楽になりたい…かい?

一口に「楽になりたい」とは言っても
色々ありますよね。

多くがイメージするのは
単に負荷が軽減されること
でしょう。

でも、何かしら目的を持っていたら
違ってくることもあります。

本筋から外れた余計なことにリソースを割きたくない
とかね。
集中したい
ってことですね。

まぁ、それも負荷の軽減
ってことになるのかもしれませんけどね。

そんな風に
いろんなレベルで
「楽になりたい」
と思うものですが…

負荷の経験って、そのうち必ず役に立つ時が来ます。
どうも負荷とか困難とか失敗とかを
悪いものだという風潮とか価値観とかが
蔓延している気がしてならない。

ただ、これには
できれば自ら望んだものに向き合う中での…
という前提が付きますし

その程度によっては
どうしようもない時はありますけどね。

でもまぁ
結局は
何を望むのか
が重要なのですね。

成長は変化すること

「仕事」を考える上では
必ず相手がいて
その相手がどう思うかが価値の大きさです。

良い仕事をする
ということは
その価値を大きくしていく必要があるので
今のまま
というわけにはいきません。

今のまま
は楽なのですが

それは自己都合で
相手には関係ないことです。

なので、現状から変化する必要があるのですが
これが結構大変です。

なぜって
人は変化を嫌うからです。
これは生存本能から来ているからです。
以前も記事にしましたが。

今生きているのは
昨日の行動があったから

であれば
それを続ければ生き続けられる。

そんなわけで人は変化を嫌うのです。
変化は本能的なリスクです。

成長とは変化すること

これもさんざん記事にしていいるネタですが
つまり…

成長とは本能に抗うこと
でもあるのですね。

本能に逆らって変化するには
何かしら動機が必要です。

変化しないと命が危ないとか

変化の先にリスクを払うだけの
価値がある魅力的な何かがあるとか

そう!
つまり、価値観が成長の動機になるのです。

自分は何に魅力を感じるのか
何が大切なのか

そういったことを明確化したり
優先順位を付けたり

はたまた整理し直したり

そういったことで
成長の速度や大きさは変えられます。

ただし…
それは自力でのみ可能です。

「教える」について

昔ながらの職人さんは
弟子に教えません。

技を盗む
という方法で技術を継承してきました。

この方法にはメリットもデメリットもあるでしょう。

メリットについては深読みすれば
いくらでもネタは出てきます。

これは思い込みとか勘違いかもしれませんが
結局は親方と同じ
もしくは親方より良いものができれば良いわけで
詳細な方法は問わない
というところがあるのではないかな
と思っています。

親方がいちいち教えていると
弟子は自ら考える必要は無く
言われた通りにしかできなくなる可能性があります。

デメリットは
分かりにくい
ってところでしょうか。

学校では
「こうやるんだよ」
と教えます。

で、それを覚えれば良い。

もちろん
この方法にもメリットとデメリットがあります。

簡単に知ることができる
というのは最大のメリットでしょう。

でもそれは
最大のデメリットでもあるのです。

自分の興味の有無にかかわらず
情報が提供される

よって、興味を持つ必要が無いのです。
言われたことをやれば良いのですから。

従順に従うことも求められます。
やることに対して疑いを持つのは悪い子で
従わなければ点数はもらえません。

これ
考えなくなる
ってことです。

「やれ」と言われてやるのだから
理由も目標も興味も無くて良い。
むしろそんなものは邪魔でしょう。

そんなやり方を
小学校から大学まで
16年間もやったら
それはもう、そのやり方から簡単には抜け出せないでしょう。

挙げ句の果てには
就活セミナーやらで
さらに言われたことをやる

これは本当に社会が求める教育なのでしょうか?

言われたこと疑問を持たずに
覚えたりやったりする
それが上手にできるのが理想の技術者?

そんなことはない。

この構造は
我々年長者が良かれと思って作ってきたわけですが…
いや、私は作ってはいませんが
現状を継続する片棒は担いでいますので
責任はあると思っています。

でも、この構造に従っているとマズイぞ
と気付いたとしたら
それを継続するか否かは本人の決定によります。

まぁ、これに関しては
誰が責任を取れるわけでもないのですが

このままじゃ行き詰まるのは確定していませんかね?
というのが今回言いたいこと。

どうするのが正解かなんて、未来のことは分かりませんが
自分で考えて、信じることを一所懸命やってみる
なんてのは、いつの世でも価値のあることです。