メンタルタフネス

春になると
色々な企業から求人関係の連絡があります。

もちろん
色々な要望があるのですが
ここ数年多いのが
「コニュニケーション能力が高いコが欲しいんだけど…」
「メンタルタフネスがあるコがいいんだけど…」
というご要望。

うん
だったらウチに連絡してくるのは正解かもしれない。
こういう活動をする上では
そういった能力を高めないとやってられないから。

最近は
大人しくて真面目で
いわゆる良い子が増えてる気もするんだけど
線が細いというか
打たれ弱いという感じかな。

打たれるのを避けまくっているので
結果として成長できない
というケースも多いかと。

良いものを持ってる学生もいるんだけど
大変もったいない。

でもこれは
しょうがない…じゃ済まないけど
しょうがないと思います。

「失敗しないように」
って育ってくれば
そうなるのはしょうがない。

ヘタにそういう学生を鍛えようとすると
ハラスメントとか言われちゃうご時世ですから
むやみなことはできませんし
そもそも外力で無理矢理やる方法に
効果があるとも思えません。

もちろん
学生や家庭環境だけに問題があるわけではなく
学校を含む環境全体の問題だと思いますし
企業の側にもできることはあると思います。
(企業内で教育せい!という意味ではありません
皆で力を合わせる必要があります)

なので
もっぱら自分から突っ込んでくる学生を鍛えることになります。

興味深いのは
線の細い学生が増えている気がする反面
自分から突っ込んでくる学生も
一定数ちゃんと存在していることです。

今、メンバーとなっている1年生は
まさにそういう感じです。

我が大学が
日本中のチャレンジャーを
総取りできるような
学校になると面白いと思ってます。

何のためには多いほどいい

色々学んだりするうえで
「何ができるか?」
というのは重要なことです。

「何を知っているか?」
より上位にあります。

でももっとも大事なのは
「何のために?」
ではないでしょうか。

その理由がないと
やる気になれない
なので
やらないし
できない
ということになります。

ただ
その理由は
決して難しい理屈でなくて良いと思います。

単に好きだったり
よく分からないけど心が動いちゃったり
そんなので良いと思います。

最初は自分自身の喜びのために
やっていても良いのです。
だって学生だから。

でも
徐々に喜びの範囲を広げて行く必要があります。
だって学生だから。
卒業したら
社会のために働くわけですから。

ウチの学生達は
好きなことをやってます。

何のために?

そりゃもう好きだから!
自分たちの将来のためでもある。
でも
それに加えて
支えてくれるスポンサーさんや大学のためでもあります。
支援があってこそ続けられる活動なので
皆さんに喜んで欲しいって本気で思ってます。
(ちょっぴりで良いので世界を変えたいとも思ってます)

支援者が期待してくれる
それに応えられる
これはいずれも喜びでしょう。

学生達と支援者は
相互に喜びという「価値」のループを
回す関係になっていると思います。
もちろん
まだまだ十分に期待に応えているとは思っていませんし
まだままだイケるはず!

では、もし仮に
この活動で授業の単位がもらえるとしたら
大学が無条件で全ての予算を出してくれたら

どうなると思います?

もっと学生達は楽になって
頑張って
成果をあげられる?

いやいや
そんなことないです。

ダメになっちゃうんです。

お金もらって
さらに単位もらってやってたら
単位を取る自分のためだけに
単位を落とす恐怖から逃れるために
「やらなければいけない」
状態になります。

単位取るためにやるって
そりゃ授業と変わらんです。

最大限うまくいっても
単位が取れて
ホッとするだけです。
自分が。

なのでそのうち
「同じ単位取るならできるだけ楽をしたい」
「できればやりたくない」
となります。

そうなったらいずれ
全員でないにせよチーム内に
そういう空気が広がっていきます。

他者の喜びを介在させないようなやり方をすると
やめたり諦めたりするのは簡単です。
単に自分の問題ですから。

普通のクラブ活動としてやっても
恐らく同じような結果になるでしょう。
大学から与えられた部費と
自分たちのアルバイト代などを予算として活動すると
きっとそのうち何のために何をやってるのか
よく分からなくなってくると思います。

で、最終的には
やってもやらなくても自由だ
みたいな感じで終焉を迎える可能性が高いです。

喜びとかなんとか
そんなのきれい事だ!

ってことはないです。
世に向けて価値を発信して成功している企業は
みんなそうしています。
だから生き残っています。

お客さんに喜んでもらえなくて
メシ食っていけるはずないでしょうが。

なので
「何のために」
は、沢山あっていいと思います。

好きこそ物の上手なれ

昔から

好きこそ物の上手なれ

と言いますね。
好きなことは上達するもんだ
といったような意味です。

論語にもあります

子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

あることを知っていても
それを好きな人にはかなわない。
それを好きな人は楽しんでいる人にはかなわない。

ってことです。
まさに真理!

というか
昔からそんなの当たり前だったのです。
にもかかわらず
最近はそんな感じが薄れているように感じます。

工科系の学生は
もちろんそっちの分野に興味があるから
その道を選んでいるわけで
日頃から
もっとワクワクすることに接していれば
もっともっと伸びると思うのです。

現状は
学ぶ内容が自分の価値観に対して
距離を感じさせるようなものになっていて
自ら進んで「モノにしたい」と思えないのでしょう。

技術の価値の根底にあるものって
「動いた!」
「飛んだ!」
「走った!」
「速いぞ!」
とか
とてもプリミティブな感情だと思うんです。

それを支えるために周辺の技術があるわけで
細かい個別の技術がスタート地点ではないはず。

まぁ、中には細かい要素技術が好きで
そういうのが得意な人もいると思いますが。

ゴールが
「うわー!すげぇ!これやりたい!」
というようなものであれば
周辺の知識や技術は
自ら進んで掴みに行くでしょう。

興味を持てない
何に使うか分からない
そんな知識を
とにかく理解しろ
というようなやり方は
ボチボチ限界なのではないかな。

なので
その辺のやり方に関しては
まだまだ工夫する余地があるはずです。