成長曲線って知ってるかい

成長曲線というものがあります。
ネットで検索すると
人間の成長に伴う身長の変化などのグラフが出ると思います。
あんなヤツです。
グイッと立ち上がって、その後に安定する形です。

ある程度グイッと成長したら
徐々に鈍って安定していきます。

この成長曲線
安定期の後はどうなるか

人なら死にます。
これは肉体的なお話。

この成長曲線は
人の成長だけでなく
色々なものの変化に適用できます。
例えば国家や組織の成長とか。

組織なら
下がった際に
消滅するか
次のサイクルが始まるか。

人の成長のみならず
組織などにも適用できるのは面白いですね。
でも、組織も人で構成されているのだから当たり前か。

では
精神的な部分についてはどうなるか

グイッと成長したら
徐々に鈍って安定して
その後は下がる。
そして振り出しに戻る
です。

下がったら終わりではなく
次のサイクルに入ります。
同じような形の成長曲線が始まります。

このサイクルが繰り返されるわけですが
成長期間の延び具合
最後の下がり具合
これはその時の自分次第といったところです。

なので
成長期間はイケイケドンドンで行っちゃえばいいのです。
ただし
そのイケイケの時期は
永遠に続かないことを自覚しておくことが大事です。
その時期を無駄にしないようにしましょう。
そのうち必ず下がります。

実は大事なのは
下がったときにどうするか
だと思っています。

でも実は
頑張って頑張って
下がる状態に抗って
超頑張ってみたところで
どうしょうもない事が多いのです。
というか
無理です。

私はそんな時は
無理に頑張らないで
受け身に転じます。

例えば
とにかく情報を吸収する時期にしてしまうとか。
次の成長のサイクルの準備に充てるのです。
そのうち必ず次の成長サイクルが始まります。

ただし
この低調な時期は
吸収した情報をうまくまとめることすら
できない可能性があります。
吸収したものをうまく活かせないのです。
なので
その場合はあきらめて吸収し続けましょう。

ちなみに
身体はメンタルの影響を受けるので
精神面の変化は体の変化にも現れることを付け加えておきます。
まぁ、当然ですよね。

人の精神面は
時を経てもその人の努力と工夫次第で
いくらでも変わるところが面白いですね。

人の精神面の変化や
肉体の好不調に関しては
このように一定のサイクルを持っているようです。

でもまぁ
人間も一定のサイクルを持って変化する自然界の一部ですから
やはり自然界のサイクルの影響を受けていても
当然と言えば当然ですね。

月の満ち欠けと
交通事故数の因果関係もあるようです。

とか考えると
バイオリズムとか
天中殺とかなんかも納得がいくわけです。

勇気の源は何だろう

夢を持って実現するのは勇気が要ります。
もちろん
それを当たり前のようにやっている人もいます。

当たり前のようにやっている人は
自分にとって当たり前のことを
当たり前にやっているのだから
他人からどうしたら良いのかを問われたときに
答えに窮するかもしれませんし
他に対してヒントのようのものを発信するのも難しいでしょうね。
それにあまり暇じゃない。
そんな理由で
そういう情報があまりないのかな?
いや、あるけど見えないのかな。
見えるけど手を伸ばそうとしない?

近年、多くの人が
本来自分で決めて良いものを
自身で決めたり実行する自由を失っているように見えます。

個性は欲しいけど
マジョリティに属していたい
のような
矛盾に挟まれているようにも見えます。

それが感じられるのが
「普通は…」
という言葉をよく聞くことかな。

でも
鬼滅の刃とかヒットしているし
子供たちがヒーローにあこがれる
というのは
昔から今に至るまで不滅なわけですよ。

なので
ヒーローになりたい
という気持ちは多くが持っている
それは間違いないでしょう。

でも成長する過程で
ヒーローになりたいという勇気がくじかれている。

その気持ちを持ち続けて
行動に移すためには
何が必要なのでしょうね。

思うに
これはやはり年長者の責任だと思うのです。
すべてが年長者の責任とは言いませんが
環境を作る側にできることはまだまだある。

もちろん
本人にもできることはたくさんあります。
いろいろ工夫する余地は常にあります。

でも
人が成長する際には
周囲の環境の影響を受けて
それに応じた成長をするのでしょう?

その環境を作っているのは
間違いなく年長者でしょう。

なので
「最近の若い者は」
とか
「このままでは日本は…」
とか嘆いたりする前に
少しでも何かできることがあるんじゃないかな
と思うのですよ。

というわけで
日々試行錯誤しております。
皆さん頑張りましょう。

自分のせいにしてしまえ

訳が分からないタイトルです。

世の中に不満とか問題とか色々ありませんか?
まぁ、そこまで話を広げなくても良いですが
身の回りとかね。


そういうものを
誰かのせいにして
愚痴を言ったり文句言ったりすることありませんか?

愚痴を言っても文句も言ったところで
実はあまり解決しなかったり。
解決しないもんだから
ストレスも解消されません。

なので
ずーっと愚痴を言い続ける
すると…

きっとそのうち病気になりますよ。

さぁ、そこで提案です。

そういったことを
自分のせい
にしてみてはいかがでしょうか。

「自分に原因は無いわ!」

はい、無いかもしれません。
でも、自分でも何か少しでも良くできるのではないか
というアプローチです。

ここでがっつり
「自分のせいだ」
と悲観的に考え込んでしまうと
ネガティブな世界に引き込まれてしまいますが

「自分のせいだ」
の後に
「じゃぁどうしようかな」
と考えて行動すれば
少しでも事態を改善できるかもしれません。

例えば
政治のことだって
国のことだって
会社のことだって
不満があっても
ポジティブに考えて
「じゃぁ、自分はこうする」
って実行してみたら良いのではないでしょうか。
ちょっとだけでも。

「そんなの何も変わらねーよ」
とお思いかもしれませんが
仮に我が日本国のことでも
一億分の一くらいは変わります。

そんな人が100人いれば
百万分の一も変わりますよ。

そうすれば自分で解決できる
自分で現状を変えることができる

完璧には変わらないでしょうけど
どうせ世の中に完璧なものなんて
そうそう無いですよ。

逆に
他人のせいにしたら
一切自分で変えることはできません。

一見ネガティブな出来事でも
自分で少しでもプラスに変えることができるなら
そこには自分の価値があるわけで
何ら損はしていないと思うのです。

究極は
起きた物事すべてについて
感謝できるようになること
かな、と思っています。

あぁ、自分が何かを良くするチャンスが回ってきたぞ。
ありがたいことだ。
と。

とてつもなく難しいけど。