天皇誕生日にて

今日は天皇誕生日です。
第126代の今上天皇陛下のお誕生日ですね。
陛下のお誕生日にお祝い申し上げます。

私は、20年くらい前まで
日本は世界で最も長く続いている国家である
ということすら知りませんでした。

そんなの常識なんだから知っとけ!
という声が聞こえてきそうですね。
お恥ずかしい。

で、自分なりに色々調べるようになったんですが
それにはきっかけがあります。

一つは
Formula SAEで海外大会にチャレンジする学生達の
面倒を見るようになったことですね。
強豪チームのまねごとをしても勝てないと思ったので
日本ならではの強みを見いださないとダメだな
と思ったこと。

そういうことを考えていくと
日本の過去に着目するしかありません。
日本人は今まで何を考えて何をやってきたのか
そこにしかヒントは無いと思ったのです。

もう一つは
オーストラリアに遠征に行ったときに
泊まった宿のオヤジさんに
「日本のエンペラーのお世継ぎは大丈夫なのか?」
と聞かれたことです。

オーストラリアはイギリス連邦の一国なので
エリザベス二世女王が国王陛下なのですね。
なのでオヤジさんは日本の皇室が気になっていたようです。

でも私は答えに困りました。
それまで皇室のことなんて真面目に考えたことがなかったからです。

そのとき
天皇陛下のことを聞かれて答えられないって
国民として問題あるのではなかろうか
こいつは恥ずかしいことだ
と思ったのです。

なので
「日本の始まりってどうだったんだろう?」
「天皇陛下は何をされているんだろう?」
と気になってきて
古事記を読むところから始まって
天皇陛下の侍従をされていた方の本を読んだり
色々調べてみたわけです。

そうしたら
紀元前660年の神武天皇即位から始まっていて
建国の神話の時代から現在の天皇陛下まで連綿と 繋がっている唯一の国家
なんて事が分かってきて
年甲斐も無く
これは凄いことだぞ!
とエキサイトしてしまいましたよ。

だってね
2,600年以上も国が続いていて
それが世界的にぶっちぎりにトップなわけですよ。
ちなみに
2位はデンマークの1,100年で
3位はイギリスの800年だそうです。

ここに強みが隠されていないわけがありませんよ!

ただしそれは
簡単に数字にしたり文字にしたりして理解できない世界です。

こんなに長いこと一つの国として続いてきたのは
世界的に見たらありえないことですが
我々にとっては当たり前で自然なことです。

今を生きる我々にとっては
あまりに当たり前なので
なぜそうなったかを
そもそも意識することはもちろん
強みとして利用するということは難しい。

でも簡単に分かることもあります。
2,600年以上続いているのは
天皇という存在です。

国民だけの力で
これだけ長いことまとまってやってこられたなんて
思い上がってはいけない。
島国である地の利などももちろんあるでしょうが
それだけでは周辺のアジア諸国と異なる発展をしてきた理由にならないでしょう。
島国なんて世界中にたくさんあるわけだし。

そもそも国としてまとまるためには
その中心となる存在が必要です。

それは天皇以外にはありえない。
と思っています。
もし他にもあるならぜひ教えて欲しい。

何かしらの利害にしたがって動く政治家のような立場の人間や
一般国民では中心になり得ないでしょう。

一般的に「王」は国民に対してどのような態度を取るのでしょう。
我々は天皇陛下しか知らないので
正直よく分かりませんが
多くの国は「上から支配してきた」のではないでしょうか。

でも
日本の天皇は建国以来、毎日
国民の安寧と世界平和のために祈ってくださる
それがのお勤めだそうです。
「上から」というより
「中心」という感じではないでしょうか。
「力による支配」というより
「国民がまとまってきた」のではないでしょうか。

我々日本人にとって
皇室 天皇は
当たり前の存在なのかもしれません。

その当たり前のようにあった
安心して頑張れる環境が
心のよりどころがあったから
今まで続いてこられたのではないでしょうか。

そのありがたさ
ありがたいと思う気持ちは
我々の日々の行いに必ず活かせるはずです。
(漢字では「有り難い」
ありえないほどレアなことという意味ですね)

