見たくないのに見えちゃう

人の五感は

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚

の五つですが
「見える」っていうのは
情報を視覚として得ているときはもちろん
情報を認知している(分かっている)時も使いますよね。

設計をしていると
今現在手を付けている細部にフォーカスしすぎて
その周囲の環境とか
その部品の作り方や使われ方
部品の周辺が見えなくなったりすることがあります。

その部品は周辺のために必要なのに
肝心な周辺を考慮に入れない
ということが起きるのです。

木を見て森を見ず
ってことですね。

そして
形状としては成立してるんだけど…
強度的には成立してるんだけど…
作ることはできるんだけど…
なんてことになります。

かつては私も良くやりました。
コンピューターを使ったCADだと
細部をどんどん拡大して作業できるので
夢中になって作業して気付いたら
「いやいや、こんなに精密にしても作れんだろー」
とか
「こんなにこだわって形状作っても意味ないだろー」
とか
「部品単体は成立してるけど、全体としての機能がイマイチ」
みたいなことになってました。
こういうの、ビギナーは良くやります。

対象について考えるときの「広さ」が重要なんですが
集中すると視野が狭まっちゃうんですね。
別に本人はそうなることを希望しているわけではないのですけどね。

あとは
子供の頃
寝床に入って木目の天井板を見ていると
人の顔に見えてくる
なんて経験ありませんか?
「お化けがいるかもしれない」
なんて思って板の木目を見たりすると
それらしく見えてくるものです。
本人がそれを見たいと希望しているわけではないのに。

バイクでコーナーを曲がっているときにもあります。
旋回中に
「ヤバイ!曲がりきれないかも!」
って思うと、つい突っ込んで行ってしまいそうな先を見てしまう
そこから目を離せない。
そしてバイクはそこに向かってしまう。
そんなこと望んでないのに!

まだあります

日頃からイライラして
文句ばっかり言ってたりすると
ムカつく事態に遭遇する確率が上がります。

これは、視野に入るものごとのうち
ムカつく事象にフォーカスしやすい状態になっているからでしょう。
ハッピーなことも視野には入っているのでしょうが
ムカつく事象に敏感に反応してしまう。
するとムカつくリアクションが起きる。
そして
そんなことばかりが起きるように感じたりする。

望んでないのに見てしまう。
望んでいないものが見えてしまう。
望んでいないことが起きてしまう。

困ったものです。

これはなぜ起きるかというと
本能的なものだったり
深層心理によるものだったりでしょうね。

意識では決してそれを希望していませんが
深層心理がそれにフォーカスしてしまっているのでしょう。

なので
(深層心理が)望んでいるものが見えている
と言っても良いのかもしれません。

で、見えるものに対して行動が起きるので
(深層心理が)望んでいる通りのことが起きている
と言っても良いのかもしれません。

とするとコイツは
意識的に行動することを繰り返す
つまり癖(深層心理)の上書きをしてあげれば良いことが起きそうです。
「トレーニング」ってそういうことですよね。
そのうち自分が望むものが見えてくる…のですが
「私には見える!!」とか言って
危ない領域まで行かないようにしましょう(笑)

重要なことは
自分の行動を振り返って評価して
どうするか決めて
繰り返し行動する
ってとこでしょうか。

ただ、集中しちゃってると
自分の行動を振り返るポイントを作りにくいので
これも色々試して習慣をつくるしかないでしょうね。

習慣は運命を形作る一部ですから重要ですよ。

こういうのをうまいことやっていけば
色んなことがうまくいきそうですね。

価値ある人ってどんな人?

「世のため人のため」
「一日一善」
「人様から後ろ指を指されないように」
などなど
昔は世間とか他人にフォーカスした言葉をよく聞きました。

今はどうなんでしょう。
将来設計が云々とか
生涯賃金がとか
学歴がどうのとか
何をやるにも自分のためです。
それを堂々と言える世の中ににもなってます。
もちろん、みんながみんなではないですが。

それの一体何が悪いんだ?

