我が国も人ごとではありませんね。

降りかかる火の粉は払わざるを得なかったり
そもそも火の粉が降りかかるような情況を作らないためには
やはり国力がものを言うのでしょう。

とまぁ、こんなふうに色々ある中で
人の価値観や考え方は変わっていくのでしょうね。
今がまさに時代のターニングポイントなのかな。

だとしたら、今がどんな時代なのかなんて
時が過ぎてみないと評価できないのでしょうね。

というわけで
そんなことを考えたりもしながら結局は
自分のフィールドでベストを尽くすのが最善なのだろうなぁ
とか思って日々を過ごしています。

「土」ってなんだか知ってるかい?

我々日本人にとって
地面と言えば「土」ですが
この「土」って一体何なのか考えたことありますか?

そうですか、ありますか。
でも話を続けますよ。

我々には、身近にあるのが当然で
あまりに自然で、馴染みが深くて
だからこそ、あまり気にしないのだと思います。

そんな土は一体何なのだろう?
と、ある日突然気になったのです。

それは新潟の山の中にある温泉宿の露天風呂に入っていたときです。
目に入るのは目の前の渓流と森の木ばかりで
こんな事を考えたのでした。

ああ、この木も成長して
いずれは朽ち果てて
大地に還っていくのだろうなぁ。

で、その大地からまた芽が出てくるんだろうけど
その土は、岩石が微細に砕けたかけらと
植物や動物などの生き物の成れの果ての混ぜ物なわけで

ということは
死がなければ生は無いわけで
生があればいつかは死が訪れるわけで
そんなのが延々繰り返されて
たっぷり土があるからこそ
木がしっかり根を張って
こんなに大きくなるんだよなぁ。

そんな土の層が十分な厚さになるには
一体どれだけの年月が必要だったのだろう。

昔は日本人も土葬だったので
この自然のサイクルの一部だったのだろうけど
今やほとんどが火葬になっちゃって
自然には貢献してないんだな。
なんか申し訳ないというか何というか
今や地球には役立たずじゃないか。

というか、いつかは自分も死んで
自然の一部になるのだとして
新たに生まれる生命だって
自然から発しているとしたら
一体、自分と自然(地球)の境目ってどこなんだ?

待てよ
火葬じゃ地球に役立たずというわけではないのかな?

燃えて気体になったものは大気に還るし
灰は、播いちゃえば地球の一部だな。
でも何か味気ないな。

あと、忘れちゃいけないのは水だよなぁ
水も周囲にあるのが当然だと思っているけど
水か無ければ生き物はいないわけで
そうなったら土だって無いわけで。

たかが土って思いがちだけど
生きものや水とか
絶妙な条件が延々と継続した結果なわけで
これは奇跡的に凄いことだな。

アメリカやオーストラリアの奥地の荒野や
エジプトの砂漠には
水が無いから生物がいなくて
だからこそ砂しか無いわけで
土があるのは決して当たり前じゃない。

そう考えると
日本人というのは奇跡的な環境に恵まれているわけだけど
それが当たり前になっちゃっていて
多くの人はありがたみなんて感じてないのだけど
もしこれを
奇跡的にありがたい環境だぞ
と自覚したら、何かいいことあるのかもしれないな。

今はコロナで大変なことになってるけど
昔から疫病ってのは
いわゆる発展した地域から拡大していくわけで
だからこそ未開の地に住む原住民が
先進国の開拓者に接触すると
疫病で致命的なことになったりして
これは一体何なのだ?

自然から生活を切り離した人類に対するしっぺ返し
…にしては、死んでしまうのは原住民の側なわけで
文化的な生活をしている側は
新たな病に遭遇して、免疫を手に入れて
より高度な文明を築いていって
最終的にはどうなっちゃうのだろうか。
このままどこまでも行けるとは思えないな。

とか色々考えていたのですが
湯あたりしそうだったので、この辺でお終いです。

ああ、温泉行きたいなぁ。