仕事も「心」なのでした

「できる」ようになるためには「やる」必要があるわけで
そのためには探究心とか好奇心は欠かせませんよね
なんて話を卒業生としていました。

例えば、プレス金型で製品を打つ(金属材料などをプレス機で成形することです)場合、一見やっていることは単純なようですが、実は細かなノウハウがあって、精度の高い製品を作ろうと思ったら、通り一遍の知識ではどうにもならないのです。

実に繊細な条件や調整の結果、設計通りの製品ができあがるわけで、これは単にAIにお任せで何とかなる世界ではないと思います。

「え?そんなところをいじると、そっちが変わっちゃうの?」
みたいなトリッキーな仕事なのです。

そういう繊細な仕事をキッチリ仕上げていくには、「なんでそうなるんだ?」という自発的なアプローチや、「なんで?なんで?…」と突き詰めていく姿勢が必要です。

これは単に勉強ができるとか何とか、そういうものではないのです。

というわけで
探究心とか好奇心とかを持って
やっぱりその仕事を好きにならないと無理だよね。
そういうのを楽しめないとね。
と、そんな話をしていたのです。

で、探究”心”とか好奇”心”とかなんだから
結局は「心」ですよね。
それが無いと仕事できるようになりませんもの。

うん、確かにそうですね。
本当に仕事ができる人を見ても
学生を見ていてもそう思います。

その「心」を土台として
技術やら何やらが乗っかってくるんだなぁ。

うん
技術は人なり
です。

何か変だが何とかしましょう

学校という組織における環境と
実社会という環境は
あまりに違いすぎます。

もちろん目的が違うのだから
環境が違うことは当然ではあるのだけど
それにしても、あまりに違いすぎる。

工科系の大学と
エンジニアリングをする会社組織を考えてみると
学校と会社という
目的が違う組織ではあるのだけど
向いている方向は一緒であるべきではないのかな?

やっていることや考えていることは
あまりに違いすぎて
とても同一線上にあって
繋がっていくようには思えない。

もちろんそこにある価値観から違っているから
やること考えることが違ってくるのだろうけど。

価値観が違いすぎていて
共有できるものがほとんど無い。

これで良いのだろうか?

…ダメなんだろうな。

学校では
言われたことをやるトレーニングをして
知識を重視して、人間性というか人間力は軽視して
現物から離れて紙の上、机の上の理論に終始する
そんな方向に突き進んでいるわけですが
これで実社会に出て何とかなるわけないでしょう。

でも、みんながそれを望んでいます。
親も先生も、恐らく政府も。
ひょっとしたら学生本人も。

「勉強できればいいんだ」
「それで大丈夫なんだ」
って信じている。

望んでいないのは
学生達を受け入れる企業だけかもしれません。

なんか変な構図になっていませんか?

でも夢工房はエンジニアリングにおける
恒久的な何かを模索しながら
本質にこだわって行きたいと思っています。

こんな状況も
見ようによっては大きなチャンスなわけで。

色々チャレンジする中から
「こうするといいんだよ」
というヒントが見出せる…といいな。

この問題は深いですよ

情報のソースは明らかにできませんが
やはり学校の目指すところ(それがそもそもあるのかは別として)と
社会からのニーズの乖離が明確になりつつありますね。

私の場合、自動車業界の情報をベースに考えるのですが
自動車産業は日本の屋台骨を支える大きな一部分なので
今後はこの問題が広範囲に波及する気がします。

さて、それは何かというと

やはり「心」の問題です。

パッションがあるかとか
利他心をもっているかとか
仲間で頑張れるかとか
そういう話です。

優れた知識や技術を持っているのであれば
それは大変結構なことなのですが
それだけじゃダメです。
もう社会が耐えられないポイントが近づいていると思います。

話は簡単です。

仕事はお客さんのためにあるのに
自分のために仕事をしたら
顧客のニーズを満たすことなんて
できるわけないし
そもそも、そんな姿勢じゃ仕事にならないでしょう
ということです。

でも、教育側は
皆さんご存じの通り
全く逆方向に行っています。

プログラム教育とか英語教育の低年齢化とか
形式知的な知識の習得は分かりやすい例です。
幼少期から塾で学ばせるなどもしかり。

そういうのをやっても良いとは思うのですが
それ以前にやることがあるでしょう
というのをなおざりにしてきました。

そのツケがきてます。

これは産業とかの限られた領域における問題では無く
我が国の問題になります。

恐らく多くの社会人は気付いていたでしょう。
だいぶ前から。

でも、それに対して手を打とうとする人が
あまりに少なかったのだと思います。

そういうのは
会社の偉い人や政治家や教育機関の仕事だろう
なんて思っていたのかもしれません。

自分の責任じゃないから
誰かが何とかするべきだ
そんな感じだったのかもしれません。

たぶんこれからは
皆で何とかしないと
どうにもならないと思います。

人のせいにして文句を言っている場合ではありません。

今は国際社会が日本に対して
良い意味で幻想を持って勘違いをしてくれているから
まだ何とかなっているけど
この我が国の持つ問題の深部が明らかになったとき
非常にマズイことになる
そんな気がします。

先人達の築いてくれたものによる幻想が
賞味期限切れになる前に何とかしないといけません。

今回も偉そうな御託を並べてしまいましたが
私はこんな危機感を持っています。
単なる馬鹿野郎の勘違いなら良いのですが。

私は特に大した能力や権力は持っていませんが
明るい側を向いて、できるだけ頑張ります。
夢工房の学生達も頑張ってくれています。
皆さん頑張りましょう!