悪いかと言えば
もちろん法的には何ら問題ないですよね。
何の罪も犯していない。

しかしですよ
何でもかんでも私利私欲
そうするのは結構ですが
行動が私利私欲だと
それを外から見ていると何の価値もないですよね。

例えば
自分が何かを自分のためだけに得ることばかり
自分を守ることばかり
そればかり考えているとしましょう。

それを他人からはどう見えるでしょう。
「おー、いいねー!君にチャンスをあげちゃおう!」
なんてことにはならんですよね。
むしろあげたくないでしょう。

だって考えること行うこと
自分のためなんですから
周囲には全くメリット(価値)が無いわけです。
そこに何かを投入する理由はないでしょう。

なもんで
結局のところ
私利私欲の人が得られるものはたかがしれてる
ということになります。

私の周囲もそうでした。
凄く私欲が強くてパワフルな人
何人もいましたが
残念な結果に終わるケースが多いですね。
頭キレキレで能力高くても。
もったいないことです。

中には途中で方向転換して
うまくいく人もいますが
ごくごく少数です。

やはり
他人を利する考え方ができる人が成功してます。
そんなの当たり前なんですけどね。

でも、実行するには勇気が要ると思います。

他人の利益を考えた行動って
必ず自分に返ってくるのは当然。
まぁ、それを求めてちゃいけないんですが。

他の利益を考えて動ける人って
周囲から見たら
ありがたい人
ですもんね。

まさに「価値がある人」ってことです。
超シンプルですよね。

こういう理屈って
昔話にも入ってるし
偉人伝にも記されてるし
みんな当たり前に知っていることじゃないのかな。

時代とともに色々変わっていくけど
捨てたらいかんものもあるでしょう。

当たり前かもしれないけど
そんな基本的なところを考えて動ける
価値あるエンジニアの卵を育てたい。

私はまだまだ未熟で能力不足の修行僧なのですが
そんなことを理由にやらないって訳にはいきません。
どうせ人間は一生完璧になんてなりませんから。

心の時代がやってくる

いやね
別に
これからはスピリチュアルな世の中に突入するぞ!
とかいう話ではないですよ。
するかもしれませんが(笑)

今までの時代は
言ってみればテクノロジーの時代だった気がします。

産業革命以降が顕著ですが
新しい技術が次々に出てきて
その技術によって色々メリットがありました。

物質的に豊かになったのはもちろん
環境とか医療とかが進歩して
新生児の死亡率が下がって
寿命が延びて
人口が爆発的に増加して
生産人口が増えて
経済が成長して

という感じで
パワフルなループが回っていたんですね。

そんな中で我が日本国は
先進国とガチンコ勝負できるだけの軍事力を手に入れて
(もちろん戦争は良いことではありませんが
それだけの力を手に入れたのは事実です)
戦争でボロ負けしたにもかかわらず
高度経済成長を遂げて
一億総中流なんていう凄い状態になりました。
もちろん、その過程には色々と外的な要因とかもあったのでしょうが
そこは今回の本質ではありませんので置いておきます。

その後もバブルがはじけたり
色々あるわけですが
なんだかんだで日本は技術の国
ってことになってますね。

なので
みんなで技術を学べばハッピーに!!

本当はそんなことなくて
まず技術がそこにあったわけではなく
最初は誰かが何かを考えるところからスタートしていたはずですよね。
なので本当の根源にあったのは
熱意とか思考だったはずです。
知能やらの前に、心の部分が大事だったはずです。

その証拠に
松下幸之助さんや稲盛和夫さんは
皆さんご存じの通り
立派な考えを持って仕事をされて成功している。

今までの日本は
テクノロジーの威力があまりに強力だったので
まず技術ありき
のように感じているのではないでしょうか。

その結果
生活水準が高いにもかかわらず
幸福度は低い
なんてことになってます。

技術レベルは高いけど
心のレベルがなおざりになっちゃったんでしょうね。

本当に欲していないのに
外部から「技術」を突っ込まれれば
(いやいややらされる状態)
それなりのものは持っている状態にはなるかもしれませんが
それを駆動するための心が不十分な状態になります。
なので
せっかくの技術は有効に活用されない。

なんてもったいない!

高度経済成長までは
これでも良かったのかもしれません。
でも
そういう時代は終わってしまいました。

これからも技術は重要で
ますます生活における重要度は増してくるかもしれません。

技術の重要性は「あたりまえ」になってくるでしょうから
足りない「心」をどうやって成長させるか
これが重要性を増してくるでしょう。

心が成長すれば現状の技術に不足(ギャップ)が生じる
そのギャップを埋めようとする欲望がパワーの根源です。

たぶん
日本ってそうやって成長してきたのではないでしょうか。

これ、みんな気付いてるんでしょうけど。
今さらですが言ってみました。