変われる者と変われない者 心配君は変われるか

学ぶために学校に行く
というのは
現状から変わるためである
と思っているので

人は変われるのか
ってのは大いに興味があるところ。
何度もネタにしてますけどね。

分かりやすいところで言うと
悲観的な人っているでしょう。
そういうケースで話をしましょうか。

悲観的と言っても色々あるでしょうけど
例えば
これから起きることに対して
良くないことを予測して
それを回避するような行動を取る
そんなことが行動原理になりがちの人
いますよね。
心配性の人。

たとえば
何かにチャレンジするというのは
何が起きるか分からないところで
リスクを取って新しいものを掴む
ということですが

悲観的な人は
未来予測が悲観的な方に向いているので
リスク回避にも
それなりの力を注ぐことになります。

そもそも向いている方向が違う
ってのもありますが
まるで逆方向に自らのパワーを
分散して投入することになりますので
そりゃうまくいかんだろう
ということになりがちです。

逆方向で分散か。
人の持っているリソースは有限なのに
そりゃぁ大変だよなぁ
と思います。

さらに、危険回避というのは
もちろん自分に対する危険の回避で
守りの行動が中心ということです。

守りの行動では
周囲に安全な領域を作って
そこを固めて
危険な対象にフォーカスします。
体も心も硬くなって視野が狭くなる。

チャレンジするなら
視野を広くして
色々なことに対応できる状態にして
フレキシブルに動く必要があります。

ここまで言っておいて何ですが
危険回避が行動原理の人が
ダメだというつもりはありません。
そういう人は安全回路みたいな役割があるわけで
世の中チャレンジャーばかりだったら
カオスな状態になっちゃうかもしれませんからね。

ただ、自らの役回りを変えたいなら
つまり
行動原理をを変えたくて
性格とか考え方を変えられるのか
というのが大変興味があるところ。

もちろんそういうのって
人にもよるのでしょうけど
自分の行動原理を変えたいって
切望するケースも少なからずありますよね。

そういうのって
本能的なところに根ざしているのもあるでしょうし
習慣や環境による影響もあるでしょうし
簡単な話ではないのかもしれません。

でも、決して不可能ではないとは思います。

だって、人なんて生まれてから
ずっと変わらないわけではなくて
いわゆる有能な人だって
過去にはうまくいかない経験が
山ほどあったりするわけで

性格だって同様で
一見明るい人だって
過去にはそうでもなかった時期があったりします。

そんなもんです。
で、どうしましょうか?
って話です。

こんなことも
ずっと考えているネタの一つです。
これ、もうしばらく考えてみます。

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