何かネガティブなことが起きた時には
自分のせいにしてしまえ
というお話しを以前しました。
難しいかもしれません。
でも、こういうのが
チャンスの分かれ道だったりするんですよね。
あとね
困難に遭遇したり
アイデアを出す立場に立った時に
心配しすぎたり
一つのものにフォーカスしすぎたり。
そんな時こそ
最初にワーっと考えを広げておいて
選択して
それから集中する
そういうプロセスが欲しいところです。
今回こういう話しをするのは
別に何かあったわけでは無いのですが
授業で学生が議論しているのを
横目で見ている時に
ふと思い出したりするんですよ。こういうの。
「あぁ、ありゃぁうまくいかんだろうなぁ」
って。
学生が反面教師で
学生から学んでるんかい!?
そうです。
学生から気付かされることは沢山あります。
で、授業中にそういうことについて
指摘するのかと言われれば
しないのです。
しないことにしてます。
以前はしてましたけど
最近はやめました。
ニコニコ見てるだけです。
というのも
そういうのを授業中に指摘しても
あまり…というか、ほとんど効果無いんですよ。
学生は「先生に怒られた」くらいにしか思いません。
そもそも授業を「やらされて」るんですから
そういう状態に対するするアドバイスは
言葉を柔らかくしても
「叱責」のような捉え方しかされません。
なので放置です。
放置じゃ聞こえが悪いかな。
やってみて
失敗して
その後に本人が
「何とかしたいぞ」
と思った時になら
アドバイスが「入る」でしょうね。
それに
失敗しないようにアドバイスしたところで
全く本人のためにならんですよ。
成長を妨げているようなものですから。
これ
単に放置しているだけ
と何が違うかと言えば
「必要な時が来たらフォローする」
と決めてるくらいの違いなんですけどね。
フォローする必要が無い時に手出しをすると
どうせ「やらされる人」になるだけです。
もちろん学生が失敗の末に
勝手に成長しちゃうこともあって
それはそれで大成功で理想ですね。
色々余計な手出しをすれば
中には感謝してくれる学生もいるかもしれませんが
どうでもいいんですよ、そういうの。
余計な手出しをしてしまう動機としては
大抵は
自分が学生に感謝されたいとか
先生って凄いって思われたいとか
学生がヘマこくと後々自分に面倒が掛かるとか
自分本位な欲だったりするんです。
そういうのが自分のゴールなのではなく
彼らが社会に出て
何かの役に立ってくれるのがゴールですから
いいんです。
なので、可能な限り
失敗の芽は摘まないことにしてます。
そんなの意地悪ですか?
いいんですよ、そう思われても。
失敗して
苦労した後の成功の方が
より面白いでしょう?
その成功がやってくるタイミングが
在学中なのか
社会に出てからなのか
それは本人次第ですけどね。