電気の時代がやってくる バイク編

クルマやバイクの電動化は
今や既定路線…ですかね。
将来的にどうなるかは分かりませんが
少なくともそのように見えますね。

バイク業界には数年前から
新興メーカーが色々なモデルを投入していますし
既存の大御所も電動化をやっていたり
計画していたりという状況です。

このままバイクが電動化の方向に進むと
何が変わってくるでしょうか?

クルマみたいに
そもそも大きくて重い乗り物であれば
エネルギー密度の低いバッテリーを
たんまり積んでもさほど問題はないのかもしれませんが
バイクとなるとどうなのでしょう?

バッテリーの容量はもちろん
充電時間も気になるところです。

例えば、夏休みともなれば
日本中で多くのライダーがツーリングを
楽しんだりするわけですが
同時に帰省の時期でもあって
高速道路の充電施設は満員御礼になるでしょう。
その中にバイクが入り込む余地があるのか?
特にグループでツーリングなんかしてたらどうなのかな?
何てことも気になります。

これはバイクに限ったことではなくてクルマも同様ですよね。
エネルギーのチャージに時間が掛かる乗り物が
一カ所に集結する際に起こりえる問題を
どう解決するかは課題でしょうね。

まぁ、こういう問題は考えれば誰でも分かることなので
きっと解決差を考えている人がいると思いますが。

あと、今回の佐多岬への走行中に考えていたのは
こんな走り方はEVじゃ無理かもしれないなぁ
ということです。

満充電での走行郷里が短くて
チャージのたびに数十分掛かってしまうとなると
1日で長距離を走るのは難しくなってくるのは当然ですから。
それが高い速度域だとなおさらです。

とまぁ、これから何かが変わる
となると、往々にしてデメリットばかり
考えてしまうものですが
当然メリットもあるはず。

電動モーターならではの
グイグイくる加速なんかはEV独特で
あれはあれで楽しいかもしれません。

あとは静かですしね。
意外と「音疲れ」ってあるのです。
エンジンの排気音は、アドレナリンの源ですが
疲労の源でもあります(笑)

電動で制御が使い勝手や乗り味に
及ぼす影響が大きくなるとすると
今、テスラがやっているような
制御プログラムのアップデートによる
機能の更新や変更なんかは楽しいかもしれませんね。

量産効果や技術の進歩に伴って
車体価格の大半を占める
バッテリーのコストが下がれば
車体価格は当然下がるでしょうね。

でも、世の中あれもこれも電動化
って事になってくると
現在も問題ではありますが
「銅」の価格が高騰したりして
今とは別のコスト問題が浮上するかもしれませんが。

維持費などはどうなのでしょう。
でっかいEVバイク、確か車検が無かったりしますよね。
油脂類なんかは当然負担が小さくなるでしょう。
回生ブレーキを上手に効かせれば
ブレーキの負担も小さいでしょう。

大して、EVならではの負担は?
重い車体に大きな低速トルクによるタイヤの消耗?
タイヤの技術も進化するでしょうから
一概には言えないと思いますが、どうなのでしょうね。

バッテリーの消耗に伴う交換費用は結構な
出費になるかもしれません。
同様の理由で
下取り価格が大きく下がる
なんてことは考えられるかもしれませんね。
買い手のいない乗り物は
ゴミになってしまいます。

色々興味深いところではありますが
昔からちょっと気になっていることがあります。

自動車であれば、物にもよりますが
クラッシックカーにはプレミアムが付いていたり
好んで所有や走行を楽しむ人達がいますよね。
古くても、というか、古いからこそ
価値があるようなところがあります。

それに対して
電気で動くものって
博物的な価値がある場合もありますが
時間が経つと実用に耐えなくなる場合が
多いのではないでしょうか。
世に登場した初期の頃のパソコンやラジオを
好んで使い続ける人はあまりいないでしょう?

真空管オーディオなどは
独特の味があって
それこそが価値ですから
時が経っても価値を維持していますが
本当に古い製品はどうなのでしょうね。

乗り物になってくると
その辺がどうなるかは見ものです。

環境に優しい
とか言いながら
耐用年数が短くなったりしたら
本末転倒です。

お気に入りのEVを乗り続けるために
メーカー欠品のバッテリーユニットや
制御回路を自分でレストアしたり
そんな人が登場するのでしょうか?

