リアクションからアクションへ フォローからリードへ

アクションとかリアクションとか
何回か記事にしていて興味深いところではあるので
また書きます。

学生は先生のいうことを聞く
という意味では多くがフォロワーな訳で
基本的にはリアクションを中心とした行動を取る訓練を受けています。

「訓練を受けている」は言い過ぎ?
でも、結果的にはそうなっていると思いますよ。

先生からのアクションに対するリアクションをして
先生のリードに対してフォローしていく
そういうことですもんね。

すでに存在していて隠されている答えを
導き出すのが学生のミッションになっていて
正解か不正解かで評価されます。
授業では。

そいうのも必要で大事なことだと思いますが
それは必要なスキルの一部なわけで
それが完璧にできれば
それこそ学校では完璧なわけですが
それで社会に出たら完璧かというと
残念なことに
言われたことしかしないヤツ(できないヤツ)
という評価をされるのは間違いないわけで
こりゃ頑張っても報われないわな
と思うのですよ。

本人は
言われたことをするのが仕事だ
と思い込んでいたりするので
そんな場合には出口が見えません。

言っておきますが
リアクションは大事です。
それすらできなければどうにもなりません。

でも、リアクションが行動の中心で
他人の顔色を伺いながらフォローしてばかりじゃ
面白くならないでしょう。

それはもう、リードする側もフォローする側もです。

フォロワーでリアクション中心では
自分が望むように流れを変えることはできないので
そのループは果てしなく続きます。

でも、そうなっているのは
自身で自分の役割を決めた結果です。

経験を積んでいけばいつかは…
と思うかもしれませんが
これはスキルとか知識の話ではなく
マインドの話なのです。

自分がどうしたいのかが問題なのですね。

もちろん経験を積んでいく過程で
自主性や主体性を手に入れて
フォローするループから脱するかもしれません。

でも、自分の意思・意見が無い
ということになると
自分の外にある「答え」を気にする必要があるわけで
そうなっていたらフォローしてリアクションするしかありません。

最悪の場合
自分の意見がなければ
答えすら気にする必要はなくて
単にリアクションを繰り返せばいい
ということにもなりかねませんが
これはつまらなさすぎますので
ここでは論外としましょう。

ビギナーであれば
最初はフォロワーでリアクションが中心かもしれませんが

常に
「自分はこうしたい」
という気持ちを持っていてほしいものです。

で、できればそれを発信し続けてほしい。

それが外から見えなければ
チャンスを手渡すことはできないから。

そういうのは
現時点のスキルとか知識とかは関係なくて
自由ですから
どんどんやったらいいのです。

自分の思いを外に出して
頑張ってリードしようとしたらいいですよ。

頑張って繰り返していたら
そのうち良いこと起きますから。

アクションかリアクションか

能動的に自分から仕掛けていくアクション

それに対して、受動的なリアクション

さて、あなたはどちら?

まぁ、学生の大半はリアクションです。
どういうシーンで?
というのもありますが。

だって、学校の授業は100%リアクション
それを小学校から大学まで続けているのだから
そりゃ受動的にもなりますよ。

そもそも、自分から仕掛けていく機会なんて無いですものね。

なので、ある程度は仕方ないとして

では、あなたはどうしたいの?

というのが大事なところ。

面倒が起きて欲しくなくて
安心・安全が第一ならば
リアクションがいい
…と思いますか?

認識できる情報から
できるだけリスクの少ないものをチョイスすればいい。

でも、果たしてそれが本当にリスク・フリーなのかというと
長期的に見ると決してそんなことは無くて
結果的には将来に大きなリスクを抱えることになる。

目の前のリスクを回避しているつもりが
そのツケは蓄積していって
いずれそれは手に負えないモンスターに成長して
最悪の状況で襲いかかってくる
私はそう思ってます。

受け身でチャンスを待つ
なんて虫のいいことを考えてはいけません。

考えてもいいけど
恐らくチャンスは見えないし
チャンスのようなものがやってきても
それが果たして自分にとって
本当にチャンスなのか、リスクは無いのか
なんて考えているうちに
それは過ぎ去ってしまいます。

でも恐らく
短期的なリスク回避という目的は
達することができるでしょう。

では、アクションが中心の場合は?

ご想像通り、能動的に動くと色々やらかします。
当然ながら、未経験の領域に、事物に、次々に遭遇しますので
それは当たり前。

一見、とても非効率に見えたりしますし
実際、傷付いたり、恥をかいたり、何かを失う
といったことも多いでしょう。

でも、そうするからこそ得られるものがあったり
そんな中での貴重な出会いがあったり
そうしないと見えないこと、分からないことがあったりします。

かといって、何でもかんでも能動的にやる
というのも不可能です。

我々の手の上に乗るものは限られています。

なので、自分の譲れないものを決めて
一点突破でもいいと思うのです。

別にどちらが良いとか悪いとか
そういう話ではありません。

ただこれは、自分で決められることであって
人に決めてもらうものではない
もし、何となくそうなってしまっているのなら
それは大変もったいないことです。

何を選ぶにせよ
自分で決めてやってみるからこそ面白いのだと思います。

アクションとリアクション

学生諸君には
もっと自発性が欲しい!主体的になって欲しい!

そうですか。
そうですね。
でも、なに言っちゃってんですか?
と思わないこともない。

だって学校での生活って
リアクション中心だもの。

「教育」
って聞いてイメージするのは
「言われて」
「やる」
でしょう。
実際そういうシーンばかりですが。

まぁつまり
リアクション中心の生活
ってことですよね。

20年近くリアクションの訓練してるようなものです。

大学生になると
義務教育よりはだいぶマシになりますが
それでも基本は変わらないでしょう。

大学で突然
「自発的に!」
「主体的に!」
って、急に言われたって難しいですよね。

「なんだそれ?」
ってなもんでしょう。

こんなこと言ってる自分だって
学生のことはリアクション中心だったと思います。
そもそも大学で自発的に何かやるなんて
思い付かなかったかもしれない。

まして先生からそんなの求められた記憶も無い。
…あまりにテキトーな学生だったから??

そもそも、サーキットが学校みたいなものだったから
大学で自発性なんか発揮する必要なかったのかも。

何で今回こんなことを言ってるかというと
別に堅いことが言いたいわけではないんですよ。

リアクション中心だと
面白くならないよ!

自分からアクションしていけば
思い通りになることが増えるから
もっと面白くなるよ!

と言いたいのですね。
まぁそりゃ当然なのですが。

だって、リアクション中心ということは
相手の基準に合わせて行動する
ということになるのでしょう?
けど、その「相手の基準」って見えないので
うまくいかないことが多いし
どうしたら良いか分からなくて
ストレスたまるんですよ。

一方、アクション中心にするということは
最初に「思い」があるわけで
そのための行動を取れば
うまくいけば思いが遂げられるわけで
ストレスたまらないどころか
そりゃぁ楽しいでしょう。

もちろん、そうやって
うまくいかないことも多いと思いますが
そもそも人の行動なんて
半分以上は失敗ですよ。
だったらストレスたまらない方がいいじゃん!
と思うのです。