ハイ・パフォーマンス人間のつくりかた

ずいぶん以前に(ちょっぴり)話題になったことです
Googleが社内で調査をした結果

「どんな大学を出たか」は入社後のパフォーマンスと相関関係がない

ということが分かったそうです。
オー!ノー!!

これはどういうことでしょうか。
少なくとも
大学のブランドはパフォーマンスとは関係ないということですね。
学力も関係ない?
いやいや
ここで答えを急いではいけません。

では次

「これまでの人生で苦労をしたかどうか」

これがパフォーマンスと関係あったそうです。
苦労したり挫折したりしたことがある人たちが
社内でパフォーマンスを発揮していたそうです。

そりゃそうでしょう
困難に遭遇して
乗り越えるのには何が必要?
もちろん努力です
あとは工夫とか根気とか
パッションやポジティブな思考も忘れちゃいけません
で、乗り越えれば色んな経験が増えますね。

頑張った末に
乗り越えることができなくても
継続していけば
心は強くなるでしょう。

こういうのを総じて
成長
って言うんですよね。

人は苦労なしには成長できません。
というか
苦労こそが人を成長させる
といった方が良いかもしれません。

困難に遭遇したり
失敗した末に
「どうせ…」
とか言って
簡単に逃げたり諦めたりしちゃダメです。

たまにそういう人に対して
「あの人は人生を達観してる」
とか言ったりしますが
それ、使い方違いますね。
そういうのは達観してる人じゃなくて
残念な人です。

ほら
こういうこと考えてると
ピンチはチャンス
とか
かわいい子には旅をさせろ
とか
選択肢があったら大変な方を取れ
とか
凄く理解できませんか?

学生達を見ていると
こういうのは本当によく分かります。

デッカいチャレンジは大変です。
しかも
好きなことをやっているんだから
そうそう逃げるわけにはいきませんし
苦労を苦労と思わないこともある。

一口に苦労と言っても
知識や技術やスキルに関すること
人間関係に関すること
お金に関すること
数えだしたらキリがないです。

でも
そういう環境で頑張った学生達は
ものすごい成長を遂げます。

やってる本人達は
嵐の中でジタバタしているうちに卒業しちゃった
みたいな感じなのでしょうけど。
「4年なんて一瞬っす!」
ってみんな言うもんなぁ。

なので
そういうチャレンジをする機会があったら
なりふり構わず頑張ってみて欲しいのです。

もっとも
そういう姿勢じゃないとチャンスは見えませんが。
(視野に入っても気付かないということです)

高い目標を設定すると
「分相応にしとけ」
と言う人もいますが
そんなの気にしないでガンガン行って欲しいのです。

成功する保証はないけど
成長する保証はしますよ!

自由になるとハッピーになるか

昔は多様性が乏しくて
やるべきことが決められていたがために
その反動として
多くの人がが自由を求めたのではないかな
なんて思ったりすることがあります。

私が子供の頃は
今に比べて明らかに多様性がありませんでした。

でもそれは
選択肢が少ないがためにやるべきことが明確だった
という良さもあったのかもしれません。

さらに世代を遡っていくと
どのような違いがあるのか?
今も色々と調べていますが
興味深いところです。

多様性のなさは日本に限ったこと…ではありません。
アメリカだって、ヨーロッパだって
多少の違いこそあれ今と比べればそういう傾向だったでしょう。

多様性が無いがために
理想と現実のギャップが大きくて
それがパワーの源だったのかな。

今は明らかに多様性が増して
自由が与えられていると思います。
仕事を例にあげれば
別に会社に入らなくてもインターネットを使って仕事ができるし
それこそ国内に限った仕事じゃなくても良いわけです。

何も独創性のある仕事じゃなくても
今まで自分が目を向けていなかった業界を見てみれば
仕事はいくらでもある。
何をやっても良いはずです。

みんな自由にできる世の中になって良かったね!
と言いたいところだけど
いざ自由になると色々とありますね。

自由な選択は同時に責任を求められます。
別に法的な責任に限定した意味ではありませんが
自分の選択に対して出た結果に対して
責任を取るのは自分ですから。

そんなこともあって
皆が自由でハッピー!って感じではないのかな?
コロナ禍の影響はもちろんあるでしょうが。

それはともかく
時間の経過とともに
目に見える色々なものが進化してきたのでしょうが
それによって
我々皆が無条件にハッピーになるかと言ったら
決してそんなことは無いんだな
と思ったりしてます。

そもそも「進化」とか言いますが
それは何のためなんでしょうね。

我々人類はどこへ向かっているのか。
いやー、興味深いなぁ。

感謝から始まるループってのもアリじゃないかな

このところよく考えるんですよ。
どうしたら世の中を良くできるかな~
って。

自分ひとりの力で
世の中をデッカく変えられるとは思ってませんけどね。

ちょっとだけでも
ちょっとずつでも
やっていけば
少しは良くなるだろうなー
と思います。

一億分の一でも
変化は変化です。

そんなことを考えると
今の自分に足りないこととか
ある程度見えてきたりします。

まだまだ視野狭いなー
とか
心が狭いなー
とか
まだまだありますよ。
言うのが恥ずかしいくらい。

とはいえ
それで卑屈になってるわけではないです。

そこで過去ばかりにフォーカスすると
卑屈になっちゃうんですけど
今の立ち位置を認めて
「じゃぁ、どうする?」
と考えて試す。

するとまた色々見えてくる

あぁ、まだまだだなと思う

考えて試す。

もちろん
そんなに大したことをやってるわけではありません。

最近のテーマは
「感謝」
です。

何か思い通りにならない時とか
負の感情が頭をもたげてきますよね。

その時点で何かをアクションすると
それはネガティブな動機からの行動となるわけですが
そういうのって大抵うまくいかないんですよね。

さらに
そんなアクションをしても
ちっともスッキリしない。

仮に怒りの感情を爆発させても
それは次のネガティブな感情を生み出す
負の連鎖のスタートになるだけで
それでストレス発散なんてとんでもない。

その感情を受け止めた相手だって
ポジティブな行動はできないでしょう。

なので
何かに対する感謝がスタート地点になると
ポジティブな行動のループが作れるんじゃないか
なんてことを思っているのです。

これ
自分に何か良いことが起きたら
そこで感謝して
ループがスタートだ!

ってわけではないです。
そんなの待ってたら
いつになってもスタートできません。

なので
何気ないことでも

ことによっては
一見ネガティブな出来事にでも
感謝してしまえば
無理矢理ポジティブなループが作れるんじゃないか
なんて思ってます。

そういうの結構楽しいかも
とか思ったりもしてます。

今までやっていなかったことをやるって
何においても結構勇気が要るものです。

でも、こういうのも
社会人としての責任なんじゃないかな
なんて思ったりしてます。

なんか今日の投稿は落ち着いてますね。
別に落ち込んだりしてるわけではないのでご心配なく。