色々興味は尽きませんが
こういう大きな時代の変化点に自分がいる
というのは大変結構なことだとも思っています。

想像と現実のズレ (副題:フラフラとゲロゲロの話)

あなたは自動車酔いをしやすいタイプですか?
私は子供の頃、自動車酔いに悩まされました。
なのに後に自動車の開発を仕事にするなんて
今考えてみるとおかしいですね。
クルマの好き嫌いと
酔う酔わないは別だったのでしょうね。
もっとも、自分で運転するようになってからは
酔うことはなくなりました。

さて、なぜ自動車酔いをするのか
探せば色々な専門的な説明が出てくるとは思いますが
前職で仕事をする中で気付いたことを書いてみますね。

ある時、ドライビングシミュレーターを開発していて
気付いたことがあります。

この時のシミュレーターは
映像を投影する大きなスクリーンと
ドライバーにGを感じさせるために動作する
コックピットで構成されていました。

ドライバーが運転操作を入力すると
コンピューターで演算された結果が
スクリーンの映像と
ドライバーへの物理的なフィードバック
(操縦系統への反力やコックピットの動作)となって現れます。

しかし、コンピューターの演算能力や装置の動作の遅れが原因で
ドライバーからの入力に対する反応の遅れや
スクリーンの映像と動作のズレが生じます。
これがごく微少な時間でも
ドライバーは違和感を感じて
「酔い」が発生することが分かりました。
というか、自ら実際に経験しました。

利用者は、視覚から得る情報から
「次はこうなるだろうな」と想像しながら運転するのですが
この想像と実際(体感)にズレが生じると酔いやすいのです。

シミュレーターではなく
実際のクルマで起きる現象も興味深いですよ。
ちょっと一例を挙げてみましょう。

普通に自動車を運転している時
特に直進時に、自分がどのようにハンドル操作をしているか知っていますか?

運転初心者であれば、ほとんどの操作が意識的なので覚えているかもしれませんが
経験者の場合は反射的に、無意識にしている動作ですので
「知っているか」と言われても覚えていない可能性が大きいです。

多くの人は
恐らく無意識のうちにハンドルに微少な動作を入力しています。
例えば、ごく小さな路面の凹凸や
うねりを感じたりした時に
反射的に微少な修正舵を当てていたりします。

それがクルマの動きを修正するために
本当に必要な操作の量と速度であれば
乱れた動きは修正されますが
そうでないことも多い。

その結果、クルマの動きに現れてくるのは
フラフラする動き
「振動」です。

面白いのは
修正と思ってやった入力が
本当に必要な操作とは限らず
安定を乱していることがあるってことです。

こういうのを
PIO (Pilot Induced Oscillation:パイロット誘導振動)
と言います。

そもそもは飛行機の用語で
パイロットの入力に対して
機体の反応が遅れることによって
パイロット自らが引き起こす振動
という意味です。

MIO (Monkey Induced Oscillation:サルでも起こせる振動)
というのもありますが
これは、またの機会にお話ししましょう。

こんな例があります。

直進走行中に、ちょっとした路面の凹凸を感じて
反射的に修正舵の入力をした。

ただ、この入力は
本当に必要な量とスピードではなく
そもそも必要でもなかったかもしれない。

いずれにせよ
その操作はクルマの動きに現れます。

「フラッ」とします。

もちろん、ドライバーはこの動きに反応します。
「フラッ」と した動きに対する修正舵を入力します。

この修正舵も
入力量とスピードが適切でなかったとしたら
今後は逆側に「フラッ」と します。

もちろんドライバーは
この動きに対しても修正舵を入力…

それによって
クルマはフラフラした動きを続けます。
もちろん、修正入力と車体の動きが小さい場合は
微少にフラフラするってことになります。

ドライバー本人は
そんな入力をしていることも
クルマがフラフラしていることも
あまり意識していないことが多かったりします。

もちろん同乗者は
その意味の無い動きに違和感を感じることがあるでしょう。
シミュレーターの時と同様に
「予想」に対する「実際」のズレが違和感の正体です。
意識はしていなくても
体は違和感を感じていたりしていて
それが原因で酔ってしまうケースは多いと思います。

