先生だけが先生ではない

学生達は学校で学んでいますが
それだけが学ぶ方法か
というと、決してそんなことはありません。

我々の身の回りにある製品

これをどうやって作るのか
どうしてこんな色や形をしているのか
なぜこういう材料を使っているのか
そんなことを考えるだけでも
学べることは沢山あります。

まだまだあります

駅のポスターや
電車の中吊り広告

なんでこういう表現をしているのか
なんでこういう色使いをしているのか
見ている我々にはどのようなアクションを要求しているのか

そんなことを考えるだけでも
本当に色々学べます。

本でも文具でも家具でも建物でも
何でも良いのです。

物体に限らなければ
お店のサービスなどからも
学べることは多いです。

見て分からなければ
それをトリガーとしてネットで調べれば
大抵の情報は手に入ります。

人がものをつくる上では
かなりの知恵と努力を要します。
なにも考えずに何となくできちゃった製品やサービスなんて
実はほとんどありません。

加えて、我が国には質の高い製品が溢れています。
それが当たり前なので気にならないのでしょうけど。

そういう様々なものが
日頃から視野に入っているはずなのですが
気にしなければ何も頭には入ってきません。

見えているのに見えていない
そういうことです。
もったいないですね。

普段の自分が興味を持たないものであっても
ちょっと考えるだけで
実に様々な知識が手に入ります。

そう、エンジニアリングを学ぶのであれば
先生はそこら中にいるのです。
人としての姿は見えませんが。

そして、知ったことを使ってみましょう。
何かをやってみましょう。

知っているだけでは何も起きませんから。

「いつか役に立つかもしれない」って?

「いつか」なんて来ない
そう思っていていた方がいいですね。

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