なぜ失敗を恐れる

ホントに、なんで?

できればこの状態をひっくり返したい。
というわけで、なんで?を検証してみましょう。

まず受験のシステムでしょう。というか、教育システム全般か。
学力という単一の尺度で、合格・不合格という両極端の判定がされる。そして、そのための学習。
この試験や成績に重きを置くやり方では仕方ない気がします。

なぜか他人の目を非常に気にする傾向がありますね。
で、失敗をしてネガティブに捉えられるのが怖い。

経済的不安も失敗を許容しにくい環境を作り出している可能性があります。
安定した職を得たいというプレッシャーはありそうですね。

メディアとかSNSの影響力も侮れないでしょう。
現代のメディアやSNSは成功例を頻繁に取り上げるので、逆に失敗することに対して恐れを感じるようになるのかもしれない。

日本は細部にこだわる完璧主義の文化が強くて、失敗を許容することが難しい場合がある。

「不安遺伝子が…」なんて話もありますね。

そして、失敗を恐れてチャレンジする経験が無いと、ますます失敗が怖くなって、ますますチャレンジできなくなるでしょう。
高飛び込みやバンジージャンプと一緒です。

これらの要因が組み合わさって、失敗を恐れる傾向が強まっているのではないかと思っています。
しかし、革新や成長のためには、失敗を恐れずに挑戦することが必須でしょう。
いずれは社会全体としての意識改革が求められる時が来る…というか、そうせざるを得ないときが来るでしょう。

それはそれとして、夢工房はどうするか?
それを日々考えてチャレンジしています。

やりたいと思わないのはなぜ?

何だ、この画像は。

もっとみんなアグレッシブにチャレンジしたらいいじゃないか!
と思うのです。
全員って訳ではないですけどね。
まったりしている人もいないと疲れちゃいますから。

まぁ、夢工房の連中は山あり谷ありで頑張ってるわけで、もちろん他にも頑張ってる人達はいるでしょうけど、もっともっと頑張る人の人口が増えたら面白いだろうな、と思います。

あ、ちなみに、夢工房は収容人数に限界があるので、少数精鋭を貫き通します。
少人数で、やれるとことまでやってやる!

さて、今回のネタはタイトルの通りなのですが、これはとても興味深いと思っています。

だって、小さな子供って我慢できないでしょう?
欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい
自我の固まりみたいなものです。
そして欲求に対するパワーが凄い。
もちろん「やりたい」方向です。

そこから成長していって、徐々に変化していくわけですが…

と、ここまで書いて思いました。
子供の頃に持っていた、「自我」とか「パワー」を失っているわけではないのかな?と。

失敗を恐れずにやりたい(チャレンジしたい)という方向に欲求が向いている人が少ないだけで、これは志向の問題か、と。

例えば「楽したい」という欲求が強いとしましょう。
そういう人は、強烈に「楽したい」が発動しているわけで、楽をするという選択肢を取った瞬間に成功しているわけで、ヘタにチャレンジなんてしちゃうと、トッププライオリティが崩れてしまう。
そういうことか?

小さい頃から「一生懸命勉強して、将来は楽な生活を…」とか言われながら育ってたりすると、「いやいや、楽するのがゴールなら、今この瞬間からだって楽してもいいじゃん」とかなったりして。
いや、どうなんだろう。

まぁ、そういうのって無意識でしょうから、恐らく本人に聞いても良い返答は帰ってこないでしょう。

あとは、「失敗」に対する印象というか価値観というか。
そういうのも効いてるでしょうね。

いやぁ、実に興味深いぞ。
これは、この後も引き続き考えてみましょう。
暇なときに。
…とか言っちゃうような事って、どうせやらなかったりしますが。

どうやって心を鍛えるか

チャレンジするなら失敗は避けられない。

好きなことを勢いに任せて、ちょっとやるだけなら良いのかもしれないけど、そうも行かないときもあるだろう。

いくら能力があっても、それを活かすために、躊躇したり壁にぶつかったときの突破力が必要で、それにはやはり勇気というか、心の体力みたいなものが欠かせないでしょう。

じゃぁ、心を鍛えないとね!
となる。

でも、これは難しい問題。近年は特に。

だって、世の中は心に負荷が掛からないように、いかにストレスを除去するかという方向で動いているわけで、その逆を行く?ということになる。
心に掛かる負荷は罪悪とか不健康みたいな扱いをされる。

なので「心を鍛える」なんて言うと、不条理な環境を思い浮かべるかもしれない。
恐らくそういったことで心が鍛えられる場合もあるだろうけど。

思い通りにいかなかったり、困難に遭遇したり、追い詰められたり、心が折れた状態から立ち直ったり
そういったものから逃げずに向き合う経験が心を鍛えるのは間違いないだろう。

いずれにせよ、困難をどうやって乗り越えるかという経験が必要なのだ。

そもそも困難に接近できるのか?
そして突破できるのか?
それを継続できるのか?

そんなことを考えると、やはり好きなことをやるってのは大事だって事です。
そのプロセスには無駄な経験は無いのです。