このフラフラは
ハンドル操作による横方向の動きですが
アクセルとブレーキによる前後方向の動きでも
似たようなことが起きます。

予測しにくいハンドル操作に
予測しにくい加速や減速が加わると
これはなかなかのものですよ。

予測しにくいものに対して
人は違和感を感じる

こういうのってクルマだけではなく
何か他のことにも通じていそうで面白いですね。

もう一つ。

この話を知ってしまったあなたは
誰かの助手席に乗ると
「フラフラ」したハンドル操作が気になるはずです。
そこから何かを発見するかもしれません。
楽しみですね。

乗り物の進歩

以前、最近の乗り物はユーザーが手を入れにくいといったような話をしましたが
ユーザーどころかお店でも手に負えない状態になっていくような気もします。

分かりやすいところで言うと
最近、ワイヤースポークのホイールを組めないバイク屋さんが増えてきた気がするのです。
さすがにモトクロスをやってるような店ならいけるでしょうけど
町の小さなバイク屋さんは、できないところが多いのではないかな。
だって、スポークホイールのバイク、最近激減してますものね。

もう亡くなってしまった叔父は
先の大戦時に陸軍航空隊の整備兵でした。
戦後は自動車の整備工をしばらくやっていたそうです。

戦後すぐの頃は、部品の入手にも困ることが多かったらしく
修理の際は、よく部品を自ら作って組み付けたそうです。

そんな叔父が
「今の整備士は”とっかえ屋”だ」
とよく言っていました。

故障箇所を部品単位で修理するというより
ユニット単位で交換してしまうことが多いからです。
(アッセンブリとか呼んだりしますね)

そう言いたくなる気持ちは分かりますが
今どきコツコツ部品単位で直せるような時代ではないのです。

そもそも部品が細かい単位で販売されておらず
ある程度組み上げられた単位でしか入手できなかったりします。
これはそうした方がコスト的なメリットが大きいからです。
部品の生産はもちろん、管理とか、修理に要する時間とか。
結局、最小単位の部品で交換できるようにすると
そのためのコストは製品に載せざるを得ないわけで
ユニットにしちゃった方が、売る方も買う方もハッピーでしょ
ということです。

もちろん、そういう製品になってくると
直す方の技術も変わってきます。

コツコツ小さな部品を加工・修正するようなスキルから
診断機に繋いでトラブルシュートするようなスキルに変わったりします。
そして細かい部品単位での修理スキルは
徐々に必要とされなくなってきます。
もちろん、基本的な知識とかスキルが
ある程度必要なのは変わりませんが。

そんな風に環境を作っていくと
発展途上国で車を売っても、先進国とあまり変わらないレベルで修理ができるとかの
メリットがあるようです。

最近の車のエンジンルームを見たりすると
みっちり部品が詰まっていて
うわぁ…ってな感じで
今やエンドユーザーが気軽に手を入れられないのも仕方ないと思うのですが
工場のラインで組み上げる時には、効率よく作業できるようになっています。
おかげで、あれだけの性能・品質の車が
あの値段で手に入るわけですね。
それはバイクも同様でしょう。

一昔前だと
エンジンのオーバーホールなんかは
バイク屋さんにとっては良い商売だったのですが
今や面倒な仕事の一つなのかもしれません。
そもそも、エンジンをオーバーホールしてまで乗り続けよう
というお客さん自体ほとんどいませんから。

先日、久しぶりに30年もののハーレーに乗ってみました。
しばらくエンジンに火を入れてなかったので
キャブレターのオーバーホールをしてから乗るべきか迷って
結局は何もしないまま乗ったら、案の定不調だったのですが
まぁ、これは簡単に直すことができます。

もしこれがフューエルインジェクションのバイクだったらどうなのだろう?
と考えてしまいました。

しばらく乗らずに燃料が劣化してたりしたら
燃料ポンプも燃料ラインも、インジェクターも劣化した燃料で影響を受けるでしょう。
そもそも、30年も経ったら交換部品なんて手に入らないでしょうし
かといって、何とか部品を自作して解決するなんて手段も現実的ではないでしょうね。
なので、快適にツーリングできる今乗っているBMWは
恐らく10年も乗らずに手放すことになるでしょう。
気に入ってるのに手放さなきゃいけないのが
今から分かっているってのも寂しいものです。

対して、キャブレターのハーレーは、まだまだ乗ることになるでしょう。
消耗部品は問題なく入手できますし
物によっては加工して流用したり、作っちゃえば何とかなりますから。

新しい乗り物の方が環境に配慮して作られているはずなのに
何か皮肉なことになってますね。