ビジョンと学びの関係

仏像を彫刻する人を仏師(ぶっし)といいます。

仏師が仏像を彫るときは、単に彫刻をするのではなく「木や石の中にはすでに仏様が宿っていて、それを掘り(彫り)出す」のだそうです。

もちろん実際にはそんなことはなくて、彫って形づくっているのですが、そういうつもりで仕事をされているということでしょう。

これ、どういうことかというと、掘る前にすでに仏様のお姿をのビジョンを持っているということです。

仕事も学びもかくあるべき
ビジョンが無ければ形になりません。
ゴールをセットして、そのためにやる。

「やっていれば何とかなるだろ」
という”できなり”では、残念ながら何ともならなりません。

何もしないよりはマシだろう?
と言われれば、確かにそうかもしれませんが、ちょっともったいないですね。

むやみに木を掘っても仏様は姿を現さないし、粘土をを手に取って次々に塗りつけたところで何にもなりません。

ヘタであろうと何だろうと理想の姿を思い描いて、そのために継続しましょう。
最初はダメでも諦めずに続けていれば、そのうち何とかなるものです。

その時は直接的には形にならなくても、ずっと時間が経ったときに、思いがけずその経験が活きることもあります。
これは実体験から本当にそう思います。
無駄な経験は無いのです。

なので、そんなチャンスがあったら迷わず掴んで大事にしましょう。
きっと一つひとつが貴重な経験ですから。

キミはどうする?

「どんな風に生きていくか」
なんて言ったら大げさかもしれないけど

多くの経験を積みながらチャレンジしていくのは
「自分はこうする」
を作っていくため。

「自分は…」ですよ。

「普通は」ではないし、ましてや正解不正解という話でもありません。

こういうの、何て呼んだら良いのでしょうね。
個人的な哲学みたいなものかな。

何かをやるときのプロセスの骨組みみたいなものかな。

いや、単に「考え方」で良いかもしれませんね。
行動の上流にあるものですから。

で、知識やスキルは実行・実現のための道具に過ぎないので、必要なら身に付ければ良い。

そんな風に考えています。

もし「自分はこうする」が無くて、「普通は」とか「正解は」といった考え方だけだとどうなるでしょう?

誰がやっても同じになるものを追求することになります。
全く面白くありませんね。
独自性とか競争力も無くて、その価値は最低限になります。

そう、常識的なものや正解を積み上げたところで、行き着く先はつまらなくて価値の無いものになったりするのです。

そんなことは普段考えないかもしれないけど、当然のことです。
普通な当たり前のものに価値を感じたり喜んだりする人はいない。

価値ある製品の開発をする人になりたいなら、この「自分はこうする」を作り上げる必要があるってことです。

これは、与えられた知識を頭に入れて、正解を積み上げていっても手に入りません。
チャレンジして多くを経験しながら、トライアンドエラーで作り上げていくものです。

さて、キミはどうする?

心の時代がやってくる 5

世の中は
能力主義になって
二極化して
世界情勢が乱れて…
予測不可能な領域に突入しつつある感があります。

そんな今、どういう心境かというと…

何とかなるんじゃないかな
とか
少しでも自分にできる範囲でも何とかしないとな
と思っています。

不安が全く無いかと言えば、そんなことは無いのですけどね。
でもまぁ、何とかなるだろ
と思うようにしています。

この先、きっと何かが起きるのですが、それに対して過度に恐れたりするのは無駄なだけでなく、危険です。

危機管理は大事ですが、過度に恐れると視野が狭まって行動に柔軟性がなくなります。
そうしたら、先の見えない未来に対して柔軟に対応しなければならないのに逆のことになります。
解決するものも解決しない、危機管理どころか危機に翻弄されます。

起きることは可能な範囲で「自分ごと」(他人ごとじゃなく)と捉える必要があります。
他人ごとでは、自分には関係ないや、となってしまうから。
そうなったら何もしなくて済むわけで、成長のチャンスや、新しい価値をつくり出すチャンスを逃してしまいます。

あと、恐れを感じると生存本能が働いて、自分の足元ばかりを見て防衛本能も発動して、利己的な方向になる可能性があるでしょうけど、これは避けたい。

というのも、これは大変皮肉な話なのですが、危機を感じて守りに入る場合、普通は自分を守ろうとするわけです。当然ですが。

そんな時に自分が発する価値は、外に向かっていきません。
誰のためにもなっていない。
つまり他者から見たら価値ゼロです。

社会で生きる人間は、自分で自分を守れないのです。
それをやろうとすればするほど価値はゼロになって沈んでいく。
だって、恐れて自分を守ろうとして、自分のことばかり考えている人に価値を感じる人はいないでしょう。

うまくいかないこと、思い通りにならないこと
どうせ…と諦めや文句を言いたくなること
そんなことが増えてくるかもしれません。
しかしそんな状況でも

そんな今だからこそ

と、その逆を行くにはどうしたら良いか?
足元ばかりを見ずに、広い視野で本質を捉えるには?
と考えられるか否かは、知識や学力の問題ではありません。
心の問題です。
それが課題です。
それが何とかなれば、何とかなっちゃうのです。