ChatGPTに思う ついに来たか?

最近、AIチャットボットの”ChatGPT”が話題になっていますね。
皆さん、試してみましたか?

小説やプログラムのソースコード作成など
結構凄いことができます。
大学のレポート作成なんかにも利用されて問題だとか。
検索エンジン各社も、このAIチャットボットのテクノロジーの獲得に躍起になっているようです。

なんだか良く分からない人はぜひ試してみましょう。
”ChatGPT”で検索すれば、情報は手に入ります…というほど大げさで難しいことじゃありません。
単なるテキストチャットで、相手がAIなだけです。

ちょっと試してみましたが、結構面白いですよ。
本当に色々なことに答えてくれます。
日本語で聞けば日本語で答えてくれますし。
でも、海外の情報について聞くと、時には英語で答えますね。

技術的なこととか、皆さんの趣味にまつわる諸々とか
それこそ哲学的なこととか
もう何でもです。

これ、インターネット上の情報をリソースとして、AIが最適な答えを構成するってことですよね。
私はその辺は素人なので、あまり詳しいことは分かりませんが。

多少のラグこそあれ、リアルタイムで返事を返してきます。
処理速度も凄いと思いますが、恐らく毎日莫大に増加していくネット上の情報を元に、どんどん賢くなっていくのではないでしょうか。

試しに、ちょっとレアなケースの自動車のメカニカルなトラブルの原因について聞いてみたのですが、なかなか適切な返答をしてきて驚きました。
日本語で聞いたら英語で返してきやがりましたが。
これは間違いなく使えます。

要は、すでにある情報を利用することに関しては、ムチャクチャ凄い能力を持っているわけです。世界規模の脳ミソを持ったロボットだと思って良いのでしょうね。

最近、実際にAIが弁護士の代わりをやるとかで問題になったとか何とか、というのも分かります。アメリカだったかな?弁護士会が大反対で、当事者を脅迫までしたとか何とか。

これ、産業革命の時と同じですね。
リボン織りだったか、靴下織りだったかの機械を作ったら、労働者が仕事を奪われることを恐れて、機械を壊して発明者を殺しちゃうとか。

自動車の初期の頃もありました。
イギリスの街中では、自動車は危険なものだから、赤い旗を持った先導車の後を着いてノロノロ走らなければならない「赤旗法」なんてのがありました。
これは自動車の台頭を恐れた馬車の組合の政治力によるものでした。

で、今回は便利なツールのご紹介というわけではなく、こういうのが登場するとどうなるかというのがちょっぴり見えてきましたよ。というお話しです。

冒頭に書いたように、大学のレポートとかプログラムのソースコードなんか楽勝なわけですから、これからは、そういうレベルの問題はジャンジャンAIにやらせればいいじゃん!という世界に突入することがほぼ確定ですね。

なので、単に言われたことを覚える・やるというのが学習ですよ、そういうのが上手にできるのが優秀なんですよ、という世界がついに終焉を迎える時が来たのかもしれません。

「AIなんてまだまだだよ」なんて言ってられませんよ。

「3Dプリンターなんて使えないよ」(実用性無いよ という意味)
と言っていた人が結構いましたが、今はどうでしょう?
バリバリ実用されています。

もちろん、AIにせよ、3Dプリンターにせよ、万能なわけではありません。
得意な領域と不得意な領域があります。

今回話題にしているAIについて言うなら、ヤツらはすでにある情報を元に適切な解を構成するのが得意なわけです。

ということは、その逆は苦手なんですね。
この世に無いもの。未来のこと。

つまりクリエイティビティを要することや、未来のゴールを設定することです。
あとは心に関することですね。
そういうものこそが人間の仕事になるはずです。

AIにできることは、どんどん高度化しつつ低コスト化していくでしょう。
そういう情報の入手や構成は簡単になっていって、価値が低下するということです。
でも、我々はそれを利用して、もう一歩先に進むことができます。
そして、マシンにできないことは希少化して価値が高まっていくのでしょうね。

それが嫌ならChatGPTと勝負してな!
ってとこですかね。

なんか見えてきたでしょう?



人が悩むとき

人が悩む原因の大半は
人間関係だと言います。

もちろん、自分と他人との関係です。

この人間関係は大変難しいものです。

良好な関係を構築して
それをキープしていくのは
大なり小なり労力や気配りが必要で
時として難しかったり面倒だったり
ということもあるでしょう。

それが面倒だからと
他人との関係を切ってしまったり
自分のことばかり考えて
自分のためのことばかりやっていたりすると
当然ながら孤立するわけで
これでは生きるのが難しくなります。

そもそも最初から孤立していて
より孤立したことにも
気付かなかったりすることもあるかもしれません。

なので、皮肉なことではあるのですが
自分のことばかり考えていると
結局は自分のためにはならない
ということになりますね。

じゃぁどうしたらいいのかというと
結局は
他への貢献と感謝
これしか無いと思います。

人の存在意義とか価値は
これで決まります。

自分がどれだけハッピーになれるか
というのとほぼ同義です。

他にあるなら聞かせて欲しい。

肉親などであれば
「いてくれるだけで価値がある」
というようなことになりますが
他人であればそうはいきません。

技術を学ぶ者であれば
その技術を使って他に貢献するために学んでいるのです。
「自分が知っているだけ」では
何の価値もありません。

この話、当たり前の内容で
分かっている人にとっては
「何を今さら」
といった感じでしょうけど
そうで無い人もいるでしょう。

私なんかは、まるっきり分かっていなかったクチです。
今は、ちょっぴり理解しているけれど
十分にできているわけではありません。

他への貢献と感謝

意外なほど労力や勇気を要します。
でも、本当の価値はそこにしか無い。

仕事の価値の本質

そもそも
何をもって「仕事」と呼ぶか
という話しもあるのですが

やはり仕事は大事です。

とか言うと
食うためには仕方ないから
命令されて仕方なくやらされているのが仕事だ
という先入観を持っている人だったりすると
反発を感じるかもしれませんね。

他から課されたタスクをこなす仕事は多いので
そういった価値観を持ちやすいのも理解できます。

ただ
他に価値を提供するのが仕事だ
他人に喜んでもらうのが仕事だ
ということになるとどうでしょう?

仕事の本質的な価値はそこにあるのだと思います。

他に価値を提供して喜んでもらえたということは
自分が存在する意義がある
ということです。

これは幸せなことですよ。

自分の好きなことや得意なことで
大きな価値を生み出せるといいですね。

とはいえ
なかなかうまくいかない仕事や
提供したものの価値がすぐには現れない仕事もあるわけで
なかなか難しいのですけどね。

仕事がうまくいかない考え方・やり方
というのはシンプルで

我欲に囚われて
自分のためのことばかり考えていると
相手のことなんてどうでも良くて
どうしたら相手が喜ぶかなんて考えも及ばないわけで
当然ながら
どうしたら良いかなんて分かるはずがないので
うまくいきません。
当たり前ですね。

そうなっちゃったら
言われたことをやるしかなくなるのも理解できます。
生きるためにはそうするしかない
ということになるでしょう。

でも最近では、恥ずかしげもなく
自分のことばかり考えて
自分のためだけに
仕事をやる・稼ぐ
みたいな価値観が横行していませんか?
「それのどこが悪いんだよ?」
みたいな。

悪いかどうか以前に
それじゃぁうまくいかないでしょうに
と思うんですよ。

「だから勉強してるんだ」
なんて言わないで下さいね。
そういう話じゃないですから。

いずれにせよ
言うのは簡単なのですが
やるのは難しいです。
だから面白いのですけどね。