これ
考えてみれば簡単で当然の話です。

対象が誰であれ何であれ
感謝の気持ちが無くなったら
心が荒んできて良い仕事なんてできないどころか
ちょっとした不満に敏感に反応して
怒りや恐れの中で生活することになるでしょう。
まさに最近はそういう傾向になりつつある気がします。

「金払ってんだから~なんて当然だろ!」
みたいなことを言い始めて
皆が相手のことを考えずに
自分の要求や権利ばかりを前面に押し出すようになったら
世の中ヤバイです。
気持ちは分かりますが
それではものごとは良くならない。

というわけで
皆が安心して頑張るための「中心」が
当たり前に存在するなんて凄いことだったんですね。
ということに気付いてきました。

こういうことを事実として受け入れて
強みとして活用していくかどうかは我々次第。

最近は御朱印ブームで
多くの人が神社に足を運んでいるようです。
我が国が良い方向に進み始める気がしています。

限界にぶち当たれ

普通にバイクに乗っているなら
特に限界を追求する必要はないですよね。
そんなことしてると
「何をやっとるんだね、チミは」
ってなことになっちゃうんですが
ことレースとなると話は別で
限界を知らないと良い成績は得られません。

当然ですが
限界に達したことがなければ
最大のパフォーマンスは出せません。
当たり前ですが
最大のパフォーマンスは限界値ですもんね。

バイクのレースで言ったら
転ぶところまでやらないと
どうなったら転ぶか分からない
それが分からなけりゃ
最大のパフォーマンスは得られない
ということです。

なので
転ぶ経験が必要です。
わざと転ぶというのとは
ちょっとニュアンスが違いますが。

なので
ロードレースをやっている人なんかは
未舗装のフラットトラックとかモトクロスなど
滑りやすいコンディションで
限界域のコントロールを練習したりしますね。

どこが限界か分からないと困っちゃうのは
何もレースの世界だけではなく
他の多くのことも共通です。

失敗したことがなければ
どこまでやれるか分かりません。

往々にして
そういう状態だと楽しくなってきません。

楽しくないと一所懸命やらない
もちろんそれは限界からはほど遠い
となると
どこまでやれるか分からない
と、振り出しに戻ってループする
ならまだ良いけど
大抵は途中でやめる。
当然です。

恐らくそうなってしまう原点は
失敗したくない
ですよね。

レーシングカーを作ってる学生を見ていると
よく分かります。

最初に
レーシングカーを作るぞ!
とチャレンジすることを決めるのはOKです。
その決断には相応の勇気が必要だと思います。

でもその後に選択肢が現れる
というか
姿勢が試されます。

勝ちたい!
or
失敗したくない!

この2つ
あまり違いが無いように見えますか?
これが結構違うんですよ。

分かりやすい例でいくと

ある部品を設計していたとします。
レーシングカーは軽さが命です。

「勝ちたい!」
で設計すると
強度ギリギリの軽い部品が設計できるかもしれません
が、それはテストで壊れる可能性が高い。

でも、壊れたら必要な強度を与えて
再設計すれば良いんです。

「失敗したくない!」
で設計すると
往々にして強度に余裕を持った部品ができます。
もちろんテストでも問題が起きない可能性が高い。

でも、その部品をさらに軽くして
性能を上げるのは難しいのです。

一度余裕を持って設計してしまうと
そこから攻めるのは勇気が必要です。
それに何より面倒くさい。
これ、強敵です。
特に
攻める勇気が無くて面倒くさがりな人には。

なんかやってることが矛盾してるように見えますよね。
でも、こういうケースは良くあります。

正直なところ
そうなっちゃうのも仕方ないとも思います。

だってね
小さい頃から
「失敗しないように!」
って散々言われて育ってくるわけでしょう?
親や先生は当然のこと
メディアはすぐに失敗した人を吊し上げるし。
「失敗は悪だ」みたいに。
そうなちゃってもしょうがないですよ。

なので
良い子ほど
チャレンジして失敗する経験ができないので
良い仕事ができない
ということになるケースが多いのです。
なんと皮肉な。

超元気な学生だって
最後に何を言うかと思ったら
「~が起きないように!」
とか失敗しないことを狙ってたりしますからね。

さて
ここで冒頭に戻りましょう。

転ばないと限界が分からないんですよ。
転ばないようにやるんじゃなくて
転ぶまでやってみれば良いんです。

学生のうちにその辺を意識して
チャレンジする経験ができたら良いですね
そのチャンスがあったら
ぜひ掴んでほしいものです。

あとね
失敗が怖い人は
失敗にフォーカスしているから失敗しやすい
っていうのもあります。

誰しも過去の経験のうち
失敗の方が多かったりするし
チャレンジすれば、いずれは失敗はするので
失敗が怖い人は
「どうせうまくいかない」
が説得力あるリアルな経験として記憶されて
それが主役になっています。

もちろん他人にも
「どうせうまくいかないからやめておけ」
と言うでしょうね。
本気で。
だってリアルな経験の記憶があるから。

恐れずにチャレンジするというのは
恐れてやらない者から見たら
ただのバカなのかもしれないけど
だったらバカになるしかない。

だってそうしないと限界分からないじゃん。

サーキットで限界探って転んじゃうのを
レースに興味が無い人から見たら
ただのバカに見えるのかもしれない。

結局は
超シンプルなんですよ。

成功することを夢見てやるか
失敗を心配するか
その2つしかなくて
どっちが視野に入っているかが重要。

成功するためにチャレンジする人は
どうしたら成功するかを見ているので
成功する可能性が高い
というだけの話です。

失敗しても諦めずに続けるには
好きなことをやるとか
やっていることを好きになるとか
その先にあることを想像するとか
諦めない理由を作ることが大事かもしれません。

そういうお前は成功してんのかって?

いやいや、まだ成功してないと思ってます。

変われるかどうかがカギなのよ

向上心って大事ですよね。
何かを今より良くしたい
ってね。

でも
なかなかうまくいかないことも多いですよね。

当たり前ですが
現状より良くなる
ってのは
現状ではなくなる
ってことです。
今のままのやり方では
結果は変わらないのですから当然です。

なので
うまくいかないときは
現状から変われていないことが原因です。
もちろん自分がね。

これ、言うのは簡単ですが
なかなか手強い。

自分が自分のことを一番よく分かっていて
自分のことは自分でできる
と思いがちですが
なかなか思い通りにいかなかったりします。

意外なことですが
成功を望む人でさえ変わりたくない
と思っている場合が多いのです。

現状が成功していないのであれば
現状を変えなければいけないのにね。

だって
現状は成功していないわけでしょう?
変わらなければいけないのは当たり前ではないですか。

でも、ついつい
現状のままで良くならないか
なんて思ってしまう。

いや
思ってすらいないのに
自動的にそうなってしまう
といった方が良いかもしれません。

実はこれ
生存本能が原因にあるそうです。

今、自分が生きているのはなぜか?
それは昨日の行動があったから。

であれば、昨日と同じことを繰り返せば
生き残ってける可能性が高い
ということです。

なので
考え無しで自動的に同じことを実行してしまう。

「癖」ってそういうことでしょう?
凄いシステムになってますね。
生き残るためのことを
自動的に繰り返しちゃうんですよ。

「あー!自分は成功したいのに
何で同じこと繰り返しちゃうんだろう!」

と気付ける人はまだ幸せで
それをなんとかできるチャンスがあります。
だって気付いているんだから。

あとは色々と多くを試して
これだ!
と思ったら
「恥の上塗り」
じゃなくて
考えて 行動して 繰り返す
「癖の上書き」
をすれば良いのですよ。

すぐには結果は表れないかもしれませんが
変わる面白さを実感できれば色々うまくいくと思いますよ。

と、こういうことを
バイクのレースやってるときに考えたりしていました。

なかなかラップタイムが良くならない時って
そもそもダメなやり方してるのに
それをもっと頑張ることによって
何とかしようとしていることがあるんです。

そういうとき
今までと違うアプローチで何かを試すって
すごく勇気が要るんですよね。

物事の本質って
結構共通していて面白